石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇6

2016-06-24 | BP統計

(OPECは生産シェアにこだわるのか!)

(3)石油生産量の推移とOPECシェア(1965~2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-2-G02.pdf 参照。)

1965年の世界の石油生産量は3,180万B/Dであったが、その後生産は急速に増加し、1980年には6,296万B/Dとほぼ倍増した。その後価格の高騰により石油の消費は減少した結果、1985年の生産量は5,746万B/Dにとどまった。1980年代は石油の生産が歴史上初めて長期にわたり減退した時期であった。

 

 1990年代に入ると石油生産は再び右肩上がりに増加し始めた。そして1995年(6,800万B/D)以降急激に伸び2000年に7,492万B/D、2005年は8千万B/Dを突破して8,190万B/Dに達している。これは中国、インドなど新興経済国の消費量が急増したことが主たる要因である。その後2000年代後半は原油価格の急騰とそれに続く景気後退で石油生産の増加は一時的に鈍化したが、2010年代は再び増勢に転じ2015年の生産量は9,167万B/Dに達している。

 

 地域毎のシェアの変化を見ると、1965年は北米の生産量が32%でもっとも多く、中東26%、欧州・ユーラシア18%、中南米14%、アフリカ7%と続き、アジア・大洋州は3%とシェアが最も小さかった。しかしその後北米の生産が停滞する一方、中東及び欧州・ユーラシア(特にロシア及び中央アジア各国)が急成長したため、現在(2015年)では中東のシェアが33%と最も高い。北米は1980年代には欧州・ユーラシア地区にも追い抜かれ2000年代半ばまでその状態が続いたが2015年のシェアは21%となり再び欧州・ユーラシア(19%)を上回っている。これはシェール・オイルの生産が急増したためである。

 

 石油生産に占めるOPEC加盟国のシェアの推移を見ると、1965年は44%であり、第一次オイルショック(1973年)前には50%近くに達した。しかし80年代前半にシェアは急落し85年には30%を切った。その後80年代後半から90年代前半にシェアは回復し、95年以降は再びシェアは拡大して40%台のシェアを維持している。但し2005年のシェア(43%)をピークに2015年は42%とやや下がっている。

 

 昨年後半から石油価格が急落する中でOPECは価格よりもシェアを重視する方針を打ち出している。これは近年急激に生産を拡大してきた米国のシェール・オイルの追い落とし策と考えられる。このため今年に入ってOPECのシェアは上昇したものと思われる。さらに昨年のOPEC総会でインドネシアが、また今年6月の総会でガボンの再加入がそれぞれ認められた結果、数字上のOPEC加盟国の世界シェアはアップする。しかし原油価格の下落に直撃されていずれのOPEC加盟国も財政状況が極めて厳しい。したがってOPEC加盟国がいつまでもシェア維持で結束できるかは疑問である。またインドネシアはかなり以前から石油の純輸入国であり、OPEC「石油輸出国機構」の名にそぐわない。今やOPECは内外でその存在意義が問われているようである。

 

 世界の石油生産の今後について需要と供給の両面で見ると、石油と他のエネルギーとの競合の面では、地球温暖化問題に対処するため太陽光、風力などの再生可能エネルギーの利用促進が叫ばれている。さらに石油、天然ガス、石炭の炭化水素エネルギーの中でもCO2排出量の少ない天然ガスの人気が高い。このように石油の需要を取り巻く環境は厳しいものがある。その一方、中国、インドなどのエネルギー需要は今後も拡大するとする見方が一般的である。基幹エネルギーである石油の需要は底堅く、今後も増えていくものと予測される。

 

 供給面で特筆すべきことはシェール・オイル、サンド・オイルなど「非在来型」と呼ばれる石油が商業ベースで生産されるようになり、特に米国におけるシェール・オイルの生産には目を見張るものがある。このような技術的要因に対して政治的・経済的な要因についてはイランに対する経済制裁が緩和され同国の生産は急速に回復している。その一方でリビア、ナイジェリア、イラク等の有力産油国の治安悪化など相反する要因がある。また経済的には石油価格の変動が及ぼす要因がある。特に米国のシェール・オイルは石油価格に敏感に反応し、スイング・プロデューサーの役割を果たすと考えられており供給面における不確定要素は少なくない。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

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消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇5

2016-06-23 | BP統計

 

2.2015年の世界の石油生産量

(世界の石油生産量の3分の1を占める中東地域!)

(1)  地域別生産量

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-2-G01.pdf 参照)

 2015年の世界の石油生産量は日量9,167万バレル(以下B/D)であった。これを地域別でみると中東が3,010万B/Dと最も多く全体の33%を占めている。その他の地域については北米1,968万B/D(22%)、欧州・ユーラシア1,746万B/D(19%)、アフリカ838万B/D(9%)、アジア・大洋州835万B/D(9%)、中南米771万B/D(8%)である。2013年までは欧州・ユーラシアの生産量が北米を上回っていたが、現在では北米が中東に次ぐ世界第二位の石油生産地域になっている。

 

 各地域の生産量と埋蔵量(石油篇1参照)を比較すると、埋蔵量のシェアが生産量のシェアより高い地域は中東及び中南米であり、その他の地域(北米、欧州・ユーラシア、アフリカ、アジア・大洋州)は生産量のシェアが埋蔵量のシェアよりも高い。例えば中東は埋蔵量では世界の47%を占めているが生産量は33%に過ぎない。中南米も埋蔵量シェア19%に対し生産量シェアは8%である。一方、北米及び欧州・ユーラシアの場合、埋蔵量シェアがそれぞれ14%、9%に対して生産量のシェアは22%及び19%である。またアジア・大洋州も生産量シェアが埋蔵量シェアを6ポイント上回っている。このことから地域別に見て将来の石油生産を維持又は拡大できるポテンシャルを持っているのは中東及び中南米であることが読み取れる。

 

(2014年に続き米国が生産量世界一、米、サウジアラビア、ロシアの3か国でトップを競う!)

(2)  国別生産量

(表http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-2-T01.pdf 参照)

 次に国別に見ると、最大の石油生産国は米国である。同国の2015年の生産量は1,270万B/Dであり、第2位はサウジアラビア(1,201万B/D)、これに次いでロシアが1,098万B/Dで第3位である。かつて1980年代の旧ソ連時代にはロシアが世界最大の産油国であり、その後1990年代以降20年近くはサウジアラビアが世界一に君臨し、2010年代に入ると両国が世界トップを争う形であった。しかし2013年以降米国の生産量は急激に増加しロシア、サウジアラビアを追い抜き、2014年にはついに世界一の産油国に躍り出た。生産量が1千万B/Dを超えるのはこれら3カ国だけであり、3か国が世界に占めるシェアは4割弱の39%に達する。

 

 4位と5位にはカナダ(439万B/D)と中国(431万B/D)が並び6位以下はイラク(403万B/D)、イラン(392万B/D)、UAE(390万B/D)およびクウェイト(310万B/D)の中東産油国が並んでいる。イランは欧米の禁輸措置により輸出量が激減しており、2011年の4位から2012年6位、2013年から2015年までは7位と順位が落ちている。これに対しライバルのイラクの生産量は既にイラク戦争前を上回る生産水準に回復し、イランをしのぐ6位につけている。但しイランは禁輸措置が解除され今年に入ってから生産量が急激に上昇、最近の生産量は禁輸前に並ぶ水準に達している。

 

 10位以下はベネズエラ(263万B/D)、11位メキシコ(259万B/D)、12位ブラジル(253万B/D)、13位ナイジェリア(235万B/D)と続き、以上の国々が生産量200万B/D以上の産油国である。

 

(続く)

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月22日)

2016-06-22 | 今日のニュース

・原油価格下落、Brent は1.9% downの $49.67, WTIは 2.2%downの $48.27

・サウジの4月原油輸出744万B/D、昨年10月以来の低水準

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(25)

2016-06-22 | 中東諸国の動向
第3章:アラーの恵みー石油ブームの到来
 

3.歴史の表舞台に躍り出たサウジアラビア
 サウジアラビアはサウド家が支配するアラビア半島の王制国家である。そもそも「サウジアラビア」とは「サウド家のアラビア」という意味であり、半島中央部ネジド砂漠に住むサウド一族の族長アブドルアジズがアラビア半島を制圧して1932年に建国した比較的歴史の新しい国家である。
 
 それまでのアラビア半島はイスラームの聖都マッカ、マディナのある紅海沿岸あるいは交易で栄えたペルシャ(アラビア)湾沿岸だけがオスマントルコの支配下にあり、内陸部の砂漠地帯とそこに住む遊牧民ベドウィンはオスマントルコの関心の対象外であった。
 
 事態が動いたのは1871年のスエズ運河の開通に始まるイギリス(大英帝国)とオスマントルコの衝突である。大英帝国はスエズ運河によりインド亜大陸から東南アジアにかけて点在する植民地へのアクセスが格段に向上したが、それとともに地域の覇者オスマントルコとの対立が表面化した。第一次世界大戦で両国が戦火を交えることになると英国は半島内陸部のベドウィンを味方に引き入れた。そして1940年のダンマン油田発見によりサウジアラビアは歴史の表舞台に躍り出たのである。その後世界最大の陸上油田ガワール、同じく世界最大の海上油田サファニア等が相次いで発見され、同国は世界のエネルギー大国に発展して行く。
 
 サウジアラビアの石油を発見したのはシェブロンを筆頭とする米国系石油会社4社であったが、当時は第二次世界大戦の真っ只中であり開発と生産は大戦後に本格化する。ヤルタ会談の直後当時のルーズベルト大統領がわざわざアブドルアジズ国王を訪ねたことは(プロローグ1.「スエズ運河グレート・ビター湖の会談」参照)、石油が戦後世界の覇権争いの重要なファクターであったことを示している。
 
 ただ当時のアブドルアジズ初代国王とその息子サウド(第二代国王)は石油の本当の価値に気付いていなかった。彼らは米国の石油会社が支払う利権料だけで満足し、会社がその何倍もの利益を懐に入れるのを見過ごしていた。利権料は王とその一族を潤すに十分であり、一般の国民に石油の富を分配することなど念頭になかった。特に第二代サウド国王の生活は乱脈を極め国家財政を危機に追いやった。
 
 1964年、サウドが退位し名君ファイサルが第3代国王に即位した。ファイサルはサウジアラビアを近代国家に衣替えするため、道路、港湾、都市計画などのインフラ整備、或いは教育、医療の近代化に取り組んだ。この頃、世界経済は戦後復興の道を歩みはじめ基幹エネルギーとしての石油の消費はうなぎのぼりになり、産油国の存在感が増してきた。
 
ファイサル国王は唯一の財源である石油収入を増やす必要性を痛感、腹心のヤマニ石油大臣に欧米石油企業と交渉させた。巨大な国際石油企業セブンシスターズとの交渉はサウジアラビア一国だけでは不可能である。ハーバード大学で法律の学位を取得したアハマド・ザキ・ヤマニはOPECの中心人物として欧米石油企業との交渉に当たった。当初セブンシスターズは産油国の要求など歯牙にもかけず、条件改定交渉は困難を極めたが、粘り強い交渉の結果、1964年のOPECジャカルタ総会では利権料の経費化を、また1966年のクウェイト会議では課税基準を公示価格とするなど、地道ではあるが着実な成果をあげた。
 
 サウジアラビアはセブンシスターズとの直接交渉に加えもう一つの戦略を推し進めた。セブンシスターズの息のかかっていない石油企業、或いは石油を大量に必要としている消費国に未開発の鉱区の利権を直接与えることであった。国内の鉱区の殆どはすでに米国系セブンシスターズが押さえていたが、未開発の鉱区がただ一つ残っていた。クウェイトとサウジアラビアの中間地帯に広がる「中立地帯」である。北側のクウェイトにはすでに生産中の巨大なブルガン油田があり、また南側のサウジアラビアも陸上のガワール油田、そして海上のサファニア油田が操業中であり、両者に挟まれた中立地帯で石油が見つかる可能性が極めて高いと考えられた。
 
 海上鉱区の開発に手を挙げたのが日本であった。事業家精神旺盛な山下太郎は石坂泰三、小林中など当時の財界の重鎮を担ぎ上げ、1958年に石油開発の利権を獲得した。こうして設立されたのが「アラビア石油」である。同社は2年後に首尾よく石油を掘り当てペルシャ湾のカフジに生産出荷基地を建設する。
 
 石油基地を運営するためには建設作業員のみならず事務員、技術者など多数の現地従業員が必要である。会社は広くアラブ人を求めた。ヨルダンからクウェイトに移り住んでいたパレスチナ人シャティーラ家の長男アミンは大学を卒業、当時24歳の若者であった。シャティーラ家に限らず故郷を追われ各地を転々とするパレスチナ人たちは教育だけが子供に残してやれる財産だと考え、いずれも教育に熱心であった。アミンはアラビア石油の採用募集に応募し1961年、一家と離れ独身のままカフジに赴任した。
 
(続く)
 
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 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
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消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇(4)

2016-06-21 | BP統計

BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2016」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。

 

(世界の石油の7割はOPECに!)

(5)OPECと非OPECの比率

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-1-G04.pdf 参照)

 既に述べた通り2015年末の国別石油埋蔵量ではベネズエラとサウジアラビアが世界1位、2位であるが、両国は共にOPECのメンバーである。また両国の他にイラン、イラク、クウェイト、UAE及びリビアが石油埋蔵量の上位10カ国に名を連ねている(「1.世界の石油の埋蔵量と可採年数」参照)。実にベストテンのうち7カ国がOPEC加盟国であり、非OPECで世界ベストテンに入っているのは3位カナダ、6位ロシア及び9位米国の3カ国だけである。OPEC全加盟国の埋蔵量を合計すると1兆2千億バレルに達し、世界全体(1.7兆バレル)の71%を占めている。

 

 加盟国の中にはベネズエラ、イラン、イラクのように埋蔵量の公表数値に水増しの疑いがある国もあるが(前項参照)、統計上で見る限りOPECの存在感は大きい。OPECは6月の総会で生産目標を決議できないまま漂流状態になっているが、将来の生産能力を考えた場合埋蔵量の多寡が決定的な意味を持ってくる。この点からOPEC加盟国の埋蔵量が世界全体の7割以上を占めていることはOPECが将来にわたり石油エネルギーの分野で大きな存在感を維持すると言って間違いないであろう。OPEC加盟国の間でもベネズエラ、イラン、イラクなどが埋蔵量の多寡に拘泥するのはその延長線上だと考えられる。

 

 OPEC対非OPECの埋蔵量比率を歴史的に見ると、1980年末はOPEC62%に対し非OPECは38%であった。その後この比率は1985年末にOPEC66%、非OPEC34%、さらに1990年末にはOPEC74%に対し非OPEC26%とOPECの比率が上昇している。これは1970年代の二度にわたる石油ショックの結果、1980年代に需要の低迷と価格の下落が同時に発生、非OPEC諸国における石油開発意欲が低下したためである。

 

 1990年代末から2000年初めにかけて世界景気が回復し、中国・インドを中心に石油需要が急速に伸び価格が上昇した結果、ブラジル、ロシア・中央アジアなどの非OPEC諸国で石油の探鉱開発が活発となり、2000年末にはOPEC65%、非OPEC35%と非OPECの比率が再度上昇している。しかし2005年以降はOPECのシェアが2005年末68%、2015年末71%と1990年代前半と同じ水準に達している。これはベネズエラが2008年から2010年にかけて自国の埋蔵量を3倍以上増加させたことが最大の要因である。

 

 前項(3)で取り上げたようにOPEC3カ国(ベネズエラ、イラン、イラク)と非OPEC2カ国(米国、ブラジル)は2000年以降いずれも埋蔵量が増加している。しかし両グループの性格は全く異なることを理解しなければならない。ベネズエラなどOPEC3カ国の埋蔵量は国威発揚と言う動機が働いて水増しされているものと推測されるが、政府が石油産業を独占しており水増しの有無を検証することは不可能である。

 

 これに対して石油産業が完全に民間にゆだねられている米国、或いは国際石油企業との共同開発が一般的なブラジルのような国では埋蔵量を水増しすることはタブーである。何故ならもし水増しの事実が露見すれば当該石油企業は株主訴訟の危険に晒されるからである。かつてシェルが埋蔵量を大幅に下方修正して大問題となったが、私企業としては決算時に公表する埋蔵量は細心の注意を払った数値でなければならないのである。

 

 ただ一般論としては埋蔵量に常にあいまいさがつきまとうのは避けられない。本レポートで取り上げたBPの他にも米国エネルギー省(DOE)やOPECも各国別の埋蔵量を公表している。しかしいずれも少しずつ数値が異なる。埋蔵量そのものを科学的に検証することが困難であると同時にそれぞれの査定に(たとえ米国の政府機関と言えども)政治的判断が加わる。結局「埋蔵量」とは掴みどころの無いものとしか言いようがないのである。

 

(石油篇埋蔵量完)

 

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        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月20日)

2016-06-20 | 今日のニュース

・米国のリグ稼働数3週連続で増加、6/17現在で337基

・カタール、ポーランドにLNG初輸出

 

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消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇(3)

2016-06-20 | BP統計

BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2016」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。

 

(2000年の1.8倍になった米国の埋蔵量!)

(4)8カ国の国別石油埋蔵量の推移(2000-2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-1-G03.pdf 参照)

 ここではOPEC加盟国のベネズエラ、サウジアラビア、イラン、イラク及びUAEの5カ国にロシア、米国、ブラジルを加えた計8カ国について2000年から2015年までの埋蔵量の推移を追ってみる。

 

ベネズエラは2015年末の埋蔵量が3,009億バレルであり世界で唯一3,000億バレルを超える埋蔵量を保有している。同国が世界一になったのは5年前の2010年からである。2000年当時の同国の埋蔵量は現在の4分の1の768億バレルにすぎず、サウジアラビアはもとよりイラン、イラク、UAEよりも少なかった。ところが同国は2007年に埋蔵量を994億バレルに引き上げると翌2008年にはさらに2倍弱の1,723億バレルとしたのである。そして続く2009年、2010年にも連続して大幅に引き上げ、それまで世界のトップであったサウジアラビアを抜き去り石油埋蔵量世界一の国となった。

 

しかし世界の石油関係者たちの中にはベネズエラの発表数値に疑問を持つ者が少なくない。埋蔵量の上方修正が2006年のチャベス大統領(当時)の再選以来顕著になっていることから、同大統領が国威発揚を狙って数値を意図的に水増ししている可能性が否定できないのである。埋蔵量が多いことは将来の増産余力があることを示しているため、OPEC強硬派と言われるベネズエラがサウジアラビアなどのOPEC穏健派諸国に対抗し、さらには世界最大の石油消費国米国を牽制する意図もうかがわれるのである。油価の暴落により同国は財政破綻の危機に直面しており、最近はサウジアラビア、ロシアなどの主要産油国を巻き込んで原油の増産を抑え価格を上昇させることに躍起になっている。南米一の産油国ベネズエラが今後どのような石油政策をとるのかが注目される。

 

実はベネズエラのように国威発揚のため埋蔵量を引き挙げているOPEC産油国は他にもある。それは互いの対抗心から埋蔵量を競い合っているイランとイラクである。2000年末の埋蔵量はイラク1,125億バレル、イラン995億バレルであったが、2002年にはイランが1,307億バレルに上方修正しイラクを逆転した。その後2009年までその状態が続いたが、2010年にイランが再度上方修正し、イラクとの差を広げると、イラクは2011年に埋蔵量を見直し、結局2015年末の埋蔵量はイラン1,578億バレル、イラク1,431億バレルでその差は100億バレル強である。

 

イラクはサダム政権の時代、そしてイランは核開発問題を巡り国際社会の経済制裁を受けて共に石油開発は殆ど進展しなかった。このような中で両国が度々埋蔵量を上方修正した理由は互いのライバル意識で順位を競い合ったからとしか説明がつかないのである。OPEC加盟国であるベネズエラ、イランおよびイラクの埋蔵量数値は信ぴょう性が疑わしいと言わざるを得ない。

 

 これに対して同じOPEC加盟国でもサウジアラビアやUAEの公表値は全く変化していない。両国とも1990年末に改訂して以来現在まで埋蔵量は殆ど変化していない。2015年末の埋蔵量はサウジアラビアが2,666億バレル、UAEは978億バレルであり20年以上横ばい状態である。ただし横這いと言う意味は毎年、生産量を補う埋蔵量の追加があったことを意味している。例えばサウジアラビアの場合は1990年から2015年までの生産量は900~1,000万B/Dであり年率に換算すると33~37億バレルであるから、これと同量の埋蔵量が追加されてきたことになる。これは毎年超大型油田を発見しているのと同じことなのである。UAEについても同じことが言える。サウジアラビアもUAEも探鉱開発では古い歴史があり国内には石油のフロンティアと呼べる場所は殆ど見当たらない。にもかかわらず両国が埋蔵量を維持できた理由は、一つは既開発油田からの回収率をアップしたことであり、もう一つは既存油田の下の深部地層に新たな油田を発見したためである。

 

 非OPECのロシア、米国及びブラジルの3カ国も2000年末と2015年末を比較するとロシアは漸減傾向にあり、米国とブラジルは増加している。即ち2000年末の埋蔵量はロシア1,121億バレル、米国304億バレル、ブラジル85億バレルに対し、2015年のそれはロシア1,024億バレル、米国550億バレル、ブラジル130億バレルでありロシアは2000年当時より1割減少しており、一方、米国は1.8倍、ブラジルも1.5倍近い伸びである。特に米国の場合は2009年末までは横ばい状態を続け、2010年に350億バレルに上方修正され、以後2014年まで毎年大きく増加している。これはシェールオイルの開発が軌道に乗ったためである。

 

 (続く)

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月18日)

2016-06-18 | 今日のニュース

・2015-2020年の石油探鉱・開発投資、1兆ドル減少:Wood Mackenzie。投資回復予測のGoldman Sachsと好対照

 

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今週の各社プレスリリースから(6/5-6/11)

2016-06-18 | 今週のエネルギー関連新聞発表

6/15 昭和シェル石油    会社分割による潤滑油事業の分社化の方針に関するお知らせ 
6/15 国際石油開発帝石    幹部社員の人事異動について 

6/17 出光興産    ロイヤル・ダッチ・シェルからの昭和シェル石油株式会社の株式 (33.3%議決権比率)の取得時期並びに昭和シェル石油株式会社との 統合スケジュールに関するお知らせ  
6/17 昭和シェル石油    出光興産株式会社との統合スケジュールに関するお知らせ  
6/17 東燃ゼネラル石油    2016 年 東燃ゼネラル児童文化賞・音楽賞 受賞者決定のお知らせ  
6/17 BP    BP and Rosneft create joint venture to develop prospective resources in East and West Siberia 

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BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇2

2016-06-17 | その他

BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2016」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。

 

2.1980年~2015年の埋蔵量と可採年数の推移

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-1-G02.pdf 参照)

 各年末の可採埋蔵量は、[ 前年末埋蔵量 + 新規発見(又は追加)埋蔵量 - 当年中の生産量]、の数式で表わされる。従って埋蔵量が停滞することは新規発見又は追加埋蔵量と当年の生産量が均衡状態にあることを示し、また可採年数が短くなることは石油資源が枯渇に近づいていることを示している。

 

(三度にわたる埋蔵量増加の波、石油価格と密接に関連!)

(1)埋蔵量の推移

  1980年以降世界の石油埋蔵量はほぼ一貫して増加してきた。1980年代後半に埋蔵量が大幅に増えたのは1979年の第二次オイルショックで石油価格が高騰したことにより80年代前半に石油開発に拍車がかかり、その成果が現れた結果だと考えられる。1990年代に入ると毎年の追加埋蔵量と生産量(=消費量)がほぼ均衡し、確認埋蔵量は横ばいの1兆バレルで推移した。2000年代前半には埋蔵量は1.3兆バレル台にアップし、後半は埋蔵量の増加に拍車がかかって、2008年から2010年末まで毎年1千億バレルずつ増加してきた。しかし2011年以降は1.7兆バレル前後で横ばい状態にある。

 

2000年代は中国、インドなど開発途上国の経済が拡大し、それにつれて石油需要がほぼ毎年増加している。それにもかかわらず各年末の埋蔵量が増加したのは石油価格が上昇して石油の探鉱開発のインセンティブが高まった結果、新規油田の発見(メキシコ湾、ブラジル沖、中央アジア等)のほか非在来型と呼ばれるシェール・オイルの開発或いは既開発油田の回収率向上により消費量を上回って埋蔵量が増加したためと考えられる。

 

過去35年間の埋蔵量の推移を俯瞰すると1980年代に増加した後、90年代は停滞、90年代末から2000年代前半に埋蔵量は再び増加し、2000年代半ばに一旦停滞した。そして2008年から2010年にかけて3度目の増勢を示した後、3度目の停滞期に入っているようである。現在石油価格は多少回復したとはいえ50ドル前後に低迷しており、産油国および石油企業は油田の開発投資を大幅に抑制している。また米国のシェールオイルも生産停止が相次いでいる。一方、世界景気は低迷しているものの石油の消費量は毎年着実に増加している。

 

従って今後数年間は埋蔵量が漸減する現在の傾向が続くと思われる。しかしながら石油の開発あるいは生産増強投資は原油価格の上昇に敏感に反応するため、中長期的な埋蔵量がどの様に変化するか見通すことはかなり難しい。ただ、BP統計からは埋蔵量の増加と停滞のサイクルが短くなっていると言う事実を読み取ることができよう。

 

(昨年の可採年数は50.7年、問題含みの下落の兆候!)

(2) 可採年数の推移

可採年数(以下R/P)とは埋蔵量を同じ年の生産量で割った数値で、現在の生産水準があと何年続けられるかを示している。オイルショック直後の1980年は埋蔵量6,800億バレルに対し同年の生産量は6,300万B/D(年換算230億バレル)であり、R/Pはわずか30年にすぎなかった。しかし1990年代にはR/Pは40年台前半で推移し、1999年以後の10年間は40年台後半に伸び、2009年末のR/Pはついに50年を突破した。そして2015年末の埋蔵量は1兆7千億バレル(上記)に対し生産量は9,200万B/D(年換算335億バレル。なお生産量は次章で改めて詳述する)で、R/Pは50.7年である。

 

石油のR/Pは過去30年以上伸び続け、1980年の30年から2013年の54年へと飛躍しているのである。この間に生産量は6,300万B/Dから8,700万B/Dへ40%近く増加しているのに対して埋蔵量は6,800億バレルから1兆7千億バレルと2.5倍に増えている。過去30年の間毎年7~9千万B/D(年換算約250~320億バレル)の石油を生産(消費)しながらもなお埋蔵量が2.5倍に増えているという事実は石油が地球上で次々と発見され(あるいは技術の進歩によって油田からの回収率が向上し)ていることを示しているのである。

 

かつて石油の生産が限度に達したとするオイル・ピーク論が声高に叫ばれ、石油資源の枯渇が懸念された時期があった。理論的には石油を含む地球上の炭化水素資源は有限である。しかし生産量を上回る新規埋蔵量の追加とそれによるR/Pの増加が示すように、現在の技術の進歩を考慮すると当面石油資源に不安は無いと言って間違いないのである。

 

現代における問題はむしろ人為的なリスクであろう。人為的なリスクとは例えばイラン問題に見られるような地政学的なリスクであり、或いは治安が不安定なイラク、リビア、ナイジェリアのような産油国の国内リスク、さらには国際的な投機筋の暗躍による市場リスクなのである。

 

(続く)

 

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        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

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