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プロローグ(3)
003.ヨーロッパとアジアをつなぐ中東(1/3)
世界六大陸の中で最大のユーラシア大陸(Eurasia)はその英語名が示す通りヨーロッパ(Euro)とアジア(Asia)を合成した言葉である。それではヨーロッパとアジアの境界がどこかと言えば、境界線の一つが現在のトルコのボスポラス海峡であるとするのがほぼ常識的な見方であろう。ボスポラス海峡の西側がイスタンブールであり、海峡の対岸にあるウスクダラはアジアの入り口となる。日本が建設したボスポラス大橋は、まさにヨーロッパとアジアを結ぶ架け橋なのである。そしてウスクダラからトルコの首都アンカラのあるアナトリア高原一帯は「小アジア」と呼ばれている。
アジアの呼称は15世紀に始まる「大航海時代」に当時のスペイン、ポルトガル、オランダそしてイギリスの各国が使い始めたものである。これらヨーロッパ諸国は、現在のインドからインドネシアに至る広大な海域で互いに貿易の覇権を競い植民地支配を強めていくが、この過程でアジアという地理的概念が確立されていった。それはヨーロッパ側からの一方的な決めつけであり、彼らがアジアと一括りにした広大な地域の住民は自分たちが一つのアジアであると認識していたわけではない。早い話、日本人の全てがイスラムを信奉するアラブ人を同じアジアの人間と考えているとはとても思えない。
ところが中東の人々は日本も自分たちと同じアジアとみなしている。中東の人々が極東の国々を同じアジアとみなすのは、近代になりヨーロッパあるいはその流れをくむアメリカによって世界秩序が形成される過程で彼らの定義を押し付けられ刷り込まれた結果であることは間違いない。各種スポーツ競技の世界予選の区分けを見れば一目瞭然である。サッカー・ワールドカップの「アジア地区予選」は極東の日本から中東各国までまたがっている。つまりヨーロッパ人は自分たちが「ヨーロッパ」と決めた地域以外は十把一絡げに「アジア」と決めつけたのである。
(続く)
荒葉一也
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