写真は旧市街の中心にそびえるローマの遺跡。月の女神・ディアナに捧げられたものの推測されていることからディアナ神殿と呼ばれている。夜になるとライトアップされて、神々しさも倍増する。
この神殿前に現在、ポサーダ(歴史的建造物を改装した宿泊施設)となっているロイオス修道院やロイオス教会があり、広場をはさんだすぐ横にはカテドラルといったように重要な観光施設が並ぶ。
【中世的な街並みを堪能】
エヴォラ旧市街は歴史的建造物の宝庫です。小さな街なので徒歩で苦も無く回れます。
まず、歴史から。
エヴォラは主要都市をつなぐ街道の交差点としてローマ時代から栄えました。2000年の風雨に耐えたローマの遺跡がいまもあちこちに残されています。ローマが衰退すると西ゴート、さらに715年にイスラム系ムーア人の支配下となり、さらに1166年にはキリスト教系のアフォンソ一世(初代ポルトガル王)の支配下に。
ポルトガルのアヴィス王朝(1385-1580)のもとでリスボンに次ぐ第2の都市として栄えました。この時期はポルトガルが海洋帝国として興隆したときに当たります。1584年9月には、はるばる日本から海を渡ってきた天正遣欧使節団がリスボンからこの地を訪れ、大司教の歓待を受けています。
この使節団を導いたイエズス会士(1534年結成)の重要拠点の一つがエヴォラでした。1559年にこの地にもイエズス会士を養成する神学校を創設。エヴォラ大学として、ポルトガルではコインブラ大学に次いで2番目の歴史を誇る大学になったのです(※)。
ところが18世紀にイエズス会のポルトガル追放が行われ、この街の栄華は突如、終わりを迎えます。そのまま時計の針は止まり、貴重な遺産がはからずも保存され続け、1986年に世界遺産に登録されたのでした。
※ウィキペディア「エヴォラ」の項に「イエズス会の影響のもと、エヴォラ大学が対宗教改革≪カトリック側の宗教改革:筆者注≫の中心となり」と書かれています。当時、イエズス会の一大拠点がエヴォラだったというわけです。実際、コインブラとここで学び、のちに教える側にもなったルイス・デ・モリナなど宗教的に重要な考えをもたらした重要人物を輩出しているようです。
参考文献:エヴォラ世界遺産 - 機関ポータル (cm-evora.pt)、
ブリタニカ国際大百科事典「モリナ、デ・ルイス」