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雲南、見たり聞いたり感じたり

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暴れる象と芸象17

2016-07-03 09:14:44 | Weblog
昆明の中心部にある昆明動物園でも象の芸が行われていた。その入場シーン。芸は過激なものではなく、足を上げたり、ものをつかんだりする、おだやかなものだった。動物園の飼育員の象の担当者は、いろいろと芸も仕込まなければならないのだろう。

【贈らなかったために滅んだ国】
唐の初期、現在のカンボジアにあった環王国(※1)も象で戦闘を行っていました。戦象の規模は1000頭というのですから、相当なもの。さらに象に踏ませる処刑があった、というのですから、象の存在感が絶大だった国だったのでしょう。

(「王衛兵五千,戦乗象,藤為鎧,竹為弓矢,率象千、馬四百,分前後。不設刑,有罪者使象践之」『新唐書』巻222下、列伝147下、南蠻下より)

この国は唐の貞観年間(627-649)になると唐の第2代皇帝の太宗(李世民)に飼い慣らした象をはじめ、オウム、犀、珍しい織物など珍宝を含めて献上し続けます。
 太宗は、北は突厥、東は高句麗、西は高昌と次々に侵略、滅亡に追いやる当時、最強の征服者だったので献上品で国が保てるのなら、という切実な思いがあったに違いありません。

その贈り物が功を奏したのか、環王の使者が献上の際の言葉づかいがうやうやしくない、との理由で臣下が

「不遜なので罪にしましょう」

と戦争を焚きつけても、他国を侵略しまくっている太宗が、この国に関しては「いいではないか」と不問に付したのでした。

しかし時がたつと弛緩するもの。
百数十年後の唐の元和初年(806年)、初めて献上がなかったということで唐に戦争を仕掛けられ、3万の兵が斬られ、59人の王子が捕虜とされ、戦象などを奪われたのでした。

(「元和初不朝献,安南都護張舟執其偽驩、愛州都統,斬三万級,虜王子五十九,獲戦象、舠、鎧」『新唐書』巻222下、列伝147下、南蠻下より)

いかに象をはじめとする献上品が国を守るために重要だったのかがわかります。しかし100年以上も律儀に貢納し続けたのに、外交は厳しい・・。

(つづく)
●次回は、貢納する国は、象をどのように扱っていたかについて、の予定。

※象のことを調べた文章が少ないので、予想に反して長めの章になっております。もう少しだけ、おつきあいくだされば幸いです。
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