イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

コゴミ採り

2022年04月09日 | Weblog
一昨日くらいからちょっと風邪気味になってきた。加太に行った日あたりから喉の調子が悪いなと思っていたら咳と鼻水が出てきて昨日は関節が痛くなってきて少しばかり頭痛もしている。仕事場にある体温計で測ってみると37度を超えている。
今、このブログを書いている最中も頭がボ~としている。
このご時世、風邪気味で熱があるというだけで白い目で見られるというか、危険人物として扱われる。昨日も、熱でボ~としながら職場で発生した感染者の報告書を書いていたが、このままじゃあ次は僕の名前がここに載ってしまうことになるじゃないかと恐怖を覚えた。窓際とはいえ、一応やらねばならないことがあるので長期に休むわけにはいかない。自由に休むためにはもっと窓際に追いやられなければならないのだ。仮面ライダーやデビルマンではないが、このことは人に知られてはいけない・・。こういう考えが頭の中に浮かんだのは初めてのことである。
それよりも、明日からの予定をどうするかということが問題だ、明日はコゴミ採りの基準日であり、そのためにこの日に休みを入れたのであり、今年は季節が遅れ気味とはいえSNSで調べる二川ダムの桜の開花状況はコゴミが採り頃になっていることを示している。(しかし、世の中便利になったものだ。自宅にいながら遠い場所の季節の進行がリアルタイムでわかってしまう。)
いよいよ本格的な山菜の季節に入っていく中で1日たりとも無駄にするわけにはいかない。次の休みには長らく動かしていない小船のエンジンの調子を見るため海に行かねばならないし、その後は生石山に行こうと考えている。季節は僕が風邪をひいているからといっても待ってはくれない。しかし、今のままの体調だととうてい無理だ。しかし、行かねば・・。

こういう時はとにかく寝るに限る。家に帰って夕食も食べずに風呂にだけ入ってそのまま布団に入った。翌日は午前3時半に目覚まし時計をセットしてその時の様子で行くか行かないかを決めることにする。
やはり体調は思わしくなく、目覚まし時計が鳴ってから布団を出るまで40分ほどかかってしまった。
しかしながら、幸いにして関節の痛みはなくなっている。頭痛は少し残っているが、これくらいなら車の運転はできるだろうと急いで準備にとりかかり午前5時前に家を出た。

ポイントには午前6時過ぎに到着。重機に荒らされた地面からも新しい芽が出ていた。これは期待ができるとさらに奥に進むと採り頃になったコゴミがたくさん生えている。



軸の太いボリュームのある芽を選びながら採ってゆくが、そこかしこに先に盗られたあとが見られる。これは去年までにはなかったことのように思う。とうとうここも誰かに見つかったかという落胆はあるけれども、コゴミは株が生きていればつぎから次へと生えてくる。大集団でも押しかけてこないかぎりは大丈夫だろう・・。と思いながら元の場所に戻ってくると、釣り人らしき人が車を停めコゴミを採っていた。地元の人は無頓着でもこういうひとが目ざとく見つけて盗っていくのだろう。と自分のことは棚に上げておいて残念に思うのである。



この場所を後にして次のポイントへ。ここでも盗られた跡がある。先行の人間たちは随所に現れているらしい。しかし、ここもエリアとしては広大だ。大集団でも押しかけてこないかぎりは大丈夫だろう。
と、ここでひとつ忘れ物を思い出してしまった。この辺りは麓に比べると桜の開花が遅い。基準日の今日はこの辺りの桜が散り始める頃でもある。せっかくなので今日は散りゆく桜を見ながらカップ麺でもすすろうとコンロの準備などをしてきたのだが、お箸を持ってくるのを忘れたことをここで思い出したのだ。熱でボ~っとしているのが理由ではなく、何をする時でも忘れ物をするのは常のことなので自分のバカさ加減を情けなく思うのだが、今日はそのバカさ加減がそのバカさ加減に輪をかけたバカな忘れ物を救ってくれることになるということがあとでわかるのである。

コゴミを採りながらお箸になるような小枝を切り落として籠の中に入れて車に戻り、桜のきれいな場所まで移動して小枝を取り出そうと思ってリアゲートを開くとその籠がない・・。籠を車に積むのを忘れてここまで来てしまったらしい。これがバカさ加減に輪をかけたバカな忘れ物なのである。
来た道を15kmほど逆戻りすると、幸いなことにそのカゴは僕が置き忘れたままそこに佇んでいてくれたけれども、もしお箸を持ってきていたら、リアゲートを開かずにカップ麺を食べて家まで戻り、家の駐車場でリアゲートを開いたその時になってやっと籠を乗せ忘れたことに気付くという事態になっていたはずなのだろうから今日はお箸を忘れたことをよしとしなければならないという情けない結末になってしまったのである。

   

もうひとつ問題が残っていた。それはガソリン問題だ。家を出るときにはすでに目盛りが残り三つになっていたので普通なら市内で燃料補給してから山に向かうのだが、最近は24時間営業しているガソリンスタンドがめっきり減ってしまった。ここにも働き方改革の波が押し寄せているのだろうがこんなときは不便だ。しかたがないのでそのまま山へ向かい、帰り道、集落のスタンドが開いていたのでとりあえず5リットルもあれば家に帰れるかと思ったら往復30kmの無駄な走行をしている間に燃料補給のメッセージが出てきた。前の車だとガソリンの補給ランプが点灯してもここから家までの距離くらいだと余裕で走れるはずなのだがこの車は普通車に比べるとタンク容量が圧倒的に少ないのでどのくらいの余力を残してメッセージが出るのかということがわからないのだ。



家に帰って取説を見てみると、この車のタンク容量は27リットル。途中で給油をしなかったら貴志川のスタンドまでたどり着いた時点で残量は約2リットルであったということがわかった。
おそらく、残り7リットル、平均的な燃費で計算するとあと98km走れる時点でメッセージが出るようである。
これが、余裕があったのかそうでなかったのかということは判断が分かれるが、F1マシンのゴール後のタンク残量よりも多いのは確かである。とりあえずはガス欠で立ち往生ということだけは回避することができた。しかし、貴志川町は燃料代が安い。どこでも150円台半ばの価格の看板が出ている。全国的に見て比較的安いと言われている和歌山市内と比べても8円から9円は安い。もっとタンク容量が大きければたくさん詰め込めるのにと思うけれども、そうなってくると絶対的な支払額は多くなってしまうので、結局、車にはできるだけ乗らないということが一番の節約なのであると気付いてしまうのである。



なんとかと煙は高いところが好きだというわけではないが、僕の今の仕事場というのが異常に標高の高いところにある。所在地の標高とビルの高さを合わせるとおそらく300メートル前後ある。ここでの勤務が約1年になるが風邪をひいたのが今回が初めてで、エレベーターで下の方と行き来すると耳が痛くなる。おそらく耳と鼻をつなぐ管(たしかエウスタキオ管とか習った覚えがある。)が炎症を起こして気圧の調整ができなくなっているのだろう。
体調が崩れると弱いところに負担がかかってくるものだろうが、この1年間に気圧の変化を受けすぎて鼓膜やそういった管も弱ってきているのかもしれない。これはこれでやっぱり困ったものなのだ。

コメント
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