シリアのアサド政権崩壊により同政権の二つの暗部が明らかになった。それは刑務所における数十万人の市民に対する拷問と虐殺、及び政権の資金源となった合成麻薬の製造販売網である。
その1:大量墓地が暴露したアサドの「死の機械」
(原題) Syrian mass graves expose Assad’s ‘machinery of death’
https://www.arabnews.com/node/2583455/middle-east
2024/12/17 Arab News(ロイター電)
シリア、クタイファ:国際戦争犯罪検察官は火曜日、シリアの2か所の大規模埋葬地から出てきた証拠は、アサド大統領の下で2013年以来10万人以上が拷問され殺害されたことを明らかにしたと述べた。
ダマスカス近郊のクタイファとナジャの町にある2つの大量墓地を訪問した元米国戦争犯罪特使のスティーブン・ラップ氏はロイター通信に対し、「拷問されて死亡した人は10万人以上いるのは確かだ。これらの大量墓地で目にしたものを考えると、そのような数字に疑問はない」、 「ナチス以来、このようなことは本当に見たことがない」と語っている。ラップ氏はルワンダとシエラレオネの戦争犯罪法廷で訴追を指揮しており、戦争犯罪の証拠を記録し、将来行われる裁判の準備に協力している。
さらにラップ氏は、「人々を街や家から消した秘密警察から、人々を餓死させ拷問して死に至らしめた看守や尋問官、死体を隠したトラック運転手やブルドーザーの運転手まで、何千人もの人々がこの殺害システムで働いていた。それは死の機械となった国家テロシステムです」。と語っている。
アサド大統領による抗議活動の取り締まりが本格的な戦争に発展した2011年以来、数十万人のシリア人が殺害されたと推定されている。アサド大統領と前任大統領で2000年に死去した父のハフェズ氏は、同国の刑務所内での大量処刑やシリア国民に対する化学兵器の使用など、法外な殺害を広範囲に行っているとして、人権団体や政府から長い間非難されてきた。これに対しモスクワに逃亡したアサド氏は、政権が人権侵害を犯したことを何度も否定し、批判者を過激派とみなしたのであった。
米国に拠点を置くシリア支援団体「シリア緊急タスクフォース」のムアズ・ムスタファ代表は、ダマスカスの北25マイル(40キロ)にあるクタイファも訪問し、そこだけで少なくとも10万体の遺体が埋葬されていると推定している。
ハーグにある国際行方不明者委員会は、シリアには未確認の大量墓地が66カ所ある可能性を示唆するデータを受け取ったと発表した。同委員会には15万7千人以上の行方不明者が報告されている。
同委員会のキャサリン・ボンバーガー委員長はロイター通信に対し、行方不明者報告用のポータルサイトには家族からの新たな連絡が殺到していると語った。
家族にとって、シリアでの真実の探求は長く困難なものになる可能性がある。DNAの一致には、少なくとも3人の親族がDNAのサンプルを提供し、墓地で見つかったこれらの白骨遺体からDNAサンプルを採取する必要があるとボンバーガー氏は述べた。同委員会は、裁判に備えて証拠を保存できるよう墓地を保護することを求めている。米国務省は火曜日、シリア国民が確実に回答と説明責任を得られるよう、米国は国連の複数の機関と連携していると述べている。
クタイファとナジャの墓地の近くに住むシリア住民は、冷蔵トラックが次々と遺体を運び、ブルドーザーで掘った長い溝に遺体を投棄するのを見たと証言している。「墓は組織的に準備されていた。トラックが来て、積んでいた荷物を降ろして去っていく。警備車両も同行していたが、誰も近づくことは許されず、近づいた者は皆、一緒に埋葬された」とナジャ墓地の隣で農業を営むアブ・ハリドさんは語った。
クタイファでは、住民は報復を恐れてカメラの前で話すことや名前を明かすことを拒否し、アサド政権崩壊後もこの地域が安全かどうかまだ確信が持てないと述べた。「ここは恐怖の場所だ」と、ある住民は語った。セメントの壁で囲まれた敷地内では、3人の子供がロシア製の軍用車両の近くで遊んでいた。土は平らにならされており、遺体が埋葬されたと思われる場所にはまっすぐな長い跡があった。
ロイターが分析した衛星画像によると、この場所では2012年から2014年の間に大規模な掘削が始まり、2022年まで続いた。その時期に撮影した複数の衛星画像には、掘削機と大きな溝、そして3台か4台の大型トラックが写っていた。
ナジャ墓地の近くに住む元反アサド抗議運動指導者のオマール・フジェイラティ氏は、行方不明の家族の何人かが墓の中にいるのではないかと語った。彼は、2人の息子と4人の兄弟を含む、少なくとも何人かの連行された人々は、アサド政権に抗議したために拘束されたと考えている。「それが私が問われた罪であり、彼らが家族を連行した理由です」と彼は言った。彼の背後には、遺体が埋葬されたと思われる長い露出した溝があった。
シリアの大量墓地の詳細は、2021年と2023年のドイツの法廷審問と米国議会の証言で初めて明らかになった。「墓掘り人」とだけ特定された男性は、シリア政府関係者に対するドイツの裁判で、ナジャとクタイファの墓地での自分の仕事について証人として繰り返し証言した。2011年末、ダマスカス周辺の墓地で働いていたとき、2人の諜報員が彼のオフィスに現れ、彼と彼の同僚に死体を運び埋葬するよう命じた。彼は、2011年から2018年の間、アサドの写真が飾られたバンに乗って週に数回現場に行き、その後を遺体を満載した大型冷蔵トラックが続いたと証言した。
彼は裁判で、トラックは軍病院からナジャとクタイファまで数百体の遺体を運んだと述べた。現場ではすでに深い溝が掘られており、墓掘り人とその同僚は溝に遺体を降ろし、溝の一部がいっぱいになるとすぐに掘削機で土で覆ったと彼は語った。
「毎週2回、ダマスカス周辺の軍病院や諜報機関から、拷問、飢餓、処刑の犠牲者の遺体300~600体を積んだトレーラートラック3台が到着した」と同氏は議会に文書で述べた。この墓掘り人は2018年にシリアからヨーロッパに逃亡し、集団墓地について繰り返し証言しているが、常に身元は一般市民やメディアから隠されている。
以上
https://www.arabnews.com/node/2583455/middle-east
2024/12/17 Arab News(ロイター電)
シリア、クタイファ:国際戦争犯罪検察官は火曜日、シリアの2か所の大規模埋葬地から出てきた証拠は、アサド大統領の下で2013年以来10万人以上が拷問され殺害されたことを明らかにしたと述べた。
ダマスカス近郊のクタイファとナジャの町にある2つの大量墓地を訪問した元米国戦争犯罪特使のスティーブン・ラップ氏はロイター通信に対し、「拷問されて死亡した人は10万人以上いるのは確かだ。これらの大量墓地で目にしたものを考えると、そのような数字に疑問はない」、 「ナチス以来、このようなことは本当に見たことがない」と語っている。ラップ氏はルワンダとシエラレオネの戦争犯罪法廷で訴追を指揮しており、戦争犯罪の証拠を記録し、将来行われる裁判の準備に協力している。
さらにラップ氏は、「人々を街や家から消した秘密警察から、人々を餓死させ拷問して死に至らしめた看守や尋問官、死体を隠したトラック運転手やブルドーザーの運転手まで、何千人もの人々がこの殺害システムで働いていた。それは死の機械となった国家テロシステムです」。と語っている。
アサド大統領による抗議活動の取り締まりが本格的な戦争に発展した2011年以来、数十万人のシリア人が殺害されたと推定されている。アサド大統領と前任大統領で2000年に死去した父のハフェズ氏は、同国の刑務所内での大量処刑やシリア国民に対する化学兵器の使用など、法外な殺害を広範囲に行っているとして、人権団体や政府から長い間非難されてきた。これに対しモスクワに逃亡したアサド氏は、政権が人権侵害を犯したことを何度も否定し、批判者を過激派とみなしたのであった。
米国に拠点を置くシリア支援団体「シリア緊急タスクフォース」のムアズ・ムスタファ代表は、ダマスカスの北25マイル(40キロ)にあるクタイファも訪問し、そこだけで少なくとも10万体の遺体が埋葬されていると推定している。
ハーグにある国際行方不明者委員会は、シリアには未確認の大量墓地が66カ所ある可能性を示唆するデータを受け取ったと発表した。同委員会には15万7千人以上の行方不明者が報告されている。
同委員会のキャサリン・ボンバーガー委員長はロイター通信に対し、行方不明者報告用のポータルサイトには家族からの新たな連絡が殺到していると語った。
家族にとって、シリアでの真実の探求は長く困難なものになる可能性がある。DNAの一致には、少なくとも3人の親族がDNAのサンプルを提供し、墓地で見つかったこれらの白骨遺体からDNAサンプルを採取する必要があるとボンバーガー氏は述べた。同委員会は、裁判に備えて証拠を保存できるよう墓地を保護することを求めている。米国務省は火曜日、シリア国民が確実に回答と説明責任を得られるよう、米国は国連の複数の機関と連携していると述べている。
クタイファとナジャの墓地の近くに住むシリア住民は、冷蔵トラックが次々と遺体を運び、ブルドーザーで掘った長い溝に遺体を投棄するのを見たと証言している。「墓は組織的に準備されていた。トラックが来て、積んでいた荷物を降ろして去っていく。警備車両も同行していたが、誰も近づくことは許されず、近づいた者は皆、一緒に埋葬された」とナジャ墓地の隣で農業を営むアブ・ハリドさんは語った。
クタイファでは、住民は報復を恐れてカメラの前で話すことや名前を明かすことを拒否し、アサド政権崩壊後もこの地域が安全かどうかまだ確信が持てないと述べた。「ここは恐怖の場所だ」と、ある住民は語った。セメントの壁で囲まれた敷地内では、3人の子供がロシア製の軍用車両の近くで遊んでいた。土は平らにならされており、遺体が埋葬されたと思われる場所にはまっすぐな長い跡があった。
ロイターが分析した衛星画像によると、この場所では2012年から2014年の間に大規模な掘削が始まり、2022年まで続いた。その時期に撮影した複数の衛星画像には、掘削機と大きな溝、そして3台か4台の大型トラックが写っていた。
ナジャ墓地の近くに住む元反アサド抗議運動指導者のオマール・フジェイラティ氏は、行方不明の家族の何人かが墓の中にいるのではないかと語った。彼は、2人の息子と4人の兄弟を含む、少なくとも何人かの連行された人々は、アサド政権に抗議したために拘束されたと考えている。「それが私が問われた罪であり、彼らが家族を連行した理由です」と彼は言った。彼の背後には、遺体が埋葬されたと思われる長い露出した溝があった。
シリアの大量墓地の詳細は、2021年と2023年のドイツの法廷審問と米国議会の証言で初めて明らかになった。「墓掘り人」とだけ特定された男性は、シリア政府関係者に対するドイツの裁判で、ナジャとクタイファの墓地での自分の仕事について証人として繰り返し証言した。2011年末、ダマスカス周辺の墓地で働いていたとき、2人の諜報員が彼のオフィスに現れ、彼と彼の同僚に死体を運び埋葬するよう命じた。彼は、2011年から2018年の間、アサドの写真が飾られたバンに乗って週に数回現場に行き、その後を遺体を満載した大型冷蔵トラックが続いたと証言した。
彼は裁判で、トラックは軍病院からナジャとクタイファまで数百体の遺体を運んだと述べた。現場ではすでに深い溝が掘られており、墓掘り人とその同僚は溝に遺体を降ろし、溝の一部がいっぱいになるとすぐに掘削機で土で覆ったと彼は語った。
「毎週2回、ダマスカス周辺の軍病院や諜報機関から、拷問、飢餓、処刑の犠牲者の遺体300~600体を積んだトレーラートラック3台が到着した」と同氏は議会に文書で述べた。この墓掘り人は2018年にシリアからヨーロッパに逃亡し、集団墓地について繰り返し証言しているが、常に身元は一般市民やメディアから隠されている。
以上
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