外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

パレスチナぼんやり回想(8)~西岸地区の諸都市・マルコポーロ風~

2024-05-25 21:22:07 | パレスチナ

 

 

今回は、2010年10月~12月にパレスチナ自治区・西岸地区の諸都市を訪れた時の話。

 

東エルサレムの下宿を拠点として日帰りか一泊でさらっと見て回っただけだし、例によってぼんやりとした記憶しかないので、大したことは書けないのだが、それを補うために、というわけではないが(なんやねん)、今回はちょいとマルコ・ポーロの「東方見聞録」風に書いてみようと思う。私は少し前から、マルコ・ポーロの「東方見聞録」を原文でちびちび読み進めているのだが(原題は「il Milione」)、これが滅法面白いのだ。古いイタリア語で書かれているが、文章が短く簡潔にまとめられているので、比較的読みやすい(でもたぶんせいぜい6~7割しかわかってない)。

 

というわけで、今回はマルコ(とジェノヴァの牢獄で彼の話を書き取ったルスティケッロ)の霊に取り憑いてもらったつもりになって、パレスチナ西岸地区で訪れた街のことをそれっぽくまとめてみる。まあ、マルコみたいな面白い話は出来ませんがね…写真に付ける説明などは、適宜非マルコ文体でいくのでよろしく。混同しないよう、マルコ文体(自称)の部分の文字は強調しておこう。

 

 

パレスチナ西岸地区の地図

 

 

ナブルス(نابلس)

エルサレムを出発して、馬で北に向かって1日進むと(50~60㎞)、山間のナブルスという街に着く。ここは、「(ヨルダン川)西岸地区」と呼ばれる地方にある。ナブルスはその地方の中で最も大きな街の1つ。モスクや住宅が相当ある。この地方はマフムード・アッバースという名の人物が統治しているが、実際にはこの地方を取り巻く壁の向こうにいるユダヤ教徒のイスラエル人らの支配下にあり、その軍勢が壁を越えて折々攻めてくる。壁のこちら側にも少しいる。ナブルスの住民はサラセン人(イスラム教徒)。キリスト教徒も少しいる。この地方の人々は、アラビヤ語を話す。町外れに美しい教会があり、そこにヤコブが掘ったと言われる井戸、「ヤコブの井戸」がある。山の上にはサマリア人がいて、そこにはワインがある。ナブルスの街中にはワインはない(酒屋が見つからなかった)。人々は茶とコーヒーをを飲み、パンと肉を食べる。牛乳を腐らせたものもある(ヨーグルト)

 

 

ナブルス郊外のフォティニア教会。ヤコブの井戸は地下にある。(写真なし)

 

教会にいた猫たち

 

同行したパレスチナ支援団体のアメリカ人女性と猫たち

 

 

この街は石鹸の産地で、商人があちこちから買いに来る。ここの石鹸はオリーブの実を絞った油から作られる。古い市場もあり、なんでも売っている。ナブルスではクナーファというお菓子が作られる。細長い綿糸を寄せ集めたような小麦粉の生地に澄ましバターをかけ、チーズを挟んで、焼いて蜜をかける。橙色をしている。ピスタチオをかけることもある。素晴らしく美味で、驚嘆すべきお菓子だ。

 

 

(ネットから拝借したナブルスのクナーファ屋の写真)

 

(こちらもネットで見つけた写真)

 

 

 

石鹸工場(の入口)

黄色い張り紙に「私にやましいところはない。うちの店は入植地の製品やサービスによって汚されていない」と書いてある。イスラエルの入植地ボイコットの表明だ。

 

 

ネットから拝借したナブルス石鹸の写真

小ぶりの土レンガっぽい外観。色白。アレッポ石鹸より安い。

 

 

旧市街で見かけたかわいい車

 

 

さて、次はナブルスから西に進んだところにある、カルキリヤという街について説明しよう。

 

 

カルキリヤ(قلقيلية)

ナブルスから西に少し行くと、カルキリヤという町に着く。ナブルスより小さい。ここも西岸地区という地方の一部。住民はサラセン人。モスクや商店や家がある。この町は西岸地区の端にあり、前述のイスラエル人らが築いた壁に囲まれている。住民は壁の向こうには行けない。イスラエルの軍勢はしばしばカルキリヤに攻め入る。

 

 

国連(OCHA)の地図

カルキリヤの町は少し出っ張っていて、壁の間際にある。

 

約4か月前にイスラエル軍がカルキリヤに突入した時の動画

 

 

立ち入り禁止の柵

 

 

分離壁に近づくと危険

 

 

カルキリヤには、世界中から連れて来られた動物を集めて、檻に入れて見せる場所がある。この地方では、ここにしかそのような場所はない。人々は動物を見に行き、そこで食事もする。非常に賑やかな場所である。

 

 

カルキリヤの動物園

 

 

 

 

 

私は同郷の友と共にそこに行った。私たちは動物を見ていたが、人々は私たちを見ていた。この町には外国人は滅多に来ないので、動物よりも珍しいのだ。

 

さて、カルキリヤの話はこれで終わりにして、次はエルサレムに近いベツレヘムという街の話をする。

 

 

ベツレヘム(بيت لحم "バイトラハム”と発音)

エルサレムを南に少し行くと、ベツレヘムと呼ばれる町がある。前述のイスラエル人らが建てた壁でエルサレムと隔てられており、特別の出入口(検問所)を越えないと出入りできない。

 

ベツレヘムは歴史ある高貴で美しい街で、教会や修道院、石作りの建物が多い。住民はキリスト教徒とサラセン人。ここは、イエス・キリストの生誕の地に建てられたと言われる聖誕教会があり、世界中からキリスト教徒が巡礼に来る。聖誕教会のそばには、古い市場もあり、様々なものを売っている。ベツレヘムの近くの修道院では、ワインが作られる。この地方のワインは美味しい。

 

 

エルサレムとベツレヘムを隔てる分離壁には、イスラエルの占領政策に対するパレスチナ人の抵抗をテーマに描かれた壁画が多い。

 

 

バンクシーのものもある。

パレスチナ人の少女がイスラエル兵をボディチェックしているモチーフ。いつもと立場が逆転した構図だ。(ベツレヘムの分離壁等の壁絵とバンクシーについてはこちら

 

 

ベツレヘムの街の中心の広場

 

 

聖誕教会前の広場

クリスマス前で、ツリーにライトアップしていた。

 

聖誕教会

 

教会の見学者はムスリムも多かった。

 

教会の地下

 

 

 

聖誕教会のそばのミルク・グロット教会 

 

 

 

ウィキペディアの説明:

ミルク・グロット

パレスチナ地方の都市ベツレヘムにある教会。 幼子イエスを抱えたヨセフとマリアがエジプトに脱出するまで、ヘロデ王の兵士から身を隠したとされる洞窟がある場所に建つ。 マリアの乳房から母乳が滴り落ち、岩が白く染まったという伝説がある。

 

 

民俗博物館的なところ

 

この場所の名前が思い出せない。ここかもしれないが、違うかも…

 

 

旧市街の市場の謎の店にパキスタン産のダチョウオイルがあった。

リューマチや神経痛、関節痛などに効くらしい。

 

 

ラーマッラーやジェニンについても書こうと思ったが、ラーマッラーは他の都市に行くときに通ったり、ISMのトレーニングに行ったり、家探しをしたりした時に通った程度なので書くことがない。西岸地区の首都的な大きな街で、酒が飲めるお洒落なカフェなどもあるとしか言いようがない。ジェニンも、商店街を見て回って、何も買わずに帰ったことがあるだけなので省略。というわけで、西岸地区に行った時の話はここで終わり。

 

なお、ベツレヘム辺りから文体が完全に非マルコ文体になってしまったことをお詫びしておこう。まあ、それ以前の文も、それほどマルコではなかったが・・・

 

 

(おまけの室内園芸写真)

 

キャンドゥで買った栽培キットのミニトマト、無事に出芽した~

 

 

(続く)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パレスチナぼんやり回想(7)... | トップ |  日付不明まとめ書き日記2024... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

パレスチナ」カテゴリの最新記事