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キノブックス/編 「もうすぐ絶滅するという煙草について」読了
篠田桃紅の本を見つけた時もそうであったが、この本にも何か因縁めいたものを感じた。読んでいる途中、先に読まなければならない3冊の本が出てきて30ページほど読んだ状態で10日ほど中断していたのだが、その中断した部分に「裏窓」というヒッチコックの映画のワンシーンのことが書かれていた。主人公が監視を続けている一室、アパートの中庭で住人の愛犬が殺されるという事件が起きた。その騒動を見ている各部屋の中に真っ暗な部屋があり、その暗闇の中でたばこの先が燃える赤い点が見えているというようなシーンなのだが、中断したその日、夜中にBSのチャンネルをクルクル回していたら、この映画が放送されていて、まさにその時、このシーンが映っていた。めったに見ない放送で、しかも数多ある映画のワンシーンを偶然見てしまうというのはヒッチコック以上のミステリーだと思ってしまうのだ。
じゃあ、僕に煙草とどんな縁があるかというと、生涯のなかで一時期煙草を吸っていたころがあった。いわゆる同〇問〇というようなやつに巻き込まれ、会社に行くのが嫌になってしまってなんだかむしゃくしゃするので煙草でも吸って気を紛らわしていた。
すでに師の本はたくさん読んでいたので、師は魚が釣れるようにと縁起をかついで「ラッキーストライクを」吸っていたことは知っていた。ただ、洋モクは値段が高かったのでカラーリングがよく似ていた「キャビン」という銘柄を吸っていた。
吸ってみると、酒に酔うというのとはまた別のクラクラ感があって気も紛れるという感じはした。
その後、いつ止めてしまったかという記憶はないのだが吸わなくなり、東京へ出張に行くようになってから、再び、数本だけで止めてしまったが葉巻を吸ってみたりしていた。
香水を輸入している取引先なんかに訪問すると、おみやげに葉巻をもらうことがあった。こんな会社というのは香水以外にもいろいろなぜいたく品を輸入していたのだろう、一般人が手にできないようなものを見ることができた。
試しに吸ってみると、たしかに煙草にはないいい香りが口から鼻に抜ける。これはけっこういけるじゃないかと自分でも買い求めるようになった。新宿の紀伊国屋書店の中に輸入煙草や葉巻なんかを扱っているテナントが入っていて、高いのは買えないので一番安いやつを買って吸ってみたけれども、やっぱり安いやつは旨くない。それで止めてしまった。
以来、15年近くはまったく煙草とは縁がない。
その間に煙草は世間からはどんどん肩身が狭くなり、逆に価格だけは偉そうになってもう一度吸ってみようと思ってもすでに手が出ないほどになってしまっている。ちょっと調べてみると、大体のタバコはひと箱500円から600円するらしい。以外と洋モクのほうが安かったりするようだ。
この本は、まだ、煙草がある程度世間に大目に見られていた頃から少し暗い影が忍び寄りつつある頃に書かれた散文が集められている。
一体いつごろから煙草というのは世間から白い目で見られるようになったのだろう。今、BSで、「ウルトラセブン」のが放送されているが、54年前のこの当時、まだまだ煙草の勢力は健在で、秘密基地の中でも隊員はスパスパやってるし、ソガ隊員は宇宙人が仕込んだ毒入り煙草を吸って同僚を襲い始めるし、キリヤマ隊長は停電になった基地の中をライターの炎を頼りに歩いていた。
テレビドラマでも煙草を吸うシーンは出てこなくなったし、F1では、かなり前から煙草の一般広告が禁止されている国があるというので、その国でレースを開催するときには銘柄のロゴが隠されていたりし始めたという時期があったというのは記憶がある。調べてみると、大体、西暦2000年くらいが世間の目から追い出される頃だったようだ。
煙草の健康被害というのは、もっと前から認識されていて、この本に登場する作家たちもそれを知っていながら吸っている。作家と酒、作家と煙草というのは僕の認識でもこれはもう、切っても切り離せない組み合わせで、酒と煙草をたしなまない作家の文章なんて読む気がしない。体に悪いのは百も承知だけれどもそれでも僕は止めたりしないよとうそぶいている人のほうが信用できるというものだ。
煙草と発がん率というのはこれはもう、絶対に関連性があるということは科学的に証明されているけれども、それで100%寿命が縮まるかというとそこはきっと証明されていないはずだ。煙草を吸わなくても肺がんになる人はいるし、煙草を吸っても元気で90歳を超える人もいたはずだ。そうなってくるとやっぱりそこは吸いたい人は吸えばいいし、毒だと思う人は毒だと思えばいい。お金が続かないという人は残念だけれども諦めればいい。
らだ、それだけのような気がする。
人から害であると言われて止めるのだけは人間らしくはないよなと思うのである。
この本は、キノブックスという出版社が発行した本だ。この会社が傘下に入っているグループは映画の製作会社も持っていて、これもつい一昨日観た映画だが、「一度も撃ってません」というタイトルの映画を製作した会社だ。ハードボイルドをいじくったようなコメディ映画だったが、登場人物が煙草を吸うシーンがふんだんに出てくる。やっぱりこんな映画を作るグループだからこんな本も作れるのだろうなと納得をするのである。この映画は出演者の顔ぶれもすごかったがストーリーもものすごく面白かった。
これだけ煙草に対する縁が戻ってきたからといって僕がまた煙草を吸い始めることは絶対にない。値段が高くなってしまって手が出ないということもあるけれども、おそらく今、煙草を吸ったら肺呼吸ができなくなって酸欠で死んでしまうのではないかと思うのだ。普段でも家から駅まで歩くのに時々は1回休憩を入れないと息が続かず、脳が酸欠なのか突然、所かまわず目まいが襲ってくるような体だ。酸素の代わりに煙が肺の中に充満した瞬間にこれはもう完全に窒息死するのは間違いがない。
「今日も元気だ たばこがうまい」というのは昔の煙草の宣伝のコピーだそうだが、まさしくそのとおりだと思うのである。
篠田桃紅の本を見つけた時もそうであったが、この本にも何か因縁めいたものを感じた。読んでいる途中、先に読まなければならない3冊の本が出てきて30ページほど読んだ状態で10日ほど中断していたのだが、その中断した部分に「裏窓」というヒッチコックの映画のワンシーンのことが書かれていた。主人公が監視を続けている一室、アパートの中庭で住人の愛犬が殺されるという事件が起きた。その騒動を見ている各部屋の中に真っ暗な部屋があり、その暗闇の中でたばこの先が燃える赤い点が見えているというようなシーンなのだが、中断したその日、夜中にBSのチャンネルをクルクル回していたら、この映画が放送されていて、まさにその時、このシーンが映っていた。めったに見ない放送で、しかも数多ある映画のワンシーンを偶然見てしまうというのはヒッチコック以上のミステリーだと思ってしまうのだ。
じゃあ、僕に煙草とどんな縁があるかというと、生涯のなかで一時期煙草を吸っていたころがあった。いわゆる同〇問〇というようなやつに巻き込まれ、会社に行くのが嫌になってしまってなんだかむしゃくしゃするので煙草でも吸って気を紛らわしていた。
すでに師の本はたくさん読んでいたので、師は魚が釣れるようにと縁起をかついで「ラッキーストライクを」吸っていたことは知っていた。ただ、洋モクは値段が高かったのでカラーリングがよく似ていた「キャビン」という銘柄を吸っていた。
吸ってみると、酒に酔うというのとはまた別のクラクラ感があって気も紛れるという感じはした。
その後、いつ止めてしまったかという記憶はないのだが吸わなくなり、東京へ出張に行くようになってから、再び、数本だけで止めてしまったが葉巻を吸ってみたりしていた。
香水を輸入している取引先なんかに訪問すると、おみやげに葉巻をもらうことがあった。こんな会社というのは香水以外にもいろいろなぜいたく品を輸入していたのだろう、一般人が手にできないようなものを見ることができた。
試しに吸ってみると、たしかに煙草にはないいい香りが口から鼻に抜ける。これはけっこういけるじゃないかと自分でも買い求めるようになった。新宿の紀伊国屋書店の中に輸入煙草や葉巻なんかを扱っているテナントが入っていて、高いのは買えないので一番安いやつを買って吸ってみたけれども、やっぱり安いやつは旨くない。それで止めてしまった。
以来、15年近くはまったく煙草とは縁がない。
その間に煙草は世間からはどんどん肩身が狭くなり、逆に価格だけは偉そうになってもう一度吸ってみようと思ってもすでに手が出ないほどになってしまっている。ちょっと調べてみると、大体のタバコはひと箱500円から600円するらしい。以外と洋モクのほうが安かったりするようだ。
この本は、まだ、煙草がある程度世間に大目に見られていた頃から少し暗い影が忍び寄りつつある頃に書かれた散文が集められている。
一体いつごろから煙草というのは世間から白い目で見られるようになったのだろう。今、BSで、「ウルトラセブン」のが放送されているが、54年前のこの当時、まだまだ煙草の勢力は健在で、秘密基地の中でも隊員はスパスパやってるし、ソガ隊員は宇宙人が仕込んだ毒入り煙草を吸って同僚を襲い始めるし、キリヤマ隊長は停電になった基地の中をライターの炎を頼りに歩いていた。
テレビドラマでも煙草を吸うシーンは出てこなくなったし、F1では、かなり前から煙草の一般広告が禁止されている国があるというので、その国でレースを開催するときには銘柄のロゴが隠されていたりし始めたという時期があったというのは記憶がある。調べてみると、大体、西暦2000年くらいが世間の目から追い出される頃だったようだ。
煙草の健康被害というのは、もっと前から認識されていて、この本に登場する作家たちもそれを知っていながら吸っている。作家と酒、作家と煙草というのは僕の認識でもこれはもう、切っても切り離せない組み合わせで、酒と煙草をたしなまない作家の文章なんて読む気がしない。体に悪いのは百も承知だけれどもそれでも僕は止めたりしないよとうそぶいている人のほうが信用できるというものだ。
煙草と発がん率というのはこれはもう、絶対に関連性があるということは科学的に証明されているけれども、それで100%寿命が縮まるかというとそこはきっと証明されていないはずだ。煙草を吸わなくても肺がんになる人はいるし、煙草を吸っても元気で90歳を超える人もいたはずだ。そうなってくるとやっぱりそこは吸いたい人は吸えばいいし、毒だと思う人は毒だと思えばいい。お金が続かないという人は残念だけれども諦めればいい。
らだ、それだけのような気がする。
人から害であると言われて止めるのだけは人間らしくはないよなと思うのである。
この本は、キノブックスという出版社が発行した本だ。この会社が傘下に入っているグループは映画の製作会社も持っていて、これもつい一昨日観た映画だが、「一度も撃ってません」というタイトルの映画を製作した会社だ。ハードボイルドをいじくったようなコメディ映画だったが、登場人物が煙草を吸うシーンがふんだんに出てくる。やっぱりこんな映画を作るグループだからこんな本も作れるのだろうなと納得をするのである。この映画は出演者の顔ぶれもすごかったがストーリーもものすごく面白かった。
これだけ煙草に対する縁が戻ってきたからといって僕がまた煙草を吸い始めることは絶対にない。値段が高くなってしまって手が出ないということもあるけれども、おそらく今、煙草を吸ったら肺呼吸ができなくなって酸欠で死んでしまうのではないかと思うのだ。普段でも家から駅まで歩くのに時々は1回休憩を入れないと息が続かず、脳が酸欠なのか突然、所かまわず目まいが襲ってくるような体だ。酸素の代わりに煙が肺の中に充満した瞬間にこれはもう完全に窒息死するのは間違いがない。
「今日も元気だ たばこがうまい」というのは昔の煙草の宣伝のコピーだそうだが、まさしくそのとおりだと思うのである。
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