たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

懸念していた事が・・・相馬ヶ原日米共同訓練

2020年12月16日 | イベント

自衛隊による日米共同訓練が始まって13日目、昨夜は夜10時まで低空飛行のヘリが数十機 飛び交い窓ガラスがカタカタと、部屋のストーブもビリビリと音を立てる程の凄まじさでしたでした。 昨日のニュースでは住民皆が恐れていたコロナの感染者が遂に7名出てしまったのです。感染者は県外の参加者との事ですが群馬県の隊員は殆どが通いです。自衛隊内で済むなら完治するまで責任を持って演習場内の施設で隔離して貰えますが通いの隊員には家族が居るのです。

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以上は少し離れた所からの撮影です。 もう少し近くまで行ってみましょう

 

 

 

 

物凄い轟音を立て左方向からオスプレイ・一機がやって来ました。みるみる機体は大きくなり今、まさに着陸しようとホバーリング体制に入った所です。後部に隊員の姿が見えますね。

 

 

右方ではヘリコプターがホバーリング中、すると今度は右方からまた一機が飛来してきました。

 

オスプレイを操作する人の姿がハッキリ見えます。昨日のニュースで着陸したオスプレイから隊員数十名が飛び降り小銃を手に腰を屈め走る訓練の模様が映し出されました。これは敵地に人を送り込み戦いに臨む訓練だそうです。この訓練を世界はどう見ているのでしょうか。


寒波襲来

2020年12月15日 | 定点撮影(雲)

昨日、今日と身を切るような冷たい風が吹いております

どんよりと垂れ込める黒い雲、ウォーキングに出かけていた時にはそれが、もっと顕著だったのですが家に戻りましたら大分薄くなってしまいました。これが地上に達するとその下は雪になるのですよね。

東の空には凍雲が

西には寒波襲来を告げるかのように両手を広げた黒雲です

赤城の黑檜山は完全に雪に覆われました。右の地蔵岳も薄っすらと雪を抱いている様です。この寒さは明日、明後日と更に強まるとの予報が出ておりますので皆さま風邪などひかれませんよう温かくお過ごし下さいます様に 

「本日はコメント欄を閉じます」


(続)茅ヶ岳・金ヶ岳

2020年12月14日 | 心に残る思い出の山

続き

 

深田久弥氏の慰霊碑から一喘ぎ、山頂で待っていたのは見事なまでの展望と下界の全てを覆い尽くす雲海だった。 先ず前衛の山々を従えて威風堂々たる富士の山。 目の前には峰々の一つ一つをクッキリと際立たせる南アルプス群、首を巡らせば展望は更に広がり金ヶ岳の横に八ヶ岳が思いのほか大きく雪雲を被って鎮座している。そして振り向いた先には金峰山、奥多摩、秩父の山々、大菩薩連嶺と目で追う山々は限りなく眺めても眺めても見飽きる事が無い。

 

気温も上がって暑くもなく寒くもない気持ちの良い日と言う事も有ってこの大展望は山頂の憩いを盛り上げてくれた。私達は持参のワインを雪に埋め取り敢えず金ヶ岳を目指す事にした。 後ろから「金ヶ岳へ行かれるのですか?滑らない様、注意して下さいね」声が掛かる。

石門

踏み跡の無い尾根道は、ここまで足を延ばす者が居ない事を物語っている。後方に女性の奇声が迫って来た。しかし、それも石門に下り着く頃には全く聞こえなくなった。結構な下りなので諦めたらしい。

石門から再び登り返し下から眺めた柱状の岩の所で一息入れた。ここから見る茅ヶ岳はまるでピラミッドの様に綺麗な三角形をしている。その左後方には同じ形をした富士山が覗いている。

金ヶ岳南峰三角点にタッチ

案内書に寄れば、かなり厳しくみえる登りも取り付いてしまえば意外に簡単に登れると有るが、どうしてどうして結構きつい登りで南峰に辿り着いた時にはフラフラ。気を静めていると途中で私達を追い抜いた男性がもう金ヶ岳から戻って来た。「金ヶ岳までは後15分位で着きますよ」と言って去って行ったが齢にしてちょうど私くらい。スピードとバランスの良さは四足動物の様だった。

南峰から一旦下って登り返した金ヶ岳は西側方面だけが開け、そこには南アルプス連山があった。茅ヶ岳に比べて興奮度は劣るが人が居ない分、安らぎのある頂だ。それに高度は茅ヶ岳より60m高い。その金ヶ岳まで足を延ばした満足感を味わった私達は記念写真を撮りワインの待つ茅ヶ岳に戻った。

茅ヶ岳は相変わらず大勢の登山者が頂を埋めていた。今日のとてつもない温かさで、あちこち黒土が露出していたが我がワインは未だ雪の中、安泰だ。

「上手い」雄さんは初めて飲む「おたるワイン」が気に入った様子。冷え加減もちょうど良かったのかもしれない。私が良く購入する「マドンナ」より数倍美味しいとご満悦。 ラベルには「小樽限定販売、小樽だけのワインです」と記されていた。 時間はもう直ぐ1時、大分ゆっくりした。

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雪が融け日の当たる所は既に乾き分岐点で「直進だろう」と雄さんが見誤る程、一変した景色、そんな明るい雑木の中をジグザグに下って女岩

明日のコーヒー用にとペットボトルにお水を

そろそろ山道も終わりに近づいた時、逞しい若者が自転車を担いで登って来た。「行ける所まで行って自転車で降りてくる」と言っていた。若さをフルに活用して、それを楽しみに変えている若者の意気込みが羨ましい!

深田公園は現在工事中で丸太がアチコチに散乱し、その中に置かれた碑の鏡面には紅葉の茅ヶ岳が写しだされ、あの有名な「百の頂に百の喜びあり」が刻まれている。 ふと「こんなに綺麗にしなくても草茫々の方が僕に相応しいのに」・・・そんな深田氏の声が私には聞こえて来た様な気がした。


心に残る思い出の山 深田久弥氏終焉の地「茅ヶ岳・金ヶ岳」

2020年12月13日 | 心に残る思い出の山

深田久弥と言う名前は知らなくても日本百名山と言う言葉を一度は耳にした事が有るかと思います。今回は久弥氏が登山途中、亡くなられた終焉の山「茅ヶ岳」を取り上げて見ました。

琴錦、平幕優勝に沸いた日の登山記です

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歩行5時間20分 休憩2時間10分 (所要7時間30分)

雪の中の走行、清里を過ぎ高根町に入ると今までの雪が嘘の様に消えた。深田公園に出来た広い駐車場を見て更に奥に入り登山口の一寸した広場に車を停めた。綺麗な星空だった。 翌朝、目を覚ますと何時来たのか数台、車が停まり既にもぬけの殻だった。

ピンと張りつめた空気の中、ザクザク音を立てながら霜柱を踏み数分行くとススキの枯れ穂が覆う平坦地に人が住んでいたと思える人家が今は荒れ果てた姿で数軒みられた。嘗て女岩から豊富に流れ出ていた生活を潤す水も今は、ごく僅かになってしまった為、離村せざるを得なかったのか事情のほどは解らないが人のぬくもりの消えた家と言うのは物寂しく切ない想いがする。

 

工事中の林道を越え幅広い道が狭まる頃、登山道や木々に白いものが目立ち始めた。初めは霜かなと思っていたが進むにつれ白さが増し女岩に着いた時には一面、白銀の世界と化した。

晩秋から一気に冬を迎えた登山道だが柔らかな日差し、殆ど無風の穏やかな登りなので、この変化がむしろ楽しい。 ザックを担いだまま岩肌を流れ落ちる水を手に受けて飲んでみた。柔らかい水だった。

穏やかだった登りも女岩を過ぎると終わり、時々スノーシャワーの洗礼を受けながら積雪10㎝を急登する。周辺は木の枝に雪が付き花が咲いた様だ。 後方には早くも富士山が全姿を現した。

女岩から30分、稜線に登りあげると富士は勿論、丹沢から奥多摩、奥秩父の主稜線が一気に広がり、、それは登るごとに増々雄大さを深め、特に薄っすらと新雪を抱いた金峰山が圧巻で私達は頂上間近で何度も何度も足を止めては眺めていた。

深田久弥氏の終焉の地はそうした稜線上に在った。病名、脳溢血 1971年3月21日11時22分(慰霊碑に刻まれている)深田氏はここで突然、倒れ意識を失ったまま帰らぬ人になってしまったのだ。享年68歳。 深田氏の最後の百名山「茅ヶ岳」は此処から岩を登って10分の距離である。

続きますのでコメント欄は閉じます。


カワセミとカモ

2020年12月12日 | 野鳥や動物

車の定期点検の帰り浜川運動公園へ寄って見ました

 

居ましたね、定位置に。私達だけでしたので全く警戒心は有りません。水面を見つめていない所を見ますとお腹は満たされているのですか?

 

 

短い時間でしたが今日のカルガモ君、バカにサービスがいいじゃないですか。

(本日はコメントを閉じます)