今回から、途中まで書いてそのままになっていた2022年の旅行記をようやく再開する。ヨルダン2日目(旅の開始から1週間も経っていない時点)の話の後編からだ。前編を更新したのは今年の5月7日で、その後旅行の準備で忙しくなり、約1か月後には新たな旅に出てしまったので、ブログを書く余裕などなかったのだ。まあそれ以前も、休み休みの匍匐前進レベルでしか更新してなかったんだが…
ヨルダン2日目の前編は、アンマン在住の友人Hinaさんとランチやお茶をした後、私がかつて住んでいたアパートを見に行くのに付き合ってもらった、と書いたところで終わっていた。(2022年の旅日記を最初から読みたい方、おさらいしたい方はこちらからどうぞ)
私はアンマンに滞在していた時(2013年~2014年頃)、ダウンタウンに隣接するジャバルアンマン(文字通りには「アンマン山」だが、実際には丘レベルの高さ)のてっぺんの辺りにあるアパートに住んでいた。Hinaさんとお茶をしたアブダリモールからは少し距離があるが、彼女の車で連れて行ってもらったら、すぐに着いた。車があるって、素晴らしい。
アパートは一見、昔と変わっていなかった。
私が住んでいたのは、道路の反対側の裏庭に面した半地下の部屋で、上の階には大家さんの息子さん一家(パレスチナ人)が住んでいた。大家さんの息子さんは私とほぼ同年代で、昼間サラリーマンとして働く傍ら、アパートの管理人としての役割を果たしており、何か壊れた時や断水の時(よくあった)などに、しょっちゅうお世話になったものだ。
長い間ご無沙汰した後に連絡もせず訪ねて行ったのだが、彼も奥さんも子供たちも家にいて、「よく来たね!」「さあさあ上がって!」と、とても歓迎してくれ、コーヒーや自家製の焼き菓子で私たちをもてなしてくれた。
彼らの家の玄関付近にいた野良猫さん
大家さんの息子さん夫婦には息子が5人いるが、私が関わることが多かったのは、一番下のハイサム君と次男のアハマド君だった。ハイサム君は私がいた頃、まだ年端のいかないやんちゃな子供だったのだが、今はすっかり成長して、大人しい少年になっていた。次男のアハマド君はもう結婚していて、今はトルコで暮らしているとのことだった。私はアハマド君がまだ中学生くらいだった頃、高いところに登って降りられなくなった白猫を、身を危険に晒して救い出すところを目撃したことがある。あの時、彼は王子様のように輝いて見えたものだ…白猫の方はデカくてふてぶてしい、姫っぽくない猫だったが(たぶんオス)。なお、この日いただいたお菓子は、料理好きの3男君(名前は失念)が焼いたものだった。
私がいた頃、大家さんの息子さん夫婦には男の子しかおらず、「女の子が欲しいのに、生まれるのは男ばかりだ」と嘆いていたが、その後待望の女の子が生まれていて、一家のアイドルのように可愛がられていた。
もうそのアパートの建物に住んでいるのは、彼らだけだということで、私が住んでいた部屋もずっと無人の状態で閉め切られていた。部屋を見せてもらうのは支障がありそうな雰囲気だったので、裏庭だけ見せてもらうことにした。建物の脇の階段を下りて、裏の方に回る。
懐かしいドア…
裏庭のベンチスペースが青く塗られていた(微妙)
もうエサをあげる人がいないせいか、最近庭にやって来る猫はめったにいないという話で、がらんとして寂しい感じだった。かつては私の隣に住んでいたインド人男性がよく猫たちにミルクをあげていたが、彼もずっと前に別の所に引っ越してしまっていた。隣の建物に住んでいたフィリピン人たちも猫好きだったようだが、彼らもいなくなったのかもしれない。
隣りの建物との境の塀。かつてふぁーちゃん(同居していた猫)が子猫を咥えてジャンプしていたところだ。
ふぁーちゃんと子猫たちがいた頃の庭
私が帰国してしばらくの間は、まだふぁーちゃんたちが庭に来ていたそうだ。
その頃に大家さんの息子さんが撮って送ってくれた写真
ふぁーちゃんとその子供たちは、どこへ行ったんだろう。もう10年近く経つから、誰もいなくなってしまったかな…
暗くなってきたのでお暇して、近くの第2サークルでHinaさんとも別れ、散歩がてらダウンタウンまで歩いて下った。
途中で見かけた美猫さん
第2サークルと第1サークルの間にあるラブリーなイラク大使館
アンマン有数のお洒落スポット、レインボーストリートの界隈
レインボーストリートの酒屋でワインを買ったら、値切ってないのに14ディナールのところを12ディナールにしてくれた。ヨルダンの酒税の高さについて、愚痴を言い合ったせいかもしれない。
ダウンタウンまで降りてから、前夜も行った酒屋でビールも買い、そのそばにあった串焼き肉がメインの食堂で夕食を仕入れようと思って近づいたら、店の前に出されたテーブルで飲み食いしている客のおじさんと目が合った。
そのおじさんに、この店にサンドイッチはあるかと聞いてみたら、うなずいて店主に声をかけ、私のためにサンドイッチを作るよう言ってくれたので、カバーブのロールサンドをテイクアウトで注文する。店主はもう店を片付け始めており、渋い顔をしていたが、おじさんに説得されて仕方なく再び火をおこし、肉を焼き始めた。
肉が焼けてサンドイッチが出来るまで、ものすごく長い時間がかかった。その間私は空いている席に座って待っていたのだが、それを見ていたさっきのおじさんとその連れが何を思ったのか、自分たちのテーブルにあるホブズ(ピタパン)にラブネ(水切りヨーグルト)をつけ、1口大にちぎって、交互に私に差し出し始めた。
私は最初、条件反射でそれ受け取り、深く考えずに食べていたのだが、途中でふと、「なぜ私は、このおじさんたちに餌付けされているのだろうか」と疑問に思い始めた。このままでは、サンドイッチが出来上がる前に満腹になってしまうし、衛生的にも問題があるだろう。おじさんたちはホブズを手でちぎっていたので、直接口を付けたものではないのだが、もしも彼らがコロナだった場合、確実に伝染るだろうし、そもそもコロナ以前の問題ではないか。
ようやく出来上がったサンドイッチの袋を手にぶら下げ、おじさんたちに挨拶してホテルに戻った。
フロントのおじいさんに、Wi-Fiが使えるようになったか尋ねたら、「故障しているからまだ使えない。たぶん明日には直るよ、インシャーアッラー」などと言う。私が激怒した猫の形相になり、「Wi-Fiがあるからこのホテルに泊まることにしたのよ~ないんなら、ここには泊まらなかったのよ~シャ~~!」と騒ぎ立てたら、それを聞いていた従業員のルーマニア人女性(金髪でジャージ姿)が間に入り、ホテルにあるモバイルルーターを後で部屋まで持って行ってあげると言ってくれた。ウクライナもそうだが、ルーマニア、ジョージアなどの東欧から出稼ぎに来ている女性は、イタリアでもトルコでも、ヨルダンでもよく見かける。
部屋に戻ってからしばらく待っても彼女は来なかったので、今日はもう来ないだろうと思い、シャワーを浴びてビールとワインを飲み、サンドイッチを食べた。もうすっかり冷めていたにも関わらず、肉がジューシーでスパイスと塩が効いていて、非常に美味しいサンドイッチだった。
夜中の零時を過ぎてから、そのルーマニア人女性がドアをノックした。彼女は本当にモバイルルーターを持ってきてくれ、スマホとPCに繋いでくれて、何か問題があったらいつでも言ってねと微笑みながら去って行った。天使か。
フランスのオレンジという通信会社のモバイルルーター
日本で使っていたモバイルルーターと同様、サクサク繋がり、突然切れたりすることもなかった。普通にホテルのWi-Fiを使うよりずっといいネット環境だ。
シャワーも食事も済み、懸案事項だったWi-Fi問題も解決したので、この日は早めに寝ることにした。前日の移動の疲れがまだ残っているのに、一日中出かけていたから、休息が必要なのだ。翌日も遠出はせず、近場を散策する程度にするつもりだった。もう若くない身体で無理をすると、すぐ行き倒れそうになるからな…
(続く)
次回もも楽しみにしております。
帰国してもう1週間過ぎたので、そろそろ旅行記をがんばろうと思ってます~楽しみに待っていて下さる人達もいることだし~(´∀`*)ウフフ
ルクソーラさんも、停電にめげずに日々の活動(お仕事とか猫活とか)がんばって下さいね~
>私は最初、条件反射でそれ受け取り、深く考えずに食べていたのだが、途中でふと、「なぜ私は、このおじさんたちに餌付けされているのだろうか」と疑問に思い始めた。
クスッ、じゃなくて、爆笑か?
衛生的に問題があっても、餌付けされたいにゃ~(笑)
では、また。
ヨルダンの路上では、意表を突いてくることが色々起こるので、退屈しませんよ~
でも、あれは普通食べないかな・・・現地在住の友達にもツッコまれました~