石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

減少に転じた埋蔵量:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(石油+天然ガス篇4)

2016-09-21 | BP統計

(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0389BpOilGas2016.pdf

 

(石油と天然ガスを合わせた可採年数は52年!)

(4)可採年数の推移(1980~2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/3-1-G04.pdf 参照)

 可採年数(以下R/P)とは埋蔵量を同じ年の生産量で割った数値で、現在の生産水準があと何年続けられるかを示したものであるが、2015年末の石油と天然ガスの合計埋蔵量を同年の合計生産量(次章参照)で割ると、石油・天然ガス全体の可採年数は51.6年となる。

 

 1980年から2015年末までの推移をみると、1980年の可採年数は35年であった。この年の石油の可採年数は30年、天然ガスは50年であり、石油と天然ガスの間には20年の差があった。当時、石油の埋蔵量は天然ガスの1.5倍であったが、石油の生産量が天然ガスの2.5倍であったため石油の可採年数が低く、石油と天然ガスを合わせた可採年数も石油に近い数値となったのである。

 

 その後、1980年代は石油、天然ガスの埋蔵量は共に増加したが、生産に関しては天然ガスが伸びる一方(天然ガス篇2-(3)参照)石油は停滞したため(石油篇2-(3)参照)、石油の可採年数が伸び、天然ガスのそれは停滞した。1990年代は石油、天然ガス共に可採年数は横這いとなり、両者を平均した可採年数も40年台後半で推移した。2000年代に入り可採年数は2002年に54年のピークを記録した後、2006年には49年に下がり、2011年末には再び55年と緩やかな波を打っている。

 

 この間に石油と天然ガスの可採年数は収斂する方向にあり、2011年末は石油55年、天然ガス56年と殆ど差がない。1980年のそれが石油30年、天然ガス50年であったことと比べると大きな変化であり、これは石油と天然ガスが同じ化石エネルギーとして相対優位の市場原理で取引されるようになっていることと無関係ではないであろう。

 

 2011年以降可採年数は漸減傾向にあり、2015年末の可採年数は石油51年、天然ガス53年、石油と天然ガスを合わせた平均可採年数は52年となっている。近年の可採年数の減少は世界的な油価の低迷およびヨーロッパ、中国の景気低迷により石油・天然ガスの開発意欲が減退していることが大きな理由であろう。

 

(石油+天然ガス篇 埋蔵量完)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(9月19日)

2016-09-21 | 今日のニュース

・OPEC事務局長警告:石油産業の投資、昨年-26%、今年-22%削減で原油供給に赤信号

・ナイジェリア、石油無許可輸出容疑でShell、Totalなど石油企業に127億ドル請求

・サウジ、7月の石油輸出量762万B/Dに増大

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(38)

2016-09-21 | 中東諸国の動向

第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)

 

2.ヒジュラ暦1400年(西暦1980年)前後

 西暦622年7月16日に始まったヒジュラ暦は西暦1979年11月21日にヒジュラ1400年1月(ムハッラム月)1日を迎えた。ヒジュラ暦14世紀最後の年である。ヒジュラの14世紀は西暦1883年に始まっている。前回説明した通りヒジュラ暦の1年は西暦より111日前後短いから1世紀の長さも西暦に比べ4年ほど短いことになる。

 

 19世紀以前キリスト信仰が篤かった西欧諸国では1世紀の終焉に対する畏怖心、恐怖心が様々な迷信を呼び起こしたが、20世紀近代科学の時代になるとさすがにそのようなことは無くなり、西暦1999年から2000年に暦が変わる時にコンピューターの「2000年問題」が騒がれた程度である。

 

 ムスリムもヒジュラ暦1400年についてとやかく騒いだ訳ではない。そもそも彼らはラマダンやハジ(大巡礼)のような月々の行事には敏感であったが、年の移り変わりには余り頓着しない。従ってヒジュラ暦1400年(西暦1980年)をヒジュラの14世紀から15世紀に移る年としてことさら強調するのは避けるべきかもしれない。しかしこの年の前後に中東イスラーム諸国で相次いで大きな出来事が発生したことは歴史的な事実である。

 

 例えばヒジュラ1399年(西暦1978年)にはエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が米国大統領の仲介で歴史的なキャンプデービッド会談を行い、二人はその年のノーベル平和賞を受賞、翌年両国の平和条約が締結された。しかしこれは他のアラブ諸国の反発を招き、エジプトはアラブ連盟から除名される。エジプトは和平の見返りとしてアラブ・イスラムの盟主の座を追われたのである。

 

 翌1979年(ヒジュラ暦1400年、以下わかりやすいため西暦で表す)1月にイラン革命が発生、7月にはイラクのサダム・フセインが大統領に就任、エジプトに代わるアラブ盟主の座を狙う。8月にはサウジアラビアでマッカ神殿占拠事件が発生、サウド家を震撼させた。そして翌1980年(ヒジュラ暦1401年、すなわちヒジュラ15世紀の最初の年)には9月にイラン・イラク戦争が発生、イランのホメイニ師がイスラームという宗教の盟主を目指し、他方イラクのサダム・フセインはエジプトに代わるアラブ民族の盟主を目指して宗教と民族が地域の覇権を競う。

 

 この時、サダム・フセインはこの戦争をイスラームのシーア派とスンニ派の争いと規定し同じスンニ派のサウジアラビアなど湾岸産油国から軍資金を引き出した。しかしサダム・フセインのイラクもサウド家のサウジアラビアなど湾岸の君主制国家も実態は世俗国家そのものである。イラン・イラク紛争は宗派間の争いではなかった。緒戦で苦戦したイランで国民の志願兵が雲霞のごとく戦場に繰り出したのは宗教的使命感に駆られたイラン国民がアラブ人の世俗国家に戦いを挑んだ「聖戦(ジハード)」と見るのが正しい。

 

 サダム・フセインはスンニ派ではあるがイラク南部には多数のシーア派住民が住んでおり、イラク全体でみてもシーア派の方が多い。サウジアラビア、クウェイト、バハレーンのスンニ派君主制国家も国内に多数のシーア派を抱えており、バハレーンは人口の大半がシーア派である。イランのホメイニ師がこれらシーア派住民に蜂起を呼びかけたことで各国は危機感を募らせた。湾岸6か国が1981年(ヒジュラ暦1402年)にGCC(湾岸協力機構)を結成したのはとりもなおさずシーア派住民が蜂起して君主体制を打倒するのではないかという恐怖心に駆られたからに他ならない。フセインはイラン・イラク戦争に宗派対立の構図を持ち込んで湾岸産油国を戦争に巻き込んだ。GCC諸国はフセインの術策に陥ったとも言えるのである。

 

 イラン・イラク戦争勃発と同じ年の12月にはソ連がアフガニスタンに侵攻しアフガン戦争が勃発している。1980年代、すなわちヒジュラ14世紀の最後の10年間はこれら二つの戦争が続いた時代であった。

 

 このようにヒジュラ暦という尺度で歴史的事件を並べてみると、ヒジュラ暦1400年前後は中東イスラーム世界の大きな地殻変動、パラダイムシフトの時代であったと言えよう。その原動力はイスラームという宗教である。ヒジュラ15世紀の最初の10年の間(西暦1980~1989年)にムスリムたちはイスラームの教えに反する敵対勢力、背教者たちとの闘いを開始した。最初の敵が無神論の共産主義者アフガニスタン中央政府との闘いであった。その後現在に至るヒジュラ15世紀前半は、ムスリムの戦いはスンニ派対シーア派というイスラーム二大勢力の対立からイスラーム穏健勢力と原理主義が対立する構図となり、さらに今日ではイスラム国(IS)と呼ばれるカリフ制の仮想国家が既存の世俗国家に戦いを挑んでいる。

 

 日本の一向一揆のように宗教の鎧をまとった運動は始まったが最後どんどん過激化して行くものである。現代のイスラム運動もその様相を色濃く帯びている。この運動は過激の極に達し、大衆の支持を失ったときに自滅して終焉する。仏教思想では「盛者必滅」ということになる。ただ争いがいつ終焉するかはわからない。まさに「神(アッラー)のみぞ知る」である。

 

(続く)

 

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       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

       Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

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減少に転じた埋蔵量:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(石油+天然ガス篇3)

2016-09-20 | BP統計

(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0389BpOilGas2016.pdf

 

(2015年は過去25年間で初めて埋蔵量が減少!)

(3)1990年~2015年までの合計可採埋蔵量の推移

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/3-1-G03.pdf 参照)

 1990年末の世界の石油と天然ガスの埋蔵量はそれぞれ1兆275億バレルと109兆㎥(石油換算6,880億バレル)で合計埋蔵量は1兆7,155億バレルであった。因みに両者の構成比率は石油60%、天然ガス40%であるが、この比率は2015年まで殆ど変っていない。

 

 1990年代を通じて埋蔵量は年率1~2%で漸増、1999年には対前年比8.2%と大幅に増加して合計埋蔵量は2兆バレルを突破した。2002年に2.3兆バレル記録した後、数年間は低い増加率にとどまったが、2007年以降は再び増加傾向を回復、2015年には石油1.7兆バレル、天然ガス187兆㎥(石油換算1.2兆バレル)の合計2.88兆バレルに達した。但し2015年はわずかではあるが前年を下回り、過去25年間で初めて埋蔵量が減少している。ちなみに2015年の埋蔵量は1990年の1.7倍である。

 

 1990年から2015年までの過去25年間の平均成長率は1.9%である。次項(可採年数)に述べるとおり埋蔵量を生産量で割った可採年数は2010年まではほぼ一貫して上向いており、それ以降は漸減傾向を示している。このことから最近は石油及び天然ガスの探鉱・開発活動が低調に推移し、埋蔵量の追加が生産量の増加に追いついていないことを示している。

 

 これは最近の石油価格の下落により石油企業の業績が悪化、各社とも石油・天然ガスの上流部門の投資が削減されたことが大きな理由であろう。

 

(続く)

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(9月19日)

2016-09-19 | 今日のニュース

・OPEC事務局長:今月の産油国アルジェ非公式会合で合意に達すればOPEC臨時会合開催も

 

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BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油+天然ガス篇(2)

2016-09-18 | BP統計

(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0389BpOilGas2016.pdf

 

(世界一の埋蔵量を誇るイラン!)

(2)国別の石油・天然ガス合計埋蔵量

(表http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/3-1-T01.pdf参照)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/3-1-G02.pdf 参照)

 埋蔵量を国別に見ると、原油と天然ガスの合計埋蔵量が最も多い国はイランの3,718億バレル(以下いずれも石油換算)であり、世界全体の13%を占めている。イランは石油埋蔵量では世界4位(1,578億バレル)であり、天然ガスの埋蔵量(34兆㎥、石油換算2,140億バレル)は世界一位である。

 

 イランに続くのがベネズエラ、サウジアラビア及びロシアであり、それぞれの埋蔵量はベネズエラ3,362億バレル(内訳、石油3,009億バレル、天然ガス353億バレル)、サウジアラビア3,189億バレル(石油2,666億バレル、天然ガス524億バレル)、ロシア3,054億バレル(石油1,024億バレル、天然ガス2,030億バレル)である。4カ国は原油と天然ガスの比率が各国により大きく異なっている。イランは原油と天然ガスの比率が42%対58%で比較的バランスが取れているが、ベネズエラは原油の比率が89%と圧倒的に高く、サウジアラビアも原油84%に対して天然ガスは16%に過ぎない。これに対してロシアは逆に原油34%対天然ガス66%であり、天然ガスの埋蔵量が原油の2倍近い。

 

 原油と天然ガスの埋蔵量の比率で見ると、イランのように両者のバランスが比較的均等な国には米国(原油46%対天然ガス54%)があり、ベネズエラ或いはサウジアラビアのように原油の比率が高い国はカナダ、イラク、UAE、クウェイトなどである。一方ロシアのように天然ガスの比率が高い国にはカタール、トルクメニスタンなどがある。

 

 ロシアに次いで埋蔵量が世界で五番目に多いのはカナダの1,847億バレル(原油1,722億バレル、天然ガス125億バレル)である。これに続く6位以下の国とその埋蔵量はカタール(合計:1,800億バレル、石油:257億バレル、天然ガス:1,543億バレル、以下同じ)、イラク(1,663億バレル、1,431億バレル、232億バレル)、UAE(1,361億バレル、978億バレル、383億バレル)、米国(1,206億バレル、550億バレル、657億バレル)、クウェイト(1,127億バレル、1,015億バレル、112億バレル)、トルクメニスタン(1,105億バレル、6億バレル、1,099億バレル)の順である。

 

 注目すべきことは同じGCC産油国でも天然ガスが豊富なカタールに対してUAE、クウェイトは少ない。これらの国はいずれも発電或いは海水淡水化プラントの燃料として国内の天然ガスの需要が大きい。このためUAE、クウェイトなどは夏場にピークを迎える電力・水のために天然ガスを輸入しなければならないのが実情である。また世界一の石油輸出国であるサウジアラビアでもガス不足は深刻な問題であり国内ガス田の開発が急がれている。

 

(続く)

 

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BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油+天然ガス篇(1)

2016-09-15 | BP統計

(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0389BpOilGas2016.pdf

 

(石油と天然ガスは一体として考えるべきである!)

はじめに

 BPの「BP Statistical Report of World Energy 2016」をもとに本シリーズで石油及び天然ガスの埋蔵量、生産量及び消費量(天然ガスについては貿易量も含む)のデータを抜粋して解説したが、最後に石油と天然ガスを合わせた形でその埋蔵量、生産量及び消費量についての解説を試みる。

 

 石油と天然ガスは常温常圧の状態で前者が液体、後者が気体の違いはあるものの本来は同じ炭化水素資源である。石油は運搬・貯蔵等の利便性に優れ、また用途としては燃料用のほか、石油化学原料にもなるため古くから広く利用されてきた。

 

 これに対して天然ガスは主成分がメタン単体であるため燃料として使用されることがほとんどであり、石油化学原料(メタノール、エチレンなど)としての利用は広く普及していない。加えて天然ガスは大気中への拡散を防ぐため密閉状態で運搬しなければならない。このため従来は生産地から消費地までのパイプラインが必要であった。しかし運搬・貯蔵方法としてガスを極低温で液化するLNGの製法が普及した結果、遠く離れた消費地に大量のガスを供給するLNG貿易が確立した。世界的なエネルギー消費の増大に対して天然ガスは石油の代替エネルギーとして需要が拡大している。さらに天然ガスは石油に比較してCO2の発生量が少ないため環境問題の観点からも強い需要がある。

 

 石油と天然ガスはそれぞれの発展度合いの違いにより現在も別々に取り扱われることが多いが、エネルギーとして見れば両者は殆ど変わらないのである。石油生産国の多くは天然ガス生産国でもあり、また石油消費国も同時に天然ガスの消費国である。生産国と消費国はそれぞれが石油と天然ガスのベストミックスを探っている。

 

 本稿では石油と天然ガスを合わせた埋蔵量、生産量及び消費量についてBPのデータをもとに解説を試みることとする。なお天然ガスから石油への換算率は10億立方メートル(以下㎥)=629万バレル(1兆㎥=62.9億バレル)として計算した。

 

 

1.世界の石油と天然ガスの埋蔵量

(2015年末の石油・天然ガスの合計可採埋蔵量は石油換算で2.9兆バレル!)

(1)2015年末の石油と天然ガスの合計埋蔵量

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/3-1-G01.pdf参照)

 2015年末の世界の石油埋蔵量は1兆7千億バレルであるが、これに対して天然ガスの埋蔵量は187兆㎥であり、これは石油に換算すると1兆1,750億バレルである。石油の埋蔵量が天然ガスより約5千億バレル多く、両者を合わせた合計埋蔵量は2兆8,730億バレルとなる。

 

 埋蔵量を地域別に見ると、中東は1兆3,069億バレルであり、世界全体の埋蔵量の45%を占めている。続く欧州・ユーラシアは5,124億バレル(18%)であり、この両地域で世界の埋蔵量の63%を占めている。その他の地域については中南米3,774億バレル(13%)、北米3,182億バレル(11%)、アフリカ2,175億バレル(8%)、アジア・大洋州1,410億バレル(5%)である。

 

 本シリーズの石油篇及び天然ガス篇で触れたそれぞれの地域別埋蔵量と比較すると、中東は石油埋蔵量が全世界の47%を占めているが、天然ガスのそれは43%であり、石油の比率が高い。これに対して欧州・ユーラシアの石油と天然ガスの埋蔵量はそれぞれ全世界の9%及び30%であり、天然ガスの比率が3倍以上である。

 

(続く)

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(9月14日)

2016-09-14 | 今日のニュース

・カタール、モザンビークのガス開発事業参加へENI、Exxonと交渉。 *

・IEA:石油価格は来年半ばまで弱含み

 

*モザンビークのガス開発鉱区図。

 http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/2-D-3-01Mozanbique.gif

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(37)

2016-09-14 | 中東諸国の動向
第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)
 
1.西暦に侵食されるヒジュラ暦
 イスラームの世界ではイスラームの暦(ヒジュラ暦)が今も生活の隅々に浸透し、市民の生活の歯車となっている。ヒジュラは預言者ムハンマドが、マッカからマディナに移住したことを意味しており日本語では「聖遷」と訳されている。この聖遷があった年がヒジュラ暦の始まりであり、西暦622年7月16日がヒジュラ元年1月1日である。
 
 ヒジュラ暦は新月から次の新月までの29日または30日を1か月とし、12か月を1年間とする純粋の太陰暦である。これに対して世界で使われているグレゴリオ暦(西暦)は太陽の動きをもとに、1年間を365日或いは366日とし、それを12で割った数値を1か月としている。したがってヒジュラ暦は西暦に比べ1年間の日数が10日ないし12日短い。
 
 日本でもかつては月の満ち欠けによる太陰暦が使われていたが(旧暦)、季節のずれを調整するために閏月(うるうづき)が設けられていた。しかしヒジュラ暦ではそのような操作は行われないため毎年季節が少しずつずれていくことになる。その結果断食月として知られるヒジュラ暦第9番目のラマダーン、或いはヒジュラ暦最後の12番目の月の恒例のマッカ大巡礼(ハッジ)が真夏になることもあれば真冬になることもある。ヒジュラ暦では30数年単位で季節が巡ることになる。西暦622年がヒジュラ元年であったが、今年(2016年)10月にヒジュラ暦は1438年を迎える。西暦622年から2016年までは1394年間であるが、ヒジュラ暦では1438年間であり暦の上では44年も先に進んでいることになる。
 
 イスラーム諸国と昔の日本が同じ太陰暦を使用しながら日本では閏月を設けて季節のずれを調整したのに対してヒジュラ暦では今も調整されない理由を考えると興味深い。そもそも毎日の月の満ち欠けを暦のベースにすることは、太陽が1年をかけて高低を繰り返し、日の出と日没がほんの少しずつ早くなったり遅くなったりする現象に比べて目に見えてわかりやすい。そしてもう一つイスラーム発祥の中東には月と太陽に対する特有の感覚の違いがあることが指摘できよう。日本のような温帯性気候の国では太陽は恵みであると考える。しかし灼熱の乾燥した砂漠が多い中東では太陽は時に死を意味する。それに対して穏やかな月夜は憩いの時である。アラブの人々は太陽よりも月を愛する。
 
 そして日本で季節のずれを調整するために旧暦に閏月を設けたのに対して中東イスラーム諸国があえて季節のずれを容認した理由は、前者が農耕社会であり、後者が牧畜社会だったからだと考えられる。農耕社会では種蒔きから収穫まで季節とともに移ろいゆく。太陽の動きと合わせなければならない。牧畜社会でも山野に牧草が生える季節、そして動物の繁殖期など季節と切り離すことはできないが、人手を加えなくても草は生え、家畜は子供を生む。だから牧畜民族は農耕民族ほど季節に敏感である必要はないのである。
 
 太陰暦にも暦に合わせたいろいろな行事がある。日本でいえば八十八夜、二百十日など数多くあるが、いずれも季節に合わせた行事であり、自然現象と密接に関連している。しかしヒジュラ暦の代表的な行事であるラマダン(断食)やハジ(マッカ大巡礼)はいずれも自然とは無関係な人間の行為であり、季節を問わない。
 
 季節とは無関係な経済活動について考えてみよう。経済活動は給料、支払決済など月単位のものが多い。しかしこの場合、一月の長さは太陽暦のそれと同じである必要はない。イスラーム世界の商人同士の間では一か月は新月から新月まで(或いは満月から満月まで)と決めれば良い話である。彼らはそれで不便は感じなかったはずである。
 
 こうして中東のイスラーム社会は1400年にわたり伝統の生活様式を守ってきた。しかしヒジュラ暦15世紀、すなわち西暦1980年前後からグローバリゼーションの波に巻き込まれ、年月の尺度を西暦に合わさざるを得なくなった。世界の国々を相手に取引を行うためには西欧諸国のデファクトスタンダード(事実上の世界標準)としての西暦制度に合わせることが必要不可欠となったのである。
 
 その最初の分野が金融の世界であろう。そこでは西暦の年度、月次、日次が取引の基準となる。そして取引日も月曜日から金曜日までである。これに対して中東イスラーム世界では木曜日と金曜日が休みであり、取引日は土曜日から水曜日までである。両者が重複するのは、月曜、火曜、水曜の3日間だけとなり極めて効率が悪い。西欧諸国が日曜日を安息日とするように、イスラーム諸国の安息日は金曜日であり、イスラーム諸国もこれだけは絶対譲れない。結局イスラーム側が歩み寄る形で、現在では中東イスラーム諸国は週休2日制を金曜と土曜に変更している。
 
 表面的には制度の変更でしかないが、ムスリム(イスラーム教徒)の心のリズムは狂い始めた。生活を律するヒジュラ暦とグローバリゼーションのため已む無く西暦に従わざるを得なくなった心の葛藤が穏健な一般市民の深層心理の中に生まれたのである。
 
 (続く)
 
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 荒葉一也
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ニュースピックアップ:世界のメディアから(9月12日)

2016-09-12 | 今日のニュース

・先週末の石油市場、Brent原油50ドル割る。Brent $48.01, WTI $45.88

・ロシア-トルコのガスパイプラインプロジェクト、10月合意に。 *

 

*図「ヨーロッパのガスパイプライン網」参照。

 

 

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