写真は中国の南西部・硯山市付近で近年まで他地域と隔絶した暮らしをしていた苗族の村の子供。赤ちゃん時代を過ぎると農村の子供は立派な働き手に。就学前の子供でも子守などの仕事を当たり前のようにこなしていた。
【パンダのミルクは外国製】
中国の乳製品市場は「戦国時代」に突入しています。内蒙古自治区の中心都市・フフホトに本拠を持つ「伊利」と「蒙牛」が、絶対的なブランド力で地方の乳製品会社をなぎ倒している印象。
今回、牛乳でメラニンが検出されたという上記2社と上海に本拠を持つ「光明」だけで中国の牛乳市場の7割を占め、そのなかで「蒙牛」が、その5割以上を独占するという寡占ぶりです。
そもそも「光明」は1949年の中華人民共和国の成立とともに生まれた老舗企業。52年にのちに国家主席となる江沢民が工場長に就任し、ブランドを確立。2002年に上海証券取引所に上場されました。しかし熾烈な競争のなかで、2005年には「三鹿」に売上高が抜かれてしまいます。
一方、「伊利」は「改革開放」の波にのって93年に設立された民営企業です。96年に上海証券取引所に上場し、長らく売上高で中国乳業界のトップに君臨しています。
「蒙牛」は98年に「伊利」副総裁が数人の部下とともに独立し、99年に設立した新興企業。その後、急伸を遂げ、2003年には純利益では「伊利」を抜き、業界1位となっています。同年香港株式市場に上場し、注目株となりました。
またメラニンによる腎臓結石赤ちゃんを多数生み出した、黒竜江省の「三鹿集団」は、粉ミルクメーカーでは中国トップ企業です。
このような激しいつばぜり合いを演じる乳業界ですが、問題は以前から起きていました。2003年には必要な栄養がまったく不足した粉ミルクによって、栄養失調になった乳幼児の死亡事件が河南省を中心に起きています。このときは名もない小企業が起こしたものでした。
この反省をもとに2005年3月25日付け「第一財経日報」では乳幼児の粉ミルクに関する規制法を施行する予定と発表。しかし、法制化が進まないなかで、今度は2007年に北京で「大腸菌汚染粉ミルク」事件が起き、さらに今回、となったわけです。
大人たちの拝金主義の影で、もっとも弱い存在の、赤ちゃんばかりが犠牲となっています。ちなみに娘が通った昆明の幼稚園では毎朝、どんぶり1杯の豆乳が出ていました。また中国の至宝であるパンダの赤ちゃん用粉ミルクは外国製ということです。
【激増する需要と温家宝首相の思い】
これらメラニン混入事件の原因の一つには急速に伸びる乳製品需要があるでしょう。
独立法人農畜産業農政機構の「畜産の情報」2007年3月の特別レポートによると、アメリカ農務省が発表した統計では、中国の最近10年間(96年から2006年)で、搾乳牛頭数(牛乳を出す牛の数)が3.9倍、生乳生産量が5.6倍にも増加しています。
また内蒙古自治区に限ると2000年から2004年の5年間で牛(雄も含めて)の頭数が年間10.0%しか伸びていないのに、生乳生産量(牛のみ)は年間平均58.0%も伸びています。
この驚異的な急伸についてレポート作成者の長谷川敦、谷口清、石丸雄一郎氏らは疑問を抱き、「これまで把握できなかった部分の数値が統計に表れてきた可能性などもあるのではないかと推察される」と述べています。
おそらく牛乳生産量が需要に追いつかないため、文字通り「水増し」する。そこで薄まった乳製品でも国の検査ではタンパク質含有量を窒素量で測定するため、窒素密度の高い「メラミン」を入れて検査をパスする、という構図が大企業の指示でできあがったのではないでしょうか。
さらに、もう一つ。
温家宝首相が2006年4月23日、視察先の重慶市の乳牛農場のノートに「私には夢がある。それはすべての中国人、まず子供たちが、毎日500グラムの牛乳を飲むことだ」と記し、大きく報道されたことがあります。これが酪農関係者のスローガンとなり、乳業の発展にますます拍車をかけていくきっかけとなったようです。いや、夢はすばらしい。
でも中国の人口は桁外れなので、小中学生だけでも2億人以上、日本の全人口をはるかに超えています。ですから、この夢を本気で実現しようとすると、たとえメラミン入りで水増しされた現在の中国の生乳生産量でも、今なお、まったく足りない事態となってしまいます。中国のトップが語る言葉の重みは日本よりはるかに重い、というわけです。
【パンダのミルクは外国製】
中国の乳製品市場は「戦国時代」に突入しています。内蒙古自治区の中心都市・フフホトに本拠を持つ「伊利」と「蒙牛」が、絶対的なブランド力で地方の乳製品会社をなぎ倒している印象。
今回、牛乳でメラニンが検出されたという上記2社と上海に本拠を持つ「光明」だけで中国の牛乳市場の7割を占め、そのなかで「蒙牛」が、その5割以上を独占するという寡占ぶりです。
そもそも「光明」は1949年の中華人民共和国の成立とともに生まれた老舗企業。52年にのちに国家主席となる江沢民が工場長に就任し、ブランドを確立。2002年に上海証券取引所に上場されました。しかし熾烈な競争のなかで、2005年には「三鹿」に売上高が抜かれてしまいます。
一方、「伊利」は「改革開放」の波にのって93年に設立された民営企業です。96年に上海証券取引所に上場し、長らく売上高で中国乳業界のトップに君臨しています。
「蒙牛」は98年に「伊利」副総裁が数人の部下とともに独立し、99年に設立した新興企業。その後、急伸を遂げ、2003年には純利益では「伊利」を抜き、業界1位となっています。同年香港株式市場に上場し、注目株となりました。
またメラニンによる腎臓結石赤ちゃんを多数生み出した、黒竜江省の「三鹿集団」は、粉ミルクメーカーでは中国トップ企業です。
このような激しいつばぜり合いを演じる乳業界ですが、問題は以前から起きていました。2003年には必要な栄養がまったく不足した粉ミルクによって、栄養失調になった乳幼児の死亡事件が河南省を中心に起きています。このときは名もない小企業が起こしたものでした。
この反省をもとに2005年3月25日付け「第一財経日報」では乳幼児の粉ミルクに関する規制法を施行する予定と発表。しかし、法制化が進まないなかで、今度は2007年に北京で「大腸菌汚染粉ミルク」事件が起き、さらに今回、となったわけです。
大人たちの拝金主義の影で、もっとも弱い存在の、赤ちゃんばかりが犠牲となっています。ちなみに娘が通った昆明の幼稚園では毎朝、どんぶり1杯の豆乳が出ていました。また中国の至宝であるパンダの赤ちゃん用粉ミルクは外国製ということです。
【激増する需要と温家宝首相の思い】
これらメラニン混入事件の原因の一つには急速に伸びる乳製品需要があるでしょう。
独立法人農畜産業農政機構の「畜産の情報」2007年3月の特別レポートによると、アメリカ農務省が発表した統計では、中国の最近10年間(96年から2006年)で、搾乳牛頭数(牛乳を出す牛の数)が3.9倍、生乳生産量が5.6倍にも増加しています。
また内蒙古自治区に限ると2000年から2004年の5年間で牛(雄も含めて)の頭数が年間10.0%しか伸びていないのに、生乳生産量(牛のみ)は年間平均58.0%も伸びています。
この驚異的な急伸についてレポート作成者の長谷川敦、谷口清、石丸雄一郎氏らは疑問を抱き、「これまで把握できなかった部分の数値が統計に表れてきた可能性などもあるのではないかと推察される」と述べています。
おそらく牛乳生産量が需要に追いつかないため、文字通り「水増し」する。そこで薄まった乳製品でも国の検査ではタンパク質含有量を窒素量で測定するため、窒素密度の高い「メラミン」を入れて検査をパスする、という構図が大企業の指示でできあがったのではないでしょうか。
さらに、もう一つ。
温家宝首相が2006年4月23日、視察先の重慶市の乳牛農場のノートに「私には夢がある。それはすべての中国人、まず子供たちが、毎日500グラムの牛乳を飲むことだ」と記し、大きく報道されたことがあります。これが酪農関係者のスローガンとなり、乳業の発展にますます拍車をかけていくきっかけとなったようです。いや、夢はすばらしい。
でも中国の人口は桁外れなので、小中学生だけでも2億人以上、日本の全人口をはるかに超えています。ですから、この夢を本気で実現しようとすると、たとえメラミン入りで水増しされた現在の中国の生乳生産量でも、今なお、まったく足りない事態となってしまいます。中国のトップが語る言葉の重みは日本よりはるかに重い、というわけです。