朝4:00のモーニングコールで5:00に出発したもののフエ空港での霧発生で1時間遅れての離陸。小山さんの案内で、最初に静岡市の方々が設立に大きく貢献した日本語学校へ。天気は30度近いのではの真夏日。
汗だくになりながら日本語学校で学ぶ学生ひとりひとりとツアー参加者のマンツーマン対話。私に相手してくれた学生は19歳でホーチミンで英語も勉強し観光ガイドになりたい、結婚は30歳くらい、という女性。
次は、この学校と兄弟組織である「ストリートチルドレンの支援」を目的に設立された「ベトナム子どもの家を支える会」。17年前に小山さんの退職金と支援カンパ200万で始めたこの運動。次から次に支援者。
ついにはJICAやODAのプログラムにものり、今ではフエ市の中で存在感ある福祉ー教育施設。これまで400名くらいの子ども達が共同生活をして巣立ち、医大、芸術大学など7人が大学生に。しかも全員が女性。
今も「子どもの家」から大学に通っているととのこと。「この家がなかったら、自分の能力を開花させるチャンスが失われていたこと考えるとこの活動の社会的意味に納得するところがある」と小山さん。
2年前にドミニカ共和国視察時、カトリック修道院がまさにこの活動と同じ事をやっていたことを思い出しました。こうした市民活動土台に静岡市との地方政府間の都市提携の意味は格段にレベルアップします。
このあとの世界遺産フエ王宮、そして市役所への訪問、ホテル戻っての街の中でのふれあい、ホテルでの交流会、と次から次に経験する興奮するような数々の事柄。報告したいことがありすぎて今は未整理状態。
汗だくになりながら日本語学校で学ぶ学生ひとりひとりとツアー参加者のマンツーマン対話。私に相手してくれた学生は19歳でホーチミンで英語も勉強し観光ガイドになりたい、結婚は30歳くらい、という女性。
次は、この学校と兄弟組織である「ストリートチルドレンの支援」を目的に設立された「ベトナム子どもの家を支える会」。17年前に小山さんの退職金と支援カンパ200万で始めたこの運動。次から次に支援者。
ついにはJICAやODAのプログラムにものり、今ではフエ市の中で存在感ある福祉ー教育施設。これまで400名くらいの子ども達が共同生活をして巣立ち、医大、芸術大学など7人が大学生に。しかも全員が女性。
今も「子どもの家」から大学に通っているととのこと。「この家がなかったら、自分の能力を開花させるチャンスが失われていたこと考えるとこの活動の社会的意味に納得するところがある」と小山さん。
2年前にドミニカ共和国視察時、カトリック修道院がまさにこの活動と同じ事をやっていたことを思い出しました。こうした市民活動土台に静岡市との地方政府間の都市提携の意味は格段にレベルアップします。
このあとの世界遺産フエ王宮、そして市役所への訪問、ホテル戻っての街の中でのふれあい、ホテルでの交流会、と次から次に経験する興奮するような数々の事柄。報告したいことがありすぎて今は未整理状態。