外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

シリアからトルコへ移住したときの日記1

2010-02-22 22:17:28 | トルコ
ダマスカスを出発してから数日間、珍しく日記をつけていたので、それをここにのせます。後からいっぱい手直ししましたが。

2010年1月19日
昼前のバスでダマスカスを出発。友人たちが見送ってくれた。バス代は250sp(シリアポンド)。アレッポには夕方に到着。荷物が重いので移動が大変で、ホテルについたときは虫の息だった。やはりバスで引越しするのは大変である。小さめのスーツケース1個とショルダーバッグとパソコンだけなのだが、やっぱり重くてしんどい。アレッポでは、以前にも泊まったことのあるスプリング・フラワー・ホテルに泊まることにした。「春の花ホテル」、かわいい名前である。ツインベッド、シャワー付きの部屋が350spだった。このホテルの最上階では各種ビール、アレッポ製のオリーブ石けんなども販売している。アレッポ産のビール「アッシャルク」も置いてあるが、あまりおいしくないのは知っているので無論買わない。少し休憩したのち外出してインターネット屋さんに行き、そのあとファラーフェル・サンドとビール(マイスター)を買った。その足でトルコ行きのバスターミナルに赴き、翌朝のバスの切符を買う。午前中は朝5時発のしかないそうなので、その券を買った。300sp。乗り合いタクシーであれば随時出発するし、値段もさほど高くない(500spくらいだっけ、忘れた)らしいけど。ホテルに戻って部屋でくつろぎ、ファラーフェル(ヒヨコマメのコロッケ、野菜と一緒にアラブパンで巻いてある)を食べてビールを飲む。トルコにはファラーフェルはないそうなので、食べおさめである。それにしてもアレッポの商店で働く人達は、ダマスカスの人達より人当たりが柔らかくて親切な気がするが、なぜだろう。

1月20日
朝5時のバスでアレッポを出発。非常に眠い。このバスではコロンヤ、ネスカフェなどのサービスがあり、とてもよかった。トルコの会社なのだろう。コロンヤ!「トルコで私も考えた」を読んで以来ずっとあこがれていたコロンヤサービス。バスの車掌さんが、コロンヤという、アルコール度の高い(70-80度)レモン匂いのする香水を両手に振り掛けてくれるのだ。その安っぽい合成レモンの匂いを嗅ぎながら、感無量であった。飲み物をサービスするとき、車掌さんはナイロンの使い捨て手袋をはめていた。シリアのバスでは考えられない気の使いようである。そもそもシリアのバスでは水とアメ以外のものは普通出こないし。まだシリア領内なのに、バスの中はまるでトルコ!とうっとりしているうちにやがて国境に着き、アサド大統領の絵姿にお別れをして、トルコの赤い国旗に迎えられる。アンタクヤのオトガル(長距離バスターミナル)に到着したのは8時前である。そこでしばらく待って、9時半のバスでアンタルヤへ向かった。バス会社はアクデニズ社、45TL(トルコリラ、1TLがだいたい30SP=約60円)。さすがトルコ、バス代が高いと感心する。このバスでは飲み物サービスなどがほとんどなく(コロンヤもなかった)、15時間乗っている間に15分休憩が2回だけ、あとはどこかの街のオトガルに寄ってもすぐ出発するので、タイミングが見計らえず、ご飯が食べれなかったが、隣に座った親切な女性がお菓子やチャイをおごってくれた。アンタルヤまで12時間だと言われていたが、結局15時間かかり、着いたのは夜中の1時過ぎであった。こんなに長時間バスに乗ったのは生まれて初めてである。セルヴィス(バス会社の市内送迎サービス)で市内に出て、通行人に電話を借り、友人のアンに連絡して迎えに来てもらった。彼女の友人のアパートが今空いているので、そこに泊めてくれるという。アンはそこから徒歩2分の、恋人のアパートに住んでいるそうだ。

1月21日
長旅の疲れのため、昼まで寝る。12時にアンが迎えに来てくれ、彼女の恋人のアパートでブランチをいただく。アンはダマスカスで知り合ったドイツ人女性である。彼女もダマスカス大学でアラビア語を勉強していたのだが、やがてアラビア語学習を中断してトルコ語を勉強することに決め、トルコに移動したのである。つまりわたしの先輩みたいなものである。彼女の恋人はとても親切で穏やかなトルコ人男性。オーストラリアでトルコ料理店をやっていたが、しばらく前に店をたたんで、何十年かぶりにトルコに戻ってきたそうだ。

ブランチのあと3人で海岸を散歩してから、トメルに話を聞きに行く。トメルでエレベーターを待っているとき、アンが以前習ったという女の先生に会い、「イズミルに行っちゃダメ。ひどいところらしいわよ」と忠告される。そう言われると、余計に行ってみたくなるものが人情である。受付の女性はトルコ語しか喋らず、説明がよくわからなかったが、親切だった。その後ATMでお金を引き出し、トルコの携帯電話のチップを買って手続きをした。これで一安心。夜もアンのところでご飯をご馳走になった。

1月22日
今日は一日中大雨だった。しかも寒い。アンタルヤでは、こんな天気は年に1回か2回しかないそうだ。今日もブランチをアンのところでご馳走になり(メネメンという卵料理。トマトやマッシュルームなどをオリーヴオイルでいためて、卵を載せて焼いてあった)、その後2時間くらい無為に過ごしてから、イズミルまでのバス券をキャーミルコチュ社の事務所に買いに行く。35TL。午後はアパートの掃除、昼寝など。夕食をアンたちのアパートの地上階にあるファミレスみたいな店で食べたが、美味しくなかった。こういう安価な冷凍食品をあたためたような、まずいもの食べたのは久しぶりである。シリアではこういう食べ物にはなかなかお目にかかれない。カールスバーク・ビールはおいしかった。

1月23日
朝5時半起床。6時40分にアパートを出て、バス会社の事務所の前でセルヴィスに乗る。オトガル(長距離バスターミナル)に着いて、イズミル行きの大型バスに乗り換える。キャーミルコチュ社のバスは高級感あふれるつくりで、飛行機みたいだった。座席はゆったりと横3列、ラジオ放送あり、コーヒーとスナックサービスあり、雑誌あり、休憩もきちんとある。でも早起きして疲れていたので座っているのがしんどかった。15時にイズミルに着き(約7時間)、セルヴィスでバスマネ駅まででて、安ホテルを探す。地中の歩き方に出ていたアクプナル・ホテルの右隣のホテルに決める。家族経営で、親切で感じが良いホテルだった。部屋は清潔でテレビと洗面台つき、バス・トイレは共同、15TL。2時間昼寝した後、ホテルを出て、近所の庶民的な通りをぶらぶらする。喫茶店が沢山あって、おじさんたちがテレビをみたり、ゲームをしたりしている姿がすてきだった。わたしは楽しそうなおじさんの集団を見るのが大好きなのである。ロカンタ(安食堂)でキョフテ(ミートボール)のトマト煮と、ヒヨコマメのピラヴを食べ、そのあとインターネット屋に行ってから、ビールを買ってホテルに戻る。

トルコでは、シリアほど衛星放送が普及していないようで(高いのかもしれない、シリアでは無料で受信できるけど)、安ホテルのテレビでは地上波の放送しか見れない。しかしトルコのテレビ番組は腐っている、としか思えないです。日本のテレビよりひどいかもしれない。センセーショナルな取り上げ方でしょうもないニュースをやっているか、大げさなバラエティーか歌番組、それに昔の映画。そこに連続メロドラマが加わる。国外ニュースの報道が極めて少ないので、国際政治ニュース好きの私はとても不満です。トルコこれで大丈夫なの?

1月24(日)
9時起床。10時過ぎにホテルを出て、すぐ近くのクルトゥル(=文化)公園に行く。地球の歩き方には、この敷地内に動物園があると書いてあったが、警備員に聞くと「ない」という返事。その代わりというわけではないだろうが、ミニ遊園地があったが、まだ動いていなかった。別にいいんだけど。この公園は広くて緑豊かでいいところである。が、寒かった。そしてその寒い中を、ジム・マシーンみたいなのが設置してある広場で、頭にスカーフして長いコートを着た普通のトルコのおばさんが、真面目な顔でせっせと筋トレしてたのが印象的であった。ダイエットのためだろうか。

公園を抜けて、トメル・イズミル校のあるアルサンジャック地区に向かう。バスに乗るつもりだったけど、道端に座ってタバコをふかしている女性に聞くと、けっこう近いそうなので歩くことにする。アルサンジャックは外国のブティックやオープンカフェがいっぱいある、お洒落な地域である。古いオスマン建築の建物を改装したカフェなどが並ぶ、風情のある一角もある。さらに少し歩けば視界が開けて、目の前に青い地中海が広がるのだった。岸辺に立ち尽くして、波に揺られる白いかもめさんたちを眺めながら思った。
・・・イズミルってなんていいところなんだろう。庶民的な市場やおじさん御用達の喫茶店が集まる古い地区があって、野良猫や犬がそこいら中をうろうろしていて、雰囲気のあるカフェや本屋もあって、しかもちょっと歩くとそこは海なのである。ここを好きにならずにいられようか。(いやいられない)
アンの恋人も、アンタクヤのトメルの先生も、ダマスカスで(間接的に)知り合ったトルコ人も、トルコに最近まで住んでいた日本人の知り合いも、みなイズミルはひどいところだから行かないほうがよいと、口をそろえてわたしに忠告したが、なぜイズミルはそんなに評判が悪いのだろうか。

トメルにたどり着いて、コースや住居の斡旋の有無について質問する。日曜日なのに空いていた。すごいぞ、トメルったら、やる気満々だね。英語がしゃべれる職員もいるし。ここでもパンフをもらった。
トメルを出て無作為に歩いていると、ミグロスという大きなスーパーが目に付いたので、当然入る。酒類が置いてあるのが新鮮である。シリアのスーパーには酒類は一切置いていないので。そして肉類のコーナーに、豚肉を発見! 生の肉ではないが、真空パック入りの「生ハム」「サラミ」「ベーコン」が片隅にしんみりと並んでいるではないですか。さすがトルコ、久しぶりに豚肉にお目にかかったわ。迷った末に生ハムを購入。となるとワインを買わないわけにいかないので、赤ワインとミニチーズセットも購入する。散財したが、幸せになったところで、バスに乗ってバスマネ地区に戻る。ミグロスで買い物している最中、ブルサの知り合いから連絡あり、明日ブルサで会ってアパートを見せてもらうことになったので、ニルフェル社のオフィスでブルサ行きのバスチケットを買う。朝8時発、午後1時着予定で、25TLであった。ホテルに帰って昼間から一人で宴会した。生ハムはとてもおいしかったが赤ワインはいまいちね、とかいいつつ飲みすぎて寝てしまう。

起きたら夕方であった。生ハムを一気食いしたせいでのどが渇き、やたらに水を飲む。
夜になってからホテルを出て、バスマネ駅付近のロカンタに入り、ナスのトマト煮とマカルナ(茹でたマカロニに味付けしたもの)を頼む。美味しかったが、余りお腹が減ってなかったので(当たり前)、マカルナをほとんど全部残したら、それを見た店のおやじに、「マカルーナー!」(なんで残したんや!と問いただしているらしい)と大げさに非難された。それでもおやじはチャイをおごってくれる。良い人なのである。その後ビールを買って宿に帰る。宿のフロントでチャイを飲み、ホテルのご主人と世間話をする。トルコ語がよくわからないので、とりあえずなんにでもうなずいておく。適当に切り上げて部屋に戻り、ビールを飲んでから寝た。布団の中で、明日ブルサで見せてもらう予定のアパートに住むことにしよう、と心に決めた。まだ見ていないけど、我慢できないほどひどいところではないだろうし、この荷物を持ってイズミルにまた戻るなんて、面倒くさすぎる。そもそも3か月弱しか住まない予定だし、結局住むところなんてどこでもいいのだ、という気がしたので。

トルコ。
トルコには庶民的な煮物料理屋さんが多いくて便利である。シリアには少ないし、あっても夕方に閉めてしまうところが多く、結果として貧乏旅行者はシャウルマやファラーフェルばかり食べるはめになり、野菜不足に陥りやすいのだが、その点トルコでは野菜料理に不自由しない。それにしてもなぜ煮物料理屋さんはビールを置いてないのだろうか。ビールを置いている飲食店は、バーやお洒落なカフェテリアや大きいレストランに限定されている気がする。あんなにエフェス・ビールの看板が多いこの国で、なぜだ。っていうか、私ってどうして四六時中ビールのことばかり考えているのかしら?病気かも。

コメント
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