外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

イマーンさんの手料理のと・り・こ

2010-12-19 17:15:59 | パレスチナ


庭でヤギを屠る人たちと、生き延びたヤギ、そして肉のおこぼれを待つ猫。





「完ぺき」という言葉を体現するもの、それはうちの大家さんの奥さん、イマーンさんの料理である。正確を期すなら、それは「完ぺきな家庭料理」だが。
大家さん一家は私のアパートの階上に住んでいて、しょっちゅう彼女の手料理のおこぼれにあずかるのだが、一度として味つけが濃すぎたり(または薄すぎたり)、煮込み具合が足りなかったりしておいしくなかったためしがない。アラブ世界に暮らして2年余りになるが、いままで食べた中で彼女の料理が一番おいしい、このアパートを借りることにしたのはホントに正解だった、と自分の「借家運」の良さを実感する日々である。

イマーンさんは40代半ば、娘1人(結婚してサウジアラビアに在住)と息子2人の母親で、週2回アル・アクサー寺院に、コーランの読み方のレッスンを受けに通っている敬虔なムスリマ(イスラームの信徒の女性)である。
彼女は「私は食べるのが好きでやめられない、中毒患者なのよ」とこぼす。実際彼女は太っているというほどではないにしても、ぽっちゃりとして頼りがいのありそうな、アラブのお母さん体型である。自分は食べ物にあまり執着がなく、料理はいつもテキトーにやる、と私が言うと、「あなたは自由でいいわねえ、うらやましい!私は夫と息子2人を食べさせなきゃいけないから、毎日料理しないわけにはいかないし、作ったらいっぱい食べちゃうし・・・」、とため息をつくのだった。あんな美味しい料理を毎日作ってたら、そりゃ食べすぎて太るだろうよ、と私も思うが、それにしては彼女のだんなさんと息子たちは全然太っていない。一体なぜなんだろう。

本当のところは、私だって食い意地が張っているし、料理もけっこう好きなのだが、最終的に、「おいしいものを食べるためにエネルギーや時間やお金を費やす」ことにあまり興味が持てないのだ。私にとって、料理がおいしいかおいしくないかは結果の問題であって目的ではない。もちろんおいしいに越したことはないが、まずくても別段差し支えないのである。ともあれ、美味しい手料理がタナボタ式に転がり込んでくるのは大歓迎なので、「今日ナニナニを作ったんだけど、食べる?あなたもう食事した?もしまだだったらどうぞ。」と声をかけられたら、食事が済んでいようがいまいが条件反射で、「もちろんいただきます!あなたの料理はいつもおいしいもの。ありがとう!」と即答することにしている。

イマーンさんは私の顔を見ると「あ、食べ物をあげなきゃ」と思うらしい。私がなにかの用事で彼らのアパートを訪れたら、必ずなにかしら食べ物を分けてくれるのだ。鍋に料理が残っていたら温めて皿に盛ってくれるし、そうでなくても台所をごそごそ探して、果物やお菓子を持たせてくれる。私がしばらく彼らを訪れないでいると、下の息子をお使いによこして、うちまで料理を届けてくれるのだ。そのせいか、パレスチナに来てからなんだか太ってしまった。冬が来て食欲が倍増したせいもあるが、それにしてもお腹が苦しくて仕方がない。子供もいないのにお母さん体型になっても困るんですけど・・。イマーンさんは庭にやって来る野良猫にもいつも餌をやっているが、私を餌付けするのもその延長上なのかもしれない。

今まで食べた彼女の料理の中で、私が気に入ったベスト3を選ぶとするなら、1位はなんといってもヤギ肉の煮込み、2位はザアタルとチーズのパイ、3位はマンサフというところだろうか。

1.ヤギ肉の煮込み
この料理は、イスラムの犠牲祭(イード・ル・アドハー)のときにご馳走になった。このお祭りの間、羊や牛などを殺して神に捧げ、肉や皮の一部を貧しい人に施すのは、ムスリムの義務のひとつである。羊を屠るのは以前見たことがあるが、ヤギはこれがはじめてだった。
今年の犠牲祭は、パレスチナでは11月16日から19日までであった(太陰暦であるイスラム歴によって定められるが、国によって開始日が1日ずれたりする)。うちの大家さんはイードの1週間ほど前にヤギを3匹購入し、そのうち1匹を犠牲としてアッラーに捧げ、残り2匹は庭の囲いの中で飼うことに決めた。彼はニワトリも数羽飼っていて、よく庭で放し飼いにしているし、野良猫もしょっちゅう入りびたっているしで、うちはミニ動物園みたいな様相を呈している。日本人もひとりいるしね。

前置きが長くなったが、イード2日目に大家さんは親戚や息子を駆りだして、一番年上のヤギを庭で屠った。私もそばにいて写真を撮らせてもらったが、首にナイフを入れた瞬間ぴゅうぴゅうと鮮血が噴き出して、獣くさい匂いがあたりに立ち込め、なかなか迫力があった。死体の皮をはぐのを見届けた後、私は1泊2日の旅行に出かけたが、その後イマーンさんは親戚の女性たちと協力してその肉をせっせと細切れにしたそうだ。ご苦労様である。その大部分は冷凍してしまったが、残りは調理してイードのご馳走にしたらしい。翌日の夕方帰ってきたら、これはあなたの分よと言って、ご馳走の載ったお盆を渡してくれた。お皿に盛った黄色い味付きごはんに、煮込んだヤギのかたまり肉が添えてある。別のお皿に入った肉のスープも並んでいる。肉もスプーンで食べれるからね、との説明つきであった。
3時間煮たというだけあって、その肉はスプーンで簡単に千切れるくらい柔らかく、よく脂ものっていて、まろやかに口の中で溶けるのだった。ヨーグルトやタマネギで臭みを消してあるせいか、とても食べやすい。ご飯にのせ、スープをかけて混ぜながら食べる。ヤギを食べるのはこれが初めてだが、こんなに美味しいものだったとは、いや恐れ入った。
日本の居酒屋で私が必ず頼むものといえば、豚の角煮・ナス田楽・揚げ出し豆腐の3点セットであったが(つまり味の濃い、脂っこいものが好き)、豚の代りにヤギの角煮というのはどうだろう。ヤギ肉も脂っこいから砂糖醤油で煮込むと案外いけるかもしれない。調味料にみりんや酒を使わなければ、ムスリムの人たちも食べられるね!おや別に食べたくないですか、それは失礼しました。じゃあヤギの田楽とか揚げ出しヤギっていうのは?…だめですね、はいすいません。

2.ザアタルとチーズのパイ
ザアタルとは香草のタイムのことである。シリアやパレスチナではザアタルを食べる機会が多かった。ちぎったアラブパンをオリーブオイルに浸し、ザアテル・ミックス(乾燥したザアテルの粉末にゴマや他のスパイスを混ぜたもの)をまぶして食べるのだ。シンプルだがくせになる味で、広く皆に愛されている。家になにもないとき、パンとオリーブオイルとザアテル、それにオリーブの漬物などがあればこと足りるし、卵を焼けば立派な食事となる。卵を焼くのは、おかずの足りないときに急場を凌ぐための、パレスチナのお母さんの知恵なのかしら?ビリンでお邪魔した家でも、ナビー・サーレフでお世話になったお母さんもそうしていたけれど。

イマーンさんのパイに入っていたのは、乾燥モノではなくて生のザアタルの葉っぱである。私も葉っぱの掃除を手伝ったが、ザアタルの小枝を指でしごいて葉っぱをはぎとるという、地道な単純作業であった。イマーンさんはこういう作業をするときも、いちいち「ビスミッラー・・・」と小声でお祈りの文句を唱えながらやる。信心深いのである。枝は沢山あったので、けっこう時間がかかった。
その後イマーンさんはパイ生地をこねて、このザアタルの葉っぱを練りこみ、四角く形作ってから塩辛い白チーズのかけらを包み込んで、オーブンで焼いた。
ザアタルの葉の香りがさわやかで、チーズの塩味が効いた香ばしいパイであった。焼きたてが、甘い紅茶にとてもよく合う。でもこんなものをおやつに食べていたら、太るのも当然だよな。

3.マンサフ
マンサフはヨルダンの名物料理だそうだが、ここパレスチナでもよく作られ、スークでも、ジャミードの白い固まり(乾燥したヨーグルトスープの素、マンサフに欠かせない)を売っているのをよく見かける。
マンサフはベドウィン的な料理である。羊肉を煮込んで、そのスープで炊いたごはんにのせ、その上にこってりしたヨーグルトスープ(ジャミードで作る)をかけて食べる。マクルーベと同様、お客さんが来たときにつくるご馳走で、イマーンさんも金曜日に親戚を招待した機会に作っていた。彼女のマンサフは、例によってよく煮込んであるので、肉が柔らかく、スープの塩加減も絶妙。ごはんに散らしたカシューナッツがアクセントになっていて、食が進んでしょうがないのだった。

一般にアラブ人は、ちょっと親しくなると食事に招いてくれるのだが、あまり親しくない他人の家庭に上がりこんで食事をするのが、私はどうも苦手である。その点イマーンさんは多忙なせいか、あっさりとした付き合いを好み、自宅に食事に誘うのではなく「おすそ分け」という形で分けてくれるので、私としては気楽である。自分のアパートで食べると、お酒も飲めるしね!ムスリムの家はふつう禁酒なので、「ああこの美味しい料理を、お酒を飲みながら食べられたらどんなに素晴らしいことか・・・!」と身もだえして苦悩する(おおげさ)ことが多いのである。
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パレスチナのちらし寿司

2010-12-19 17:03:22 | パレスチナ

ビリン村の散らし寿司タイプのマクルーベ

パレスチナでは家庭料理を食べる機会が多かった。一番の理由は、大家さんの奥さんが料理上手で、よくおすそ分けしてくれることだが、それ以外にもビリン村やナビー・サーレフで、地元の人の家に上がりこんで食事のご相伴にあずかることが多かったからである。

アラブの美食界の横綱といえばレバノン、そしてシリアであり、その洗練された前菜の数々や、種類が豊富で繊細なアラブ菓子は有名であるが、家庭料理に関して言うならパレスチナ料理だって負けてはいない、と私は思う。レストランで食べたことはない(だってお金ないもん)ので分からないが、家庭料理はうっとりするほど深い味わいで、「パレスチナ料理ってアラブで一番おいしい!」と家から飛び出してオリーブ山のてっぺんから大声で叫びたくてうずうずする!というのは誇張ですが、ともかくおいしいんですのよ。

パレスチナは歴史的に「大シリア(BILAD AS-SHAM)」の一部とされていて、シリア・レバノン・ヨルダンと共通の文化圏に属しており、方言や文化風習が似通っている。地理的に近いため、エジプトの影響もみられるようだ。だから料理もシリアやヨルダンやエジプトですでに口にしたものばかりだったけれど、ここパレスチナで食べたものが一番私の口に合った。

パレスチナ料理の代表選手は何と言ってもモロヘイヤスープとマクルーベだと思う。モロヘイヤスープは、モロヘイヤの葉っぱのみじん切りを鶏のスープで煮込んだもの。スプーンですくってご飯にかけて食べたり、パンを浸して食べたりする。モロヘイヤ特有の苦味とレモンの酸味を、コクのある鶏のだしとニンニクの風味が背後からがっしり支えた、奥行きのある大人の味で、食べだすとどうにもやめられない、かっぱエビせん的料理である。一見不気味な暗緑色の、ぬるっとした得体の知れないスープだが、これがどうして、あなどれないのである。モロヘイヤスープではエジプトが有名だが、エジプトのレストランで食べたものより、ビリン村の貧しい農家で食べたもののほうが数段おいしかった。
モロヘイヤスープがパレスチナの家庭で普段食べられる、典型的な「ケの日」の料理だとすると、マクルーベのほうはお客さんが来たときに出す、「ハレの日」のおもてなし料理だと言える。「マクルーベ」とは「ひっくり返したもの」という意味であり、大きな型に茹でた鶏肉か羊肉のぶつ切り、揚げたナス(カリフラワーの場合もある)などを敷き、その上からごはん(肉のスープで炊いてある)を詰めて大皿の上でひっくり返し、上に炒めた松の実を散らした、見た目にもインパクトのある祝祭的な料理だが、国や地域によって色んなバージョンがあるらしい。私がビリン村で食べたのは、型に詰めるのを省略して、ごはんを大皿に盛って上に具を散らした、ちらし寿司タイプのマクルーベであった。すると型に詰めたものは箱寿司?いずれにせよ手間ひまがかかるので、そうしょっちゅうは作れないようだ。そう、パレスチナ料理に限らず、アラブ料理は手間と時間がかかる!2,3時間煮込むなんて当たり前。そんな重労働を毎日毎日やるなんて、私には一生できん。アラブの女性に生まれなくて本当に良かった・・・。そんな訳で、私はアラブ料理を覚えることを最初からあきらめ、食べるほうに徹することにしたのである。

今これを書いている最中(午後2時すぎ)に、大家さんの下の息子(14歳)がやって来て、お昼ご飯がまだだったらどうぞと言って、魚の切り身のフライとトマトソースが入ったお皿を、かわいい笑顔で差し出してくれた。この子は私のお気に入りで、「こんな子供なら私も産んでもいい!」とこっそり思うほどだ。階上に住んでいる大家さんの奥さんは、よくこうやって中学生の息子経由で料理をおすそ分けしてくれるのである。パンでトマトソースをすくって食べるといいと言われたので、冷凍してあったパンを温め、紅茶を淹れる。魚を食べるのはものすごく久しぶりである。カラッと揚がった白身魚と手作りのフレッシュなトマトソースが、薄いアラブパンによく合う。昼間っから魚を揚げて、トマトソースを作るのかあ・・・やはり私はアラブ人の主婦にはなれそうにない。

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