(英語版)
(アラビア語版)
(目次)
プロローグ(2)
002.スエズ運河グレート・ビター湖の会談(2/2)
そしてもう一つルーズベルトにはアブドルアジズの支援を取り付けたい外交問題があった。それはパレスチナにおけるユダヤ人とアラブ人の紛争を回避するための支援である。第一次大戦中に英国がユダヤ側とアラブ側それぞれに約束したバルフォア宣言とフセイン・マクマホン協定によりユダヤ人もアラブ人もパレスチナの土地を巡って独立運動を強めており、両者の対立はもはや抜き差しならない状況になりつつあった。
とは言えルーズベルト以前の大統領時代から米国の一貫した方針はユダヤ人の移民と入植を支援することであった。ルーズベルトは会談前にも折に触れてアブドルアジズに書簡を送り、土地と移民をめぐるユダヤ人とアラブ人の衝突をいかにして軽減するかについて国王の助言を求めた。しかし米国同様アブドルアジズ国王の方針も一貫しており、紛争を回避する方法はパレスチナへのユダヤ人の移民を止める以外にない、というのがアブドルアジズ国王の回答であった。
将来に困難な問題を含みつつも両者の会談は非常に友好的なものであった。アブドルアジズはアラビア半島制圧の度重なる戦闘により満身創痍、足を引きずる身であったが、1メートル90センチの巨躯は見る者を圧倒し、カリスマ的指導者の風格があった。さらに彼は表裏の無い宗教的な生活を送っており、それらのことからルーズベルトはアブドルアジズに人種や宗教の偏見を超え個人的な親しみを感じたようである。
会談後、ルーズベルトはこう力説している。
「アラブ対ユダヤの問題については、サウジアラビア国王との話し合いによって、これまで幾度となく国務省からの文書で知らされてきた以上の、より得難い多くの内容を、たった1回の会談から得ることができた[i]。」
なおルーズベルト大統領は帰国後、連合国の勝利を目前にした4月12日に脳卒中のため現職大統領のまま63歳の若さで亡くなっている。ルーズベルトとアブドルアジズの会談は第二次大戦後最初の歴史的意義の大きい「西と東の出会い(West meets East)」なのであった。
(続く)
荒葉一也
(From an ordinary citizen in the cloud)
前節まで:http://ocininitiative.maeda1.jp/EastOfNakbaJapanese.html
[i] 同上P79
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