寝室で横になりながら本を読んでいたら、頭がフル回転してしまい
朝晩が逆転してしまい、昨夜は眠れませんでした。
横になっても、頭の中は夏目漱石の『こころ』の内容がグルグル回り、頭から離れないのです。
そういえば、院生時代、修士論文を書いていた時期は
こんな風に昼と夜が逆転して困っていました。
あの頃は学生だったからよかったのですが、
今はインフルエンザが治ったらそうもいきません。
やっぱり人間は室内にこもって本ばかり読んでいるのでなく
適度に外に出て日の光を浴びないとダメなのだとわかり
今日は窓際で日に当たりながら本を読みました。
(こりてない?!)
こんな風に本を読んでいると、かなりの本の虫だと思われそうですが
何でも読むわけではありません。
特に長い本は苦手で、すぐ挫折するだけに
読まないことが多く、先日初めて岩波少年文庫を一冊読み終えたので
調子に乗ってスティーブンスンの『宝島』(岩波書店)を読もうとしたところ
なんとか70ページまで読んだものの、気分が載らず読むのを辞めました。
『宝島』は基本だというので、読んでおこうと思ったのですが
体調がよくないときに、海賊の船に乗って冒険に出たいと思えなかったのです。
あとは私が女だからでしょうか?好みでしょうか?ちょっと雰囲気が怖くて・・・
どこかの機会でまた続きを読めたらと思っています。
私は必要に迫られてているわけでない場合は、無理をして読まずに、本能に任せて
読みたいと思う本を読むようにしています。
日頃の読書は「楽しい!」という気持ちを大切にしているので。
昨日に引き続き、長い本は今はよくないと思い
2ヶ月ほど前に読んだ瀬田貞二の『幼い子の文学』(中央公論新社)(1)の後半部分を読みました。(2)
すると、昨日良質な本の持つ底力を改めて感じた(3)ことに対して
丁度『幼い子の文学』の後半に共感できることが書いてあり
実践していたことと理論がつながったので、とても嬉しく思いました。
理論の縛られるのはあまり好きではないですが
インフルエンザがまだ治っていないので、絵本を子どもに読めないため
理論を読んで心を慰めようとしている自分がいます。
その中でも比較的、瀬田貞二のこの本は語り口調で書かれているので
非常に心が和らぎ
「瀬田貞二」というより「瀬田さん」って感じの人だなぁ
心の底から日本の児童文学を愛していたんだなぁ。
私もリアルで講座を受けてみたかったなぁ。
と、期待を裏切らない瀬田貞二像にウットリしながら本を読み進めていました。
こうして故人が生きていた時の文章を読み進めていくと
その人がどれだけのことに貢献してきたかがよく伝わってきます。
本を読み終わり、洗面所へ手を洗いに行ったときに娘に会ったので
「ママが元気になったら絵本をいっぱい読もうねぇ」
と話したところ、もう元気になったと勘違いしたようで
『ねんねんよー』(4)という子守唄の絵本を持ってきて、読んでくれと嬉しそうに言ってきたのです。
それをきかっけに、私は娘がどれほど寝る前にいつも歌ってもらう
子守唄を恋しく思っているかに気付かされました。
夫はほとんど子守唄が歌えないので、娘は私に子守唄をたくさん歌ってほしかったのです。
私に抱きよりたがる娘を見て、
早く思いっきり抱きしめてあげたい!
絵本を読んだりわらべうたを歌ったりしたい!
娘だけでなく、息子も幾度となく近づきたがり
スキンシップをとりながら話したい様子が伝わってきたので
息子に対しても同じ気持ちを抱いてきます。
絵本や歌などのスキンシップが、彼らの中では、生活の一部になっていたのと同時に
私の中でも、子ども達との絵本タイムやふれあいは、生活の一部になっていたのでした。
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【注】
(1)当時の記事は 過去ログ
「瀬田貞二に魅了されて」 参照。
(2)この本の写真や詳細は 別館ブログ
「瀬田貞二『幼い子の文学』」 参照。
(3)過去ログ
「良質な本の持つ底力」 参照。
(4)ましませつこ絵、上野美佳子うた 『ねんねんよー 子どもにうたってあげるこもりうた』 童話館出版、1998年。
いろいろな子守唄の載っている絵本。別館ブログ
「ねんねんよー 子どもにうたってあげるこもりうた」 参照。