写真はカディスから見える夕日。大西洋へと沈んでいった。
【カディス到着】
14時45分発カディス行きの列車は、やはり満席でした。
セビリアからの一時間半、見える景色は平坦な黄色い大地と薄い緑ばかり。ところがカディスに近づくと一変。乾いた大地から水っぽい湿地帯。やがて大西洋がキラリと輝いてみえます。
カディス周辺の湿地帯。
カディスの歴史は古く、紀元前10世紀ごろフェニキア人によって築かれたヨーロッパ最古の都市の一つです。
スペインの大西洋岸では最も突き出た小島で幅2キロメートルほどの四角い地形なのは地図でわかってはいたのですが、足場の悪い湿地帯が続いたところから、じつは江の島のように陸地とつながった小島なのだとわかりました。江の島の幅5倍強ある都市島。ここから新大陸へとコロンブスが出発し(2回目と4回目)、1717年に新大陸との貿易を統括する通商院がセビリアからカディスに移されてから商業は黄金期を迎えたのでした。
そんな歴史ある地でのカーニバルの盛り上がりを楽しみに夕刻、駅に降り立つと、意外やうすい盛り上がり。バルーンゲートが風にはためき、青やオレンジ色の毛をなびかせて身体のラインの見える道化のような恰好の一般人が2人、さびしく歩いているくらいです。店先から見えるテレビでのみ、カーニバルで盛り上がる人々の映像が流れていて、へんな感じ。
ペントハウスから見える夕景。
【ペントハウスに泊まる】
ここには一つ、懸念がありました。カディスは海に囲まれた小さな街だけに宿泊施設には限りがあり、まともなホテルは数か月前から満室だったのです。あとは、恐ろしく値段の高い部屋か20キロ以上先のよくわからない街のホテルのみ。直接電話してもダメ。
数日ネット上で探して、ようやく取れたのが貸しペントハウスでした。
このシステムがよくわからなかったのです。
駅から歩くこと20分。予約の際にメールで示された場所に行くと、街の中心にある石畳と古い建物のならぶ狭い道の一角にNPOが経営するオフィスがありました。
メールでは「困ったことはありますか?」など、文通なみにいろいろとやりとりがあり、なんとなくユースホステルのような温かみのある場所でおばちゃんが一人経営しているのかな、など想像をしていたのですが、様子が違います。
さっそく戸を開けると、長机の前に若い赤ひげのお兄さんが一人、座っていました。予約票を渡すと
「あと10分で事務所を閉める時間でした。来られてよかったですね。」
と一言。もう少しで宿に入れなかった可能性があったらしい!
ここでペントハウスの場所を示した地図と鍵、使用にあたっての一般的な注意事項と彼の携帯電話番号が渡され、「OK?」とイエスしか言えない状況でほほえみ、さっさと事務所を閉めて帰ってしまいました。メールの時との対応が違いすぎて面喰いました(カディスの民泊を一手に引き受けるNPOでした)
駅に家人と重たい荷物をのこしていたので、いったん戻り、全員で石畳をがたがたいわせながら、スーツケースを転がし続けること30分、ようやく宿に着きました。
開けづらい鍵を鍵穴に差し込み、格闘すること10分、噛み合わせのいびつな鍵がガチャリと開きました。これで、休める、とドアを開けると、目の前には急な階段が。階段以外のスペースは無。
荷物を家人に見張ってもらい、大男向けのような段差がある階段を上がること4階分。ようやく屋上のペントハウスに到着です。次にしたのが(一縷の望みをかけ)エレベータを探すこと。でも当然ながらありません。そこでまた下に戻り、今度はぎっくり腰の恐怖に耐えて、重たいスーツケースを引き上げ、汗だくになりました。
落ち着いて、ペントハウスのテラスに出ると、270度、大西洋が見える絶景でした。夕日がちょうど落ちてきて、海を輝く赤に染めあげます。
景色は最高。
(つづく)