農水省の海外日本食認定制度、いわゆる「寿司ポリス」が議論を呼んでいる。
松岡農水相は昨年の就任の挨拶で、中国などの低価格農産物攻勢にさらされる国内の農業について、「品質や味でブランド化していけば活路がある」という趣旨の話をした。これはその通りだろう。
しかし、その喩えで「ロールスロイス」というブランドを持ち出したのには驚いた。ロールスロイスは結局のところ外国の会社に買収された、という皮肉な事実を知っていたのかどうかはわからないが、少なくともこれが高級車の代名詞ってのは、40年前の話だ。
この奇妙な政策が果たして松岡大臣の発案なのか、その前から決まっていたのかは知らないが、こんな陳腐な喩えを平気でするのは世の中のトレンドなんかとは無縁の世界に暮らす人だ。そんな人に食文化を語って欲しくない。
実際、大臣はシカゴの日本料理屋のメニューに焼肉があったことでショックを受けたというが、そもそも牛タンやカルビを卓上で焼く焼肉はラーメンと同様に日本で独自に進化した食文化で、日本食レストランで供されることになんの不思議もない。
さて、実は私はこの認定制度自体は結構なことだと思う。
しかしそれは日本文化の保護とか、似非和食の排除ということではまったくない。
本物のエスニック料理を食べたい人はどこの国にもいるだろう。認定制度はそういう客が店を選ぶ手助けになる。
タイに行くと、スキヤキはとてもポピュラーなメニューだが、それはすき焼きとは似ても似つかない料理だ。
スキヤキそのものはいわゆるタイスキのこと、また一品料理でスキヤキといえば、甘くて辛いタイスキのつけダレをつかった春雨入りの炒め物を意味する。
これを多くのタイ人が日本料理だと信じているのは驚きだが、だからといって日本文化が誤って伝わっている、などと目くじら立ててもしょうがない。少なくともタイ人はこれが好きなのだ。
本格イタリアンは美味しいけど、ケチャップナポリタンだって美味しい。それだけのことだ。
認定制度自体は良い。だが、それがその文脈のなかに「海外ではびこる似非和食を糾す」というような意図があるとしたら、それはまったく余計なお世話だと思う。
何がうまいか、まずいか、なんていうのは極めて個人的な問題であって、ナショナリズムを持ち出す問題ではない。
松岡農水相は昨年の就任の挨拶で、中国などの低価格農産物攻勢にさらされる国内の農業について、「品質や味でブランド化していけば活路がある」という趣旨の話をした。これはその通りだろう。
しかし、その喩えで「ロールスロイス」というブランドを持ち出したのには驚いた。ロールスロイスは結局のところ外国の会社に買収された、という皮肉な事実を知っていたのかどうかはわからないが、少なくともこれが高級車の代名詞ってのは、40年前の話だ。
この奇妙な政策が果たして松岡大臣の発案なのか、その前から決まっていたのかは知らないが、こんな陳腐な喩えを平気でするのは世の中のトレンドなんかとは無縁の世界に暮らす人だ。そんな人に食文化を語って欲しくない。
実際、大臣はシカゴの日本料理屋のメニューに焼肉があったことでショックを受けたというが、そもそも牛タンやカルビを卓上で焼く焼肉はラーメンと同様に日本で独自に進化した食文化で、日本食レストランで供されることになんの不思議もない。
さて、実は私はこの認定制度自体は結構なことだと思う。
しかしそれは日本文化の保護とか、似非和食の排除ということではまったくない。
本物のエスニック料理を食べたい人はどこの国にもいるだろう。認定制度はそういう客が店を選ぶ手助けになる。
タイに行くと、スキヤキはとてもポピュラーなメニューだが、それはすき焼きとは似ても似つかない料理だ。
スキヤキそのものはいわゆるタイスキのこと、また一品料理でスキヤキといえば、甘くて辛いタイスキのつけダレをつかった春雨入りの炒め物を意味する。
これを多くのタイ人が日本料理だと信じているのは驚きだが、だからといって日本文化が誤って伝わっている、などと目くじら立ててもしょうがない。少なくともタイ人はこれが好きなのだ。
本格イタリアンは美味しいけど、ケチャップナポリタンだって美味しい。それだけのことだ。
認定制度自体は良い。だが、それがその文脈のなかに「海外ではびこる似非和食を糾す」というような意図があるとしたら、それはまったく余計なお世話だと思う。
何がうまいか、まずいか、なんていうのは極めて個人的な問題であって、ナショナリズムを持ち出す問題ではない。