(注)本シリーズ1~9回は「MY LIBRARY(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。
7.生産割り当て(Quota)制度
OPECが初めて国別生産割当(Quota)制度を導入したのは1982年3月の第63回臨時総会である 。総会では同年4月以降原油生産の上限を1,715万B/D(注1)とすることが決定された。その背景には1979年の第二次オイルショックにより40ドル近くまで急騰した価格が急速に下落する様相を見せたこと、さらには全世界の石油の消費量が減少する中でOPEC自体のシェアがかつての50%から30%にまで低下したためである(図「地域別生産量とOPEC生産比率の推移」http://menadatabase.hp.infoseek.co.jp/2-D-2-95aOilProduction1965-.gif参照)。
(注1) サウジアラビア、イラン、イラク、UAE、クウェイト、カタール、アルジェリア、リビア、ナイジェリア、ベネズエラ及びインドネシア11カ国の合計値。なお当時加盟国であったエクアドル及びガボンを含めると1,800万B/D。以下特に注記のない場合は11カ国の割当量を示す。
第一次オイルショックでその存在をまざまざと見せつけ、その後も石油価格を意のままに操ってきたOPECの市場支配力に陰りが見え始めたのである。OPECは今一度結束して価格支配力を取り戻すべくQuota制度を導入した。このQuota制度はその後の度重なる試練をくぐり抜け、現在では「Quota」から「Allocation」という穏やかな呼び名が使われているものの、その本質は変わっていない。
OPECはQuota制度により市場の支配権を取り戻すことができたのか? それには二つのケースを検証する必要がある。一つはOPEC総会が価格のさらなる下落を防ぐために生産量の削減を決議した場合、それによって価格が下げ止まり或いは反発したかどうかである。そしてもう一つのケースは需給がひっ迫し価格が上昇傾向を見せる中でOPEC総会の決議する増産によって価格が安定したかどうかである。そしてそのいずれの場合においても総会で決議された減産又は増産の割当量を各国が順守すること、即ち加盟国の抜け駆け行為のないことが重要な鍵となる。これらの条件が満たされた時、OPECは市場の支配権を取り戻したと言えよう。
そこでOPECの生産割当量、実生産量、輸出量及び原油の市場価格の四つのデータの推移を検証する。ここではQuota制度が始まった1982年から2005年までの23年間についてOPEC自身の統計資料(OPEC Annual Statistical Bulletin)及びWTI原油の年間平均価格(ドル/バレル)を比べてみた。(図http://menadatabase.hp.infoseek.co.jp/2-D-2-73OpecQuotaProdExp.gif参照)
これによっていくつかの興味ある事実を読み取ることができる。まず1982年のQuota制度発足後、価格下落に対応して84年に生産割当が150万B/D削減されたが(1,715万B/D→1,568万B/D)、この間の実生産量は割当量とほぼ同量であった。これは一見するとOPEC各国が生産割当を順守しているかに見えるが、実際にはサウジアラビアがスウィング・プロデューサーとして減産をほぼ一手に引き受けていたのである(前回「ヤマニ石油相の栄光と凋落」参照)。ところが1986年に同国がスウィング・プロデューサーの役割を放棄するとOPECの実生産量は総会決議の割当量を上回り、その結果原油価格は一挙に14ドルまで暴落するのである。
1990年代に入ると世界の石油需要が順調に伸びたことによりOPECはQuotaを引き上げ実生産量も、輸出量も年々漸増した。需要と供給のバランスにより価格は20ドル前後でほぼ安定した。石油はかつての「戦略商品」から「市場商品(Commodity)」とみなされるようになった。これはOPECにとっては石油収入が安定し、また欧米先進国によるOPEC敵視政策が薄らいだという二重の意味で好ましい状況だったと言える。
しかし1996年以降も石油の需要が増えるとみたOPECがQuotaを1998年1月にそれまでの2,500万B/Dから一挙に2,750万B/Dに引き上げると(注2)、途端にアジア向け指標原油であるドバイ原油の価格は10ドルを割り、年間平均WTI原油価格も12ドルに暴落した。OPECはあわててQuotaを次々と引き下げ2000年4月には2,100万B/D(イラク除く)まで落とした。これによって価格は1998年の12ドルから99年に21ドル、2000年には34ドルへと急回復した。
(注2) 同年4月の総会でイラクが生産割当の対象外となり、これ以降割当量は10カ国の合計値となっている。
ただOPEC加盟国の中にはこのような大幅なQuotaの削減について行けず抜け駆け生産を行った国が少なくない。と言うのは生産割当量から国内消費量を差し引けば輸出量を大幅に削減せざるを得ないのであるが、それは歳入の殆どを石油の輸出に頼るOPEC加盟国にとっては自殺行為だったからである。各国の経済は1980年代のオイルブームで膨張したままであり、経済をブーム以前の状態まで引き締めるのはもはや不可能だった。
こうしてOPEC加盟国がQuotaを公然と無視する傾向が2000年以降ますます強くなったのである。OPEC組織にはQuota破りに対する強制力も罰則規定もない。QuotaはOPEC内部に対しては拘束力が薄れ、外部から見ればOPECの名ばかりのゼスチャーと映るようになったのである。OPECのQuota制度は総会でまず全体枠を決め、それをQuota開始当時の各国割当量に比例配分する方式であり、各国の最新の生産能力を考慮したものではなかった。そのため例えば生産能力が停滞した上に国内消費が増え輸出余力のなくなったインドネシアなどは2004年には与えられた枠の生産ができないどころか純輸入国に転落する有様であった(同国は結局2009年にOPECの正式メンバーからはずれた)。
幸いにも2000年以降世界景気が上昇に転じ石油の消費量も増えたため、2005年のOPEC生産枠 は2,800万B/Dという過去最高の生産水準を誇り全世界の生産量に占める割合は45%に回復している。そして価格も大幅に上昇したためOPEC各国は膨大なオイル・マネーを手にすることができた。最近の原油価格は2008年7月に147ドルまで暴騰、その後同年末には30ドルに急落、そして現在は70-80ドル台とジェットコースターのような乱高下を示している。しかし年間平均価格は2008年92ドル、2009年54ドルであり、OPEC各国に巨額のオイル・マネーが流れ込んでいる事実に変わりはない。OPEC各国にとって50年の歴史の中で今ほど幸せな時代は無いのである。
(続く)
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