コシャリの屋台、安くてそれなりに美味しい
今回はカイロ中心部のタハリール広場で見かけた平和なデモの風景をお届けする。
チュニジアで2010年12月に始まり、翌年1月にベンアリ政権を崩壊させた、いわゆる「ジャスミン革命」がアラブ世界の各地に波及し、自由と変革を求める民衆の運動が広がって、「アラブの春」と呼ばれるようになった。この民主化運動が思いがけない形でエジプトでも始まって、1月25日にカイロのタハリール広場を中心に大規模なデモが発生し、やがて2月にはムバラク政権が倒れて、軍による暫定統治期間に移行した。この流れについては、覚えておられる方も多いと思う。私はその様子をエルサレムからアンマン、イスタンブールへと移動しつつ、テレビやネットで眺めていた。
関係ないが、私はジャスミンが好きだ。小さくて白い可憐な花なのに、ねっとりと濃厚な香りを放ってくるところがツボにハマる。ダマスカスは「ジャスミンの街」と呼ばれる。
私が訪れた2011年5月のカイロは、そういう状況にあり、タハリール広場に集まっていた人々の顔は、大きな犠牲を出しながらも自分たちの手で独裁政権を崩壊させ、革命を成就させたという満足感と未来への期待感で輝いて見えた。革命の様子を記録したDVDや革命記念グッズを売る屋台もあった。(買っとけばよかった)
その後選挙が行われ、2012年6月末にムスリム同胞団出身のムハンマド・モルシー氏が大統領に就任したが、人々の生活状況は一向に改善されず、治安も悪化するなどして支持率が下がり、そうこうしているうちに当時国防相だった軍人のアブドゥルファッターハ・シシ氏が2013年7月にクーデターを起こして政権を掌握、やがて自身が大統領に就任した。モルシー氏は投獄され、2019年6月、出廷中に倒れて病院で亡くなった。現在のシシ政権はかつてのムバラク政権以上に強権的な手法を用い、ムスリム同胞団を始めとする反体制派を厳しく弾圧しているので、事態は「アラブの春」以前よりも悪化していると言える。経済状況も好転する兆しはない(コロナ以前の話)。
でも、だからと言って「アラブの春は間違った動きだった」「民主化運動などを起こさず、大人しくしていれば良かったのに」と言うのは、何か違うと私は思う。チュニジアでの革命成功(政権崩壊)は、長きにわたって独裁政権に耐え、沈黙してきた人々に「もしかしたら、自分たちにも国の状況を変えられるかもしれない」という希望を与えた。民主化運動の拡大は、あの流れにおいて必然だったのだと思う。シリアやリビアなどでも、それは同じだ。結果だけを見て、「外から、後から、上から目線で」批判するのは容易いけれど、それは自由を得るために命がけで戦った(戦っている)現地の人たちに対して、失礼だと思うのだ。
前置きが長くなったが(長すぎるわ)、そういうわけで、革命の熱気もまだ冷めやらぬ、人々がまだ希望に満ちていた頃の平和で和やかなタハリール広場のデモを見物してきたわけだ。
タハリール広場に隣接する政府の集合庁舎「ムジャンマア」(エジプト風に発音すると「モガンマア」)
かつてここで滞在許可を更新してもらったものだ。当時は簡単に更新できたが、その後難しくなったと聞いた。
私がタハリール広場を通りかかったのは金曜日の昼頃で、青空の下での集団礼拝の後にデモが開始した。屋台も色々出ていた。
9月の戸外での礼拝はやりやすそう。真夏は厳しいからね。
子供も参加
この時のデモには色んな団体が参加していて、テーマも様々だった。奥にイスラエルを象徴する人形が吊るされている。
キリスト教徒とイスラム教徒の団結の必要性を訴えかける人達
翌日の土曜日に通りかかった時も、デモが行われていた。この時は、パレスチナへの連帯を示す内容だった。
若者中心のデモで、皆非常に楽しそうだった。
女性の姿も目立った。
支援のためにガザとの境界に向かう人々を乗せていたバス。
写真を撮ってたら、「君はジャーナリスト?」と聞かれた。私はわりとそう思われがちだ。
これは地下鉄駅で見かけた広告
「私はエジプト人
前向きに生き、間違ったことにはノーと言う。私はエジプト人だから。
自分の権利と義務を自覚する。私はエジプト人だから。
私は自分の国と自分自身を誇りに思う。なぜなら、私はエジプト人だから」
と書いてある。
なんだか、ほんの10年ほどの間に色んな事が変わってしまったなあ。しんみり・・・
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https://www.jiji.com/jc/article?k=2021012400222&g=int
(終わり)