桜木紫乃 「青い絵本」読了
タイトルが面白そうな小説だったので借りてみた。著者は直木賞作家だそうだ。
5編の短編が収録されていて、すべての物語のキーアイテムとして絵本が出てくる。主人公は50歳を少し越えたくらいの女性たちと共通している。人生の中で苦悩しながらも一区切りがつき、新たな道に出てゆくきっかけを絵本に求めたり絵本が作り出す。
卒婚旅行
定年退職を迎えた夫。それを機に卒婚しようと考えていた妻は絵本セラピストの資格を取っていた。夫が抽選で当てた七つ星の豪華旅行の途中、卒婚を切り出す妻。夫は驚くかと思いきや、以前からの少しの予感からそれもありうるかと諦めと安堵にも似た返答が帰ってくる。
夫は妻に1冊の絵本を読んでほしいと差し出す。その本は妻が絵本セラピストになろうと思うきっかけになった絵本であった。
どうして夫はこの本を選んだのか・・・。確かめる時間はまだある。と妻は考えるようになる。
なにもない一日
水産会社を経営する夫。妻は夫の道楽として引き継いだ地元FM局でパーソナリティを務める番組を持っている。その番組のひとつに本の朗読番組がある。FM局の引き継ぎに反対した病気療養中の姑は今ではそのラジオ番組を楽しみにしている。
夫と妻の間には子供ができなかったが、夫は外に婚外子がいる。先がなさそうな姑はうすうすそのことに感づいていて、子供ができなかった妻は少しの後ろめたさから、それなら会わせてあげたほうがよいと夫に提案する。
妻は日記帳にその日のことを書き留めながら1冊の絵本を手に取る。絵本は読者に、大好きな場所、大好きなもの、大好きな人は何かと問いかける。妻はそこで姑が亡くなったところで夫と別れようと決断する。
妻の育った環境は母のいない環境で父も祖父母からもそれほど熱い愛情を注いでもらうことはなかった。
妻は次に朗読しようと考えている本を読み始める。そのタイトルは「なにもない一日」。ここにも複雑な家庭の親子が登場する。そしてここにも1冊の絵本が取り上げられ、朗読の中の主人公に大好きなものはなに?と問いかける。物語の主人公はなにも起きない一日と答える。
離婚後の生活を贅沢な日々だと思いを馳せる主人公の裡には凪いだ海が広がっていた。
鍵 Key
主人公は札幌駅ビルの小さな書店のパート社員。夫が亡くなって以来15年この書店に勤めていた。夫は新進気鋭の小説家であったがデビューから5年の後、執筆への重圧と焦りからか自殺をしていた。
その書店は今日、50年の歴史に幕を下ろす。最後の日に買った絵本のタイトルは「鍵 Key」。最後の日の出がけに配達されたのは夫の最後の編集者が差出人であった。自宅で読む気にはなれないと考えた主人公は評判のよいホテルのスパに向かう。その手紙には編集者の当時の後悔と苦悩が書かれていた。
翌日、ふと思い立ち、遠く離れて暮らす息子のところを尋ねてみることにした。立派に育ち、自分の苦しみを受け止めてくれる息子。彼もまた苦しい時を過ごしてきたはずである。息子に向かって声にならない問いを差し出す。「ねえ、お前が過ごした一五年を、ゆっくり聞かせて--」
絵本に出てくる鍵は、喜びの部屋の鍵、いかりの部屋の鍵、かなしかったこと、たのしかったことの部屋の鍵へと続き、最後は、「あの扉を開ける鍵です。開けたいときに、どうぞ ずっと開けなくてもいいのです 開けたいときに、どうぞ」と括られていた。
いつもどおり
主人公は人気に少し陰りが見え始めた小説家。その小説家をデビューさせた編集者が五年ぶりに会いたいと求めてきた。編集者は病でそう長くはないと悟っていて、小説家に一冊の絵本の執筆を依頼する。その絵本のタイトルは「今際」。すべての絵は、限りなくリアルな絵を描くので時間がかかり、新聞や週刊誌の連載は任せられないと言われる気難しいイラストレーターが描いた、人の今際の際が描かれたものであった。
小説家は言葉を絞り今際の際に立った人はどんなことを思うのだろうかと考える。そしてたどり着いたその答えは、「いつもどおり」。編集者がかつて語った、「フィクションで現実を透視するのです」という言葉を頼りに言葉を紡いでゆく。
編集者が描かれているというその絵の最後の絵に付けた言葉は、「なにも こわくない」であった。「こわくない」、なのか、「こわくはない」なのか、一週間かけて一文字削った。
それが、編集者が語った、「フィクションで現実を透視するのです」という意味であると主人公は思い至ったのであった。
青い絵本
本のタイトルにもなっている短編である。
主人公は無名のイラストレーター。生い立ちは複雑で、父は北海道で演劇集団を主宰する独裁者。
そんな独裁者のような父を嫌いまったく縁を切っていたが三番目の母となった女性とは手紙のやりとりからメールのやりとりへと縁は続いてきた。その女性は描き溜めていた絵本が認められ、それに嫉妬した夫から妻の座を追われていた。
久しぶりに送られてきたメールは贅沢なホテルへの誘いと一緒に絵本を作りたいというものであった。病に侵されていた人気の絵本作家には文章は書けても絵を描く力は残されていなかった。その代わりとして作画を主人公に依頼をしてきたのであった。その絵本のタイトルは「あお」。
残された時間は三ヶ月。主人公は何もかもを忘れて作画に没頭する。
三番目の母の最期に間に合った絵本の最後のページには、「あなたは しっている こころと こころの まじりあう こうふくな しゅんかんを」と書かれていた。
主人公がすべて女性なのでなかなか共感ができないけれども、ただ、すべての主人公はそれまでも頑張っていきてきたうえでさらにその先に新しい道を見つけようとする。自分の人生をまるで他人事であるように生きてきた僕にとって、新しい道を見つけるなどという資格はないのだと言われているようであった。
「いつもどおり」というタイトルの一編があるが、僕にとっては「これまでどおり」でしか生きていゆく方法を見つけられない。ただ、「これまでどおり」でも意外と面白そうであると思っている事実もある。まあ、50歳と60歳ではこれから先の自由度の幅もかなり違うのだからすでに遅し、この辺で手打ちにしておくしかないというのも事実である。
主人公たちとまったく同じ節目を迎えているウチの奥さんが読んだらどんな感想を抱くだろうか。いっそのこと、卒婚でもなんでもやってくれたら僕はもっと自由になれるのにと思ったりもしてしまうのである・・。僕はこれまでどおり以上に自由になりたいと思っている・・。
この本は、著者の本来の作風とは少し違っているそうだ。実家がラブホテルの経営をしていたという経験から、「新官能派」というキャッチコピーでデビューしたとおり、あまり過激ではない官能小説というのがこの作家の特徴であるらしい。
本来がどんな文体かは知らないが、この小説には官能という雰囲気はまったく感じられない。むしろ、官能とは真逆の、諦観にも似た趣がある。
読んでいても、何の高揚感も湧いてこないけれども、かといって退屈というのでもない。絵本に書かれるような単純だが純粋な文章が所々に使われているからかもしれないが、人生の区切りなり境目という時には多くの人がそんな感じを抱くのかもしれないと思える1冊であった。
タイトルが面白そうな小説だったので借りてみた。著者は直木賞作家だそうだ。
5編の短編が収録されていて、すべての物語のキーアイテムとして絵本が出てくる。主人公は50歳を少し越えたくらいの女性たちと共通している。人生の中で苦悩しながらも一区切りがつき、新たな道に出てゆくきっかけを絵本に求めたり絵本が作り出す。
卒婚旅行
定年退職を迎えた夫。それを機に卒婚しようと考えていた妻は絵本セラピストの資格を取っていた。夫が抽選で当てた七つ星の豪華旅行の途中、卒婚を切り出す妻。夫は驚くかと思いきや、以前からの少しの予感からそれもありうるかと諦めと安堵にも似た返答が帰ってくる。
夫は妻に1冊の絵本を読んでほしいと差し出す。その本は妻が絵本セラピストになろうと思うきっかけになった絵本であった。
どうして夫はこの本を選んだのか・・・。確かめる時間はまだある。と妻は考えるようになる。
なにもない一日
水産会社を経営する夫。妻は夫の道楽として引き継いだ地元FM局でパーソナリティを務める番組を持っている。その番組のひとつに本の朗読番組がある。FM局の引き継ぎに反対した病気療養中の姑は今ではそのラジオ番組を楽しみにしている。
夫と妻の間には子供ができなかったが、夫は外に婚外子がいる。先がなさそうな姑はうすうすそのことに感づいていて、子供ができなかった妻は少しの後ろめたさから、それなら会わせてあげたほうがよいと夫に提案する。
妻は日記帳にその日のことを書き留めながら1冊の絵本を手に取る。絵本は読者に、大好きな場所、大好きなもの、大好きな人は何かと問いかける。妻はそこで姑が亡くなったところで夫と別れようと決断する。
妻の育った環境は母のいない環境で父も祖父母からもそれほど熱い愛情を注いでもらうことはなかった。
妻は次に朗読しようと考えている本を読み始める。そのタイトルは「なにもない一日」。ここにも複雑な家庭の親子が登場する。そしてここにも1冊の絵本が取り上げられ、朗読の中の主人公に大好きなものはなに?と問いかける。物語の主人公はなにも起きない一日と答える。
離婚後の生活を贅沢な日々だと思いを馳せる主人公の裡には凪いだ海が広がっていた。
鍵 Key
主人公は札幌駅ビルの小さな書店のパート社員。夫が亡くなって以来15年この書店に勤めていた。夫は新進気鋭の小説家であったがデビューから5年の後、執筆への重圧と焦りからか自殺をしていた。
その書店は今日、50年の歴史に幕を下ろす。最後の日に買った絵本のタイトルは「鍵 Key」。最後の日の出がけに配達されたのは夫の最後の編集者が差出人であった。自宅で読む気にはなれないと考えた主人公は評判のよいホテルのスパに向かう。その手紙には編集者の当時の後悔と苦悩が書かれていた。
翌日、ふと思い立ち、遠く離れて暮らす息子のところを尋ねてみることにした。立派に育ち、自分の苦しみを受け止めてくれる息子。彼もまた苦しい時を過ごしてきたはずである。息子に向かって声にならない問いを差し出す。「ねえ、お前が過ごした一五年を、ゆっくり聞かせて--」
絵本に出てくる鍵は、喜びの部屋の鍵、いかりの部屋の鍵、かなしかったこと、たのしかったことの部屋の鍵へと続き、最後は、「あの扉を開ける鍵です。開けたいときに、どうぞ ずっと開けなくてもいいのです 開けたいときに、どうぞ」と括られていた。
いつもどおり
主人公は人気に少し陰りが見え始めた小説家。その小説家をデビューさせた編集者が五年ぶりに会いたいと求めてきた。編集者は病でそう長くはないと悟っていて、小説家に一冊の絵本の執筆を依頼する。その絵本のタイトルは「今際」。すべての絵は、限りなくリアルな絵を描くので時間がかかり、新聞や週刊誌の連載は任せられないと言われる気難しいイラストレーターが描いた、人の今際の際が描かれたものであった。
小説家は言葉を絞り今際の際に立った人はどんなことを思うのだろうかと考える。そしてたどり着いたその答えは、「いつもどおり」。編集者がかつて語った、「フィクションで現実を透視するのです」という言葉を頼りに言葉を紡いでゆく。
編集者が描かれているというその絵の最後の絵に付けた言葉は、「なにも こわくない」であった。「こわくない」、なのか、「こわくはない」なのか、一週間かけて一文字削った。
それが、編集者が語った、「フィクションで現実を透視するのです」という意味であると主人公は思い至ったのであった。
青い絵本
本のタイトルにもなっている短編である。
主人公は無名のイラストレーター。生い立ちは複雑で、父は北海道で演劇集団を主宰する独裁者。
そんな独裁者のような父を嫌いまったく縁を切っていたが三番目の母となった女性とは手紙のやりとりからメールのやりとりへと縁は続いてきた。その女性は描き溜めていた絵本が認められ、それに嫉妬した夫から妻の座を追われていた。
久しぶりに送られてきたメールは贅沢なホテルへの誘いと一緒に絵本を作りたいというものであった。病に侵されていた人気の絵本作家には文章は書けても絵を描く力は残されていなかった。その代わりとして作画を主人公に依頼をしてきたのであった。その絵本のタイトルは「あお」。
残された時間は三ヶ月。主人公は何もかもを忘れて作画に没頭する。
三番目の母の最期に間に合った絵本の最後のページには、「あなたは しっている こころと こころの まじりあう こうふくな しゅんかんを」と書かれていた。
主人公がすべて女性なのでなかなか共感ができないけれども、ただ、すべての主人公はそれまでも頑張っていきてきたうえでさらにその先に新しい道を見つけようとする。自分の人生をまるで他人事であるように生きてきた僕にとって、新しい道を見つけるなどという資格はないのだと言われているようであった。
「いつもどおり」というタイトルの一編があるが、僕にとっては「これまでどおり」でしか生きていゆく方法を見つけられない。ただ、「これまでどおり」でも意外と面白そうであると思っている事実もある。まあ、50歳と60歳ではこれから先の自由度の幅もかなり違うのだからすでに遅し、この辺で手打ちにしておくしかないというのも事実である。
主人公たちとまったく同じ節目を迎えているウチの奥さんが読んだらどんな感想を抱くだろうか。いっそのこと、卒婚でもなんでもやってくれたら僕はもっと自由になれるのにと思ったりもしてしまうのである・・。僕はこれまでどおり以上に自由になりたいと思っている・・。
この本は、著者の本来の作風とは少し違っているそうだ。実家がラブホテルの経営をしていたという経験から、「新官能派」というキャッチコピーでデビューしたとおり、あまり過激ではない官能小説というのがこの作家の特徴であるらしい。
本来がどんな文体かは知らないが、この小説には官能という雰囲気はまったく感じられない。むしろ、官能とは真逆の、諦観にも似た趣がある。
読んでいても、何の高揚感も湧いてこないけれども、かといって退屈というのでもない。絵本に書かれるような単純だが純粋な文章が所々に使われているからかもしれないが、人生の区切りなり境目という時には多くの人がそんな感じを抱くのかもしれないと思える1冊であった。
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