goo blog サービス終了のお知らせ 

雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

暴れる象と芸象19・象を世話する人々2

2016-07-15 10:53:45 | Weblog

写真上はモンフンの村にある金ぴかの景恩塔。文化大革命時の1969年に完全に破壊されたが、1985年に再建された。もとはタイ暦141年(西暦779年、唐)ほか3度修復された記録があるので、それ以前より建っていた。現在、タイ国で学んだ住職がいる。
写真下はモンフンの日曜マーケットの一角。次々とトラクターで人々がやってきて活気にあふれていた。

【象の世話係と「琵琶鬼」】
シーサンパンナの首都・景洪の各寨(ムラ)の来歴を見ると、曼列(モンリエ)は勐混(モンフン)よりきた象奴のムラ、曼養(モンヤン)は領主のための象を飼養するムラ、とあります。

モンフンは現代においても各地から人々が集い、大きな市場が建つことで有名なところ、金ぴかの大寺院があることでも知られる地です。そこから移り住む象奴、つまり象の奴隷(世話係?)として行くムラ、とはいったいどういうところなのでしょう。

まず、かつて、シーサンパンナのタイ族社会では細分化された身分が固定され、通常、ムラを自由意志で引っ越すことはできませんでした。

ところがひとたび「琵琶鬼」に認定されてしまうと、土地を奪われ、家屋を焼かれ、強制的にムラを立ち退かされるのです。

そして、
「曼列では引っ越して来た人々にムラで養う象の世話係をさせることができる、だから琵琶鬼はこの寨に越してくるが、今に至るまで土地は分けられていない」(『傣族社会歴史調査(西双版納之四)』、民族出版社、2009年)

そうして、このムラの等級は下から2番目という奴隷村、と1950年代に中国政府の調査官が称したムラとなっていました。

つまり、象奴は「琵琶鬼」と密接に関係があることがわかります。

この「琵琶鬼」とはなんでしょう。

ごく普通にインターネットを引くと、日本の『今昔物語』にでてくる「玄象の琵琶」の話に行き着きます。村上天皇の御代、名器の琵琶が紛失し、天皇は嘆いていた。その琵琶を楽器の名手・源博雅が取り戻した、という話で、鬼から琵琶を取り戻した、もしくは魂をもった琵琶の話として、夢枕獏の「陰陽師」にも取り上げられるエピソードです。

元ネタは中国・六朝時代の『捜神記』という怪奇話を集めた本で、やはり「琵琶鬼」という魂を持った楽器の琵琶として出てきます。

風流な話ですが、シーサンパンナの琵琶鬼は文脈からしても違うことは明らかです。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする