外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

イスラエル製品ボイコットの順列組み合わせ

2010-12-21 15:36:43 | パレスチナ

スーパーのチラシ

イスラエル占領下のパレスチナでのイスラエル製品ボイコット…それはほとんど不可能に近い挑戦である。

イスラエル製品をボイコットするための条件はなんだろう。
中東在住の消費者という立場の私が考えつくのは、次の2つである。
(1)まずイスラエル製品が身近に存在すること。
(2)そして非イスラエル製品が豊富に出回っていて、イスラエル製品を買わなくても困らないこと。

シリアに住んでいたころは、ボイコットなど考えたこともなかった。だって基本的にイスラエル製品がないんだもん!シリアとイスラエルの間には国交がないので、上の(1)の条件を満たしていないのである。シリアの場合はシリア政府がイスラエル国家の存在自体をボイコットしているので、個人が行う余地がないのである。あるとしたらせいぜいイスラエルの旗くらいなものだが、これはもちろん飾ったり振ったりするためにあるのではなく、もっぱらデモで焼くために存在するのである。ガザの戦争中には、公道に敷いて通行人に踏ませ、「踏み絵」をやる、という使い方も見かけた。

シリアからトルコに移り住んでから、「新帝国主義国、イスラエルの製品をボイコットしよう!」というポスターを毎日見ることになり(借りたアパートの冷蔵庫に貼ってあったので)、ああそうか、ここにはイスラエル製品があるのだ、と気がついた。トルコはイスラエルと国交があるので、上の条件を2つともクリアーしているのである。だがその頃の私は(といっても今年の話だが)、ボイコット運動に微塵も関心がなく、そんなことしてもイスラエル経済は痛くもかゆくもないだろうに、まったくセンチメンタルな、と冷ややかに眺めるだけだった。イスラエルのやってることは許せないけど、マクドのハンバーガーは食べる。それはそれ、これはこれである。元来割り切った性格なのである。

しかしパレスチナにやってきて、占領下にある人々の苦労を目の当たりにするにつけ、パレスチナ製品を購入することで、わずかでも地元産業の活性化に貢献したい、イスラエル側にお金を落としたくない、という気持ちが自分の中に自然に生まれてきた。一般にイスラエル製品のほうが高価なので、経済的な理由もあるが(あくまで現実的な私)。おりしも国際的にイスラエル製品不買運動のキャンペーンが盛り上がっているし、ここはひとつ私も参加してみようではないか。

そうはいっても、ここはイスラエル占領下の東エルサレムである。パレスチナ人の経営する商店に入っても、陳列棚をみると、解読不能のヘブライ語のラベルの商品がずらっと並んでいる。乳製品、お菓子、ホンムス(パンにつける、ヒヨコマメのペースト)、ジュース、缶詰類、洗剤・・・イスラエル製品だらけである。私は一体何を買えばいいの?ボイコットなんて無理やん!そう、占領下のパレスチナは上に挙げた条件の(2)を満たしていないのだ。

気を取り直して冷静に観察すると、パレスチナ製品もそれなりに存在することに気づいた。そのほとんどはヘブロン産である。西岸地区南の都市ヘブロンは、パレスチナ産業の要であり、町のどまん中にイスラエルの入植地があるというハンディキャップに苦しみつつも、パレスチナにヘブロンあり!と気炎を上げている。パレスチナ製品以外にも、トルコのお菓子、サウジアラビアのスナック菓子、エジプトのジュースなど、他のアラブ・イスラム諸国の食品も買える。私はトルコのお菓子のファンなので(どれを食べてもおいしいんだもん)、見かけると条件反射で手が伸びる。しかしいかんせん、イスラエル製品のほうが数・種類ともに勝っていて(残念ながらクオリティも高い)、ツナ缶や洗剤などのある種の品目をほぼ独占しており、完全に避けて通ることは不可能に近い。

東エルサレムを縦横無尽に走っているアラブバスには、「エルサレムは永遠にわしらのもんや!プライドにかけてもイスラエル製品なんか買わへんで!」と書いた強気なキャンペーン・ポスターがべたべた貼ってあったりするが、実際のところパレスチナ人はこういうことに頓着せず、無造作にイスラエル製品を購入しているようだ。うちの大家さんたちもそうである。あまり細かいことを気にしていたら生きていけないのだろう。その気持ちはよくわかる。

しばし論理的(?)に検討した結果、ある程度の妥協は仕方がないという結論に達し、買い物をするにあたっての、自分なりの優先順位を決めることにした。それは以下のとおりである。

(1) パレスチナ人のお店でパレスチナ製品を買う。
(2) パレスチナ人のお店で非イスラエル製品(トルコ、エジプト等)を買う。
(3) パレスチナ人のお店でイスラエル製品を買う。
(4) イスラエル人のお店でパレスチナ製品を買う。
(5) イスラエル人のお店で非イスラエル製品を買う。
(6) イスラエル人のお店でイスラエル製品を買う。

なんだか数学の「順列組み合わせ」とか「場合わけ」みたいになった。
もちろん(1)がベストだが、ダメだったら(2)、それでもダメだったら(3)・・・というように段階が進んでいく。パレスチナ人の商店で買い物するのが基本である。

うちに泊まりに来た韓国人の女の子2人組に、この悩みを打ち明けた。彼女たちは韓国のパレスチナ支援団体に所属していて、2週間の予定ではるばるここまでやってきて、デモに参加したり、オリーブ摘みのボランティアをやったりしていた。ISMのトレーニングの場で知りあい、アジア人同士気があって連絡を取り合っていたのだ。
「イスラエル製品をボイコットしたいんだけど、ここではむつかしいよねえ」とため息をつく私に、「ムリムリ。ここでは無理よ。パレスチナ人だって買ってるのに」と、2人とも笑いながら首を振り、「パレスチナ支援活動をしているイスラエル人たちは、入植地で作った製品だけボイコットしてるよ」と教えてくれた。おお、それはいい考えである。イスラエル人全員が敵なわけではないし、全製品をボイコットするのは理にかなっていないと、私もうすうす思っていたのである。
「で、それはどうやるの?」と尋ねると、「商品のラベルを読んで製造地をみればわかるらしいよ」とのことだった。そんなあ・・・暗号みたいなヘブライ語のラベルを解読して、地名から判断するなんて、外国人の私には到底無理である。あきらめるしかない。
彼女たちのうち1人がふと、「中国製品をボイコットするのって不可能だよね」と言い出す。そりゃ無理だと、もう1人と私もうなずいて皆で笑う。それはもう、絶対に不可能でしょう。

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イスラエルのとおりゃんせ

2010-12-21 15:26:03 | パレスチナ

イスラエルの猫


イスラエルは非常に特殊な国であり、その特殊性はあらゆる場面で発揮される。出入国もそのひとつである。

イスラエルに空路で入国するのは赤子の首をくいっとひねるように容易いが、出国は手ごわく、一筋縄ではいかないらしい。「とおりゃんせ」の歌詞を覚えていますか?「行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ・・・」これはイスラエルに飛行機で出入国する人のテーマソングであったか!と目からウロコが落ちますね。昔の人は慧眼であった・・・。
それとは逆に、バスなどで陸路入国するのは難しいが、出国するのはラク。これらはこの国を旅する人々の常識であるらしい。
しかし呑気な私はそういうことを知らなかった。テロリストでもなんでもない、ただの個人旅行者である自分の入国に問題があるわけがないさ、見た目も普通のかよわい女性だし、とタカをくくって、なんの準備もしていなかった。
私はイスラエルという国をわかっていなかったのである。

今年の9月の終わりに、私はカイロからバスに乗ってターバ国境を越え、イスラエル側でセキュリティー・チェックを受けた。機械に荷物を通し、別室で女性兵士によるボディー・チェックを受ける。この辺まではまあ普通である。そのあと担当の女性(むろん彼女も兵隊)が私のスーツケースを開け、その中にアラビア語の辞書や本が数冊あるのを発見してから事態がややこしくなり、近くにいた上官が呼ばれて、英語での尋問がはじまった。

これは何語の本ですか?(アラビア語です)
どうしてアラビア語の本を持っているのですか?(アラビア語を勉強しているからです)
どうしてアラビア語を勉強しているのですか?(語学の勉強が好きだからです)
どうしてイスラエルに来たのですか?(観光です)
どこに行く予定ですか?(エルサレムです)
どこのホテルに泊まる予定ですか、予約はしましたか?(まだ決めてません)
どうして決めてないのですか?(自由気ままに旅をするのが好きだからです)
ホテルを予約するのが普通でしょう。(私はあまり普通ではないのです)
・・・うんぬん、かんぬん。

今思うと、なんだか英会話の初心者コースみたいな趣きのある会話である。
返事に納得しなかったのか(まあそりゃそうだろうとも)、私の態度になにか反抗的な気配を感じ取ったのか、別の男の上官が呼ばれ、パスポートが入念にチェックされる。
私のパスポートはアラブ諸国のスタンプで大賑わいだが、なかでも「イエメン共和国」のビザがお気に召さなかったらしく、それについて根掘り葉掘り聞かれた。北部砂漠の、サウジ国境近くにあるアルカイダの自爆テロ養成所に行ってました、と冗談を言ってみたい!という激しい衝動に一瞬駆られるが、大人なので我慢して、「観光です。すごく素敵な国なんですよ!」と正直に答える。イスラエルに来る前、エジプトで何をしていたかもしつこく訊かれ(アラビア語の学校に通ってましたが、学校名はもう思い出せません。何だったかな・・・)、さらに徹底的なボディー・チェックを受ける。ズボンをパンツの下までさげろというので抗議したら、「これはノーマルなことだから、恥ずかしがる必要はないのよ」と軽くいなされる。そりゃあなたたちにとっては普通でしょうが・・・これがノーマルなことになってしまうイスラエルって、コワい国。

その後金属探知機や化学物質検知器(らしきもの)を駆使しての、徹底的な荷物検査が私を待っていた。担当兵たちは慣れたもので、マニュアルどおりに丁寧かつ手際よく、私の所持品をひとつ残らず機械にかけていく。スーツケースになにも隠してないか、入念に全体を指で押しながらチェックし、化粧水や乳液の中味を分析し・・・しかし危険なものは何も出てこなかった(当たり前)。
この段階でもう私の入国許可が出てもよさそうなものだったが、担当の若い男はさらに細かい質問をし、その結果をまとめてメールで上司に送って返事を待ち、上司の指示に従って不足事項(父親の名前や、父親の父親の名前など)を私に質問し、それをまたメールで報告し・・・という具合で、どうもイスラエルのビューロクラシーの穴に落ちてしまったようだった。そうこうしているうちに担当官の交代の時間が来たりして、ダメ押しするかのように事態を悪化させるのだった。

ながいながい待ち時間のあいだ、入国管理局付属のオープン・カフェで刻々と色を変えていく紅海を眺めながら、私は「もう入国できなくてもいい、エジプトに帰るう、めそめそ、もし入国できたらテロリストになってここを爆破してやるう」などと、疲れた頭で力なく考えるのだった。

結局、晴れてイスラエルの入国スタンプを手に入れたのは、入国管理局に足を踏み入れてから8時間後。エジプトで通っていた学校名を思い出せなければ、あそこで一晩過ごすことになったかもしれない。待っているうちに、学校長の名刺が財布に入っていることに気がついてよかった。何が幸いするかわからないものである。
私をエルサレムまで運ぶ予定だったバスはとうの昔に待ちくたびれて行ってしまい、公共のバスもない時間だったので(夜11時)、国境の町エイラットまでタクシーで出てホテルを探す羽目になり、ずいぶん高くついた。イスラエルに賠償請求したいくらいである。ほうら、エルサレムのホテルを予約しないで正解だったじゃないの!

入国管理局のイスラエル兵たちの態度は冷たくて機械的だけれど、非人道的というほどではなくて、一応こちらを人間的に扱ってくれ、お腹は減ってないか、カフェテリアで休憩してきたらどうか、などと気を使ってくれたことを明記しておく。それもマニュアルどおりの行動という可能性はあるけどね。
入国者の列の整理係のおじさんは、1人ぼっちでたそがれている私を見かねたのか、黙って熱いコーヒーをおごってくれたし、出口のところにいた陽気な日本びいきの係員に、8時間も待たされたと文句を言ったら、申し訳ないと気の毒そうに謝ってくれた。悪いことばかりではないのである。

余談だが、8時間にわたる私の観察によると、イスラエルの女性兵たちはアイスクリームの食べすぎでお腹が出ている。ダイエットのために食事の時間にサラダだけ食べても、おやつの時間に盛大にアイスクリームを食べてたら意味ないのよ、と心の中でたしなめる私だった。余計なお世話ですね。彼女たちは兵役のためにここエイラットにやってきて入国管理局で働いている、ごく普通の可愛い女の子たちであるが、仕事中はイスラエル国家の「安全」のためなら人権蹂躙などいとわない、非情な異分子探知機に変身する。毎日こんな仕事していると将来ろくな大人にならないよ。女の子だけじゃなくて、もちろん男の子も同じだけど。

入国後しばらくは、私はまだぷんぷん怒っていて、妹や友達にメールで愚痴っては憂さを晴らしていたが、1週間くらいするとすっかり気を取り直し、まあいいか、結局入れたんだし、次はもっと上手くやろう、などと考えるようになった。のど元を過ぎたのである。

あれからはや3ヶ月がたとうとしている。あと1週間もしたらバスに乗って出国し、隣国ヨルダンに移動する予定である。陸路での出国は簡単だとみんな口をそろえて請合うので油断しているのだが、さあどうなることか。行きも帰りもこわい、変形とおりゃんせになったりして。
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