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今回は、いわゆる「イスラエル」(1949年の停戦ライン=グリーンライン=国際社会で認知されているパレスチナとイスラエルの境界線、のイスラエル側の地域)を旅した時の話。ほんの小旅行だし、例によって、もうろくに覚えていないんで、大したことは書けないが。
私は2010年9月末から12月下旬までの約3か月間、東エルサレムの下宿を拠点として、西エルサレムでヘブライ語講座を受けたり、西岸地区のデモに参加したりしていたのだが、やることがなくて一人で暇をもてあましていることも多かった。もともと引きこもり体質なので、昼過ぎに起きて家でだらだらしていることも多かったが(外国暮らしの中年の引きこもり)、遠出することもたまにはあった。せっかく苦労してイスラエルの執拗な尋問を突破して入国したんだし、一度出たら二度と戻れない可能性もあるしね…
重い腰を上げて旅に出ることにしたのは、ヨルダンへの移動に先立ち、入国ビザを取る必要があったからだ。日本人は基本的に観光目的でのヨルダン入国の際、事前にビザを取得する必要はないのだが、第三国(私はエジプト)からイスラエルに入り、その後キングフセイン橋(アレンビー橋)経由でヨルダン入りする時は、事前に入国ビザを取得しておく必要があるのだ(参考)。キングフセイン橋は西岸地区のパレスチナ人がヨルダンに出入りするための検問所で、正式な国境検問所ではない位置づけなので、パスポートにスタンプも押されなければ、ビザも発行されないのだ。
というわけで、テルアビブのヨルダン大使館まで出かける用事が出来たので、ついでに他の街も見ておくことにした。といっても、イスラエル側で観光するのはあまり気が進まなかったし(政治的理由)、あちらは物価も高いので(経済的理由)、テルアビブは用事を済ませたらさっさとおさらばして、アラブ(パレスチナ)系住民が多いことで知られるハイファとナザレのみをさっと回ることにした。ルートとしては、エルサレム(スタート)→テルアビブ→ハイファ→ナザレ→西岸地区(通っただけ)→エルサレム(上がり)という感じだ。
なお、エルサレムから近い西岸地区のラーマッラーにもヨルダン代表事務所があり、そこでビザが取れるかもしれないという話だったが、場所も業務時間もよくわからなかったので、確実に取れそうなテルアビブのヨルダン大使館に行くことにした。ネットで調べたら、ラーマッラーの方でヨルダン入国ビザを即日発行してもらった人もいるようだが、取ろうと思う人は事前に電話して確かめた方がいいだろう。
エルサレムからテルアビブには、バスで移動した。1時間くらいで着いたと思う。案外近いのだ。バス乗り場やバスのチケットの値段などは忘れてしまったが、調べようとして検索すると、イスラエル観光をキラキラ推してくる有象無象の邪悪なページが出てきてストレスが溜まるので、イスラエル観光情報が気になる方は、ご自分で調べて下され…
テルアビブは噂通り、高層ビルが立ち並ぶ都会だった。さすがイスラエルの首都だ(強調)。まあ、東京ほどの大都会じゃ全然ないけどね、ふっ…
ヨルダン大使館に一歩入ると、そこはヨルダンだった。ヨルダンの温和な顔つきの担当者がフレンドリーに対応してくれて、アラビア語で会話できる癒し空間だった。やっぱりヨルダン、いいよね・・・のんびりしているかと思いきや、事務手続きはけっこうスムーズで(その辺もヨルダンっぽい。イタリアよりよっぽど事務手続きが早い)、即日発行してもらえたので(1時間くらい待ったと思うが)、その日のうちにハイファに移動することにした。
私がテルアビブで撮った唯一の写真
買わなかったけど。お腹減ってたんかな…
テルアビブからハイファは鉄道で移動した。駅で金属探知機のチェックを通過する必要があり、行列が出来ていたが、誰も文句言わずに並んでいた。バスターミナルでもそうだった。やはり占領地は普段から厳重な警戒態勢を敷いているのね。ヨルダンのショッピングモールやエジプトの鉄道駅のなんちゃってセキュリティゲートとは違う(音が鳴ってもスルーされる)。
ハイファに着いた時は、もう夕方近かった。(テルアビブから電車で1時間半くらい)
泊ったのは「PORT INN」というホステルだ。ロンリープラネット(ミドルイースト版)に載っていたと思う。欧米人の利用客が多かった。観光に便利な立地で、キッチンが使えて、中庭のテーブルセットで食事出来て、全体的に綺麗で明るい雰囲気だった。(ような気がするがよく覚えていない)
門番が犬
ここに2泊したが、到着した日は近所を散歩して夕食をとっただけだし、3日目は午後ナザレに移動したので、ハイファを観光したのは実質1日半くらいだった。その短い時間を利用して私が訪れたのは、バハーイー教本部の庭園だった。ハイファの観光スポットといえば、バハーイー教本部じゃないですか?(「ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群」は世界遺産)
ウィキペディアの「バハイ信教」の項目より:
「バハイ信教とは、19世紀に創始された宗教であり、すべての宗教の本質的な価値とすべての人々の一体性を説く。バハオラによって創始され、当初はイランと中東の一部で発展したが、創始以来、継続的な迫害に直面している。この宗教の信者は500万人から800万人と推定され、バハイとして知られ、世界のほとんどの国と地域に広がっている」
私はバハーイー教自体には興味はなかったが、庭園が見事だと聞いていたので、観に行ってみることにしたのだ。
ハイファの地下鉄
落書き?元々の壁絵?
バハーイー教本部の敷地の入口はカルメル山にあって、登るのが大変だった。入口の所に観光客の一団が集まっていた。彼らと共にしばらく待って、例によってセキュリティーチェックを受けてから入った。
がんばって登った甲斐があった。
独特の配色・構成の広い庭園が上から下まで伸び、下方にはハイファの街と港が広がっている。
変な色合い…
上からだんだん下に降りて行って、一番下にある出口から出て終わり。
外に出てから少し歩いて、アラブ系住民のやっていると思しきミニスーパーで飲み物やお菓子を買った。ハイファはアラブ系住民が比較的多く(人口の約1割)、中でもキリスト教徒のアラブ人が多いらしい。ほんの2泊しただけで、ろくに人と会話しなかったのだが、たまに見かけるアラブ系住民は、イスラエルに溶け込んで、穏やかに暮らしているように見えた。
帰りはバスに乗って、ホステル付近に戻った。バハーイー教本部の庭園は、ランドマーク的に街中からよく見えていた。目立つよね。
翌日の午前中は適当にバスに乗って適当に降りて散歩するという、暇な人にしか出来ない遊びをして過ごした。
そして、たどり着いたところはここ。
アフマディーヤ(アフマディ教団)のモスクだった。本人たちはイスラムの一派だと主張しているが、一般のムスリムからすると「異端」というか、「別物」として扱われている教団。日本にも支部あるよね(参考)。
モスクには誰もいなかった。(入口から撮影)
付近に墓地もあった。
この地域は、アフマディーヤの信者のアラブ人とユダヤ人が住んでいるらしい(ウィキ情報)。
結局、ハイファではバハーイー教の庭園とアフマディーヤのモスクを観光して終わった。意図したわけではないが、宗教マイノリティのハシゴっぽくなった。この日の午後にはナザレに移動した。
前回の予告では、「イスラエルや西岸地区の街を旅した時のことを書く、エルサレムについても書けたら書く」などと風呂敷を広げたが、実際に書いてみるとやたら長くなってしまい、結局イスラエルでの旅の記録だけでも前編・後編に分けることになってしまった。なんでこんなに説明がくどくなるんや・・・
(おまけのお菓子写真)
ハイファで撮ったイスラエルの揚げパン「スフガニオット」
(続く)
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