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第2章 戦後世界のうねり:
061ゲリラになるか?難民になるか? 彷徨えるパレスチナ人(2/4)
PLOの中にはファタハの穏健路線に満足しないパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などの急進派もいた。PFLPはマルクス・レーニン主義を掲げ「テロに訴えてでもパレスチナに世界の耳目を集める」ことを目指しヨルダン国内からイスラエルに出撃した。当初はヨルダン政府自身も攻撃部隊を送り込んだが、その都度イスラエルの手痛い反撃を受けた。イスラエルに対する戦闘に勝ち目がないことを悟ったフセイン国王は米国に仲介を依頼、イスラエルとの和平と言う現実外交に舵を切り替えようとした。PLOはこれを裏切り行為ととらえ、ハシミテ王家を転覆しヨルダンに共和国を建設することを目論んだ。PLOはヨルダン国内では王家転覆、国外ではイスラエル打倒を目指し内外のテロ活動を活発化させた。
このころからすでにPLOとその傘下のPFLPによる過激なテロ活動はヨルダンの一般国民のみならずパレスチナ人の間にも拒否反応が生まれていた。そして1970年9月にPFLPが5機の民間旅客機を同時ハイジャックする事件を起こすに及んで、堪忍袋の緒が切れたヨルダン国王フセインは遂にPLO排除に乗り出し、ここに「黒い9月」と呼ばれるヨルダン内戦が発生する。大衆の支持を失ったPLOは内戦に敗れ本拠をベイルートに移すこととなる。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com
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