車の中でインターネットを活用する、ということについて考えてみた。
インターネット(WEBページ)は間違いなく人類が生んだ最高の暇つぶしの一つだ。もう一つと言われれば、テレビだろうか。
テレビとインターネットは、マルチメディアなコンテンツという意味では似ているが、その本質は大きく異なる。テレビは「放送」、俗に送りっ放しといわれるように一方通行のメディアである。自分のペースで楽しむことはそもそも出来ない。つまらない時に与えられる選択肢は、チャネルを変えるかスイッチを切るだけだ。
しかし、これが改善するべき欠点だとは思わない。テレビというメディアは、送られっぱなしを前提として漠然と、だらだらと見る物なのだ。その前提のもとで50年の月日を自然淘汰されながら生き残った番組が、今放送されているのだ。テレビは飯を食いながら、家族と話しながら、宿題をしながら見るメディアだ。
一方のインターネットは決して「ながら」メディアではない。
なんかしらの目的を持っていようがいまいが、凝視するメディアであるし、常に考えながらブラウズするメディアだ。一つの事柄に対して数多くの意見を短時間で知ることが出来る。一つの発想が思わぬ方向に拡がっていき、新たな発見をする。一つの興味が違う興味を喚起する。玉石混交の情報の海から、自分の感性を頼りに真実を探る。こうした行為は極めて知的な活動である。
私は基本的にこの二つのメディアが融合することはないと思う。マルチメディアテレビとテレビ付きPCの区別がだんだんとなくなりつつあるが、それはあくまでハードウェアとしての融合であり、例えハードウェアが融合されてもメディアは融合出来ないと思う。
ここでホリエモン談義に発展させたいところだが、今日は車内という環境を考えてみよう。
少なくとも運転者の視点からは「ながら」型メディアが適している。「知的活動」型メディアの可能性は無い。
テレマティクスの世界では「運転を阻害しないような単純化された情報をインターネットで提供する」というアイデアが依然として存在するが、そんな情報には殆ど魅力がない。
なぜならインターネットの本質的な魅力-ウェブサーフィンによる知的な探検-が全く欠落しているからである。
インターネット(WEBページ)は間違いなく人類が生んだ最高の暇つぶしの一つだ。もう一つと言われれば、テレビだろうか。
テレビとインターネットは、マルチメディアなコンテンツという意味では似ているが、その本質は大きく異なる。テレビは「放送」、俗に送りっ放しといわれるように一方通行のメディアである。自分のペースで楽しむことはそもそも出来ない。つまらない時に与えられる選択肢は、チャネルを変えるかスイッチを切るだけだ。
しかし、これが改善するべき欠点だとは思わない。テレビというメディアは、送られっぱなしを前提として漠然と、だらだらと見る物なのだ。その前提のもとで50年の月日を自然淘汰されながら生き残った番組が、今放送されているのだ。テレビは飯を食いながら、家族と話しながら、宿題をしながら見るメディアだ。
一方のインターネットは決して「ながら」メディアではない。
なんかしらの目的を持っていようがいまいが、凝視するメディアであるし、常に考えながらブラウズするメディアだ。一つの事柄に対して数多くの意見を短時間で知ることが出来る。一つの発想が思わぬ方向に拡がっていき、新たな発見をする。一つの興味が違う興味を喚起する。玉石混交の情報の海から、自分の感性を頼りに真実を探る。こうした行為は極めて知的な活動である。
私は基本的にこの二つのメディアが融合することはないと思う。マルチメディアテレビとテレビ付きPCの区別がだんだんとなくなりつつあるが、それはあくまでハードウェアとしての融合であり、例えハードウェアが融合されてもメディアは融合出来ないと思う。
ここでホリエモン談義に発展させたいところだが、今日は車内という環境を考えてみよう。
少なくとも運転者の視点からは「ながら」型メディアが適している。「知的活動」型メディアの可能性は無い。
テレマティクスの世界では「運転を阻害しないような単純化された情報をインターネットで提供する」というアイデアが依然として存在するが、そんな情報には殆ど魅力がない。
なぜならインターネットの本質的な魅力-ウェブサーフィンによる知的な探検-が全く欠落しているからである。