ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

別れた世界に生きること

2024-12-02 00:00:00 | 日記

銭湯へ行き、湯上がりに椅子に座って靴下を履いていると、近くにいた少し年上の女性から「靴下たくさん履いてるね」と言われた。

前にも書いたが、私は靴下の重ねばきをしている。

まず素足に履くのがシルクの五本指靴下で、その上に木綿の五本指、次にシルクの先丸の靴下を履き、一番上は木綿の先丸靴下で、合計四枚の靴下を重ねて履いている。

重ねばきをするのは、体温を上げるためで、以前は体温35°台という低さだったが、今は36°台になった。(もう少し上げたい)

でもそんなことをいちいち説明するのも面倒なので「はい、寒がりなもんで」と答えた。

すると、その女性が語り始めた。

「お昼のテレビでやってたんだけど、足の冷えはあんまりたくさん靴下を重ねて履いちゃダメなんだって。せいぜい二枚くらいにしないと逆効果になるって言ってたよ。重ねれば良いってもんじゃないよ」とテレビで紹介されていたことを教えてくれた。

この方が教えてくれたことは、間違ってはいない。

確かに重ねばきをする時に、あまり締め付けの強い靴下を履くと、血流が悪くなって逆効果になることはあるだろうし、靴下の素材によっては蒸れた時の汗によって、冷えるということもあるかもしれない。

「たくさん履けばいいってもんじゃないよ」と何度も繰り返して、女性はお風呂へ入って行かれた。

この女性は、自分の知っている知識を信じているから、やってはいけないと思い込んでいる靴下の重ねばきを目の前でしている私を見て、黙っていられなくなったのだろう。

そして、私もこの女性と同じことをしていると思った。

自分が良いと信じている健康法を、病気になった親しい知人に話したことがある。

知人は黙って聞いてくれたけど、話しながら「あぁ余計なことを言ってしまった」と後悔していた。

そして後で謝った。

知人から相談された訳じゃないのに、自分が信じていることを話してしまったことが、とても恥ずかしかった。

それからは話題作りの一つとして、相手に笑ってもらえたらいいなと自分の健康法を披露することはあっても、それをまるで勧めるように話すことは絶対にしないでおこうと決めた。

話すことは相手のためではなくて、自分のためだったとわかった出来事だった。

たとえば、もしもこれが本当に相手を心配してのことであれば、三年前の注射の時のように嫌がられようが怒られようが、わかってもらおうと必死になって説得すると思う。

それをしないのなら、余計なことは言わない方がいい。

所詮、しろうとの健康法。自己満足で楽しんでいるくらいがよいのだろう。

ところで最近同じこの世界に生きて、時々話もするのに、まったく違う世界に生きていると感じるようになった人が増えたと思う。

銭湯で出会った女性もそうだが、わりと親しかった人でもそう思うことが増えた。

別に仲が悪くなった訳でもないのに、前は感じることが無かった違和感をとても感じることが多い。

どちらが正しいとか、正しくないとかではなくて、ただもう別の世界に生きているのだなと思う。

自分が信じる世界を、それぞれが生きている。

自分が信じている健康法の違いなどという些細なことではなくて、もっと根本から違ってきている。

聞いたことがある「人類は二つに別れていく」という精神世界のお話。

当時はよくわからなかったが、もしかしたらこの事なのかもしれないと思う。

でもそれによって優越感もなければ劣等感もない。強いてあると言えば「孤独感」

これまで親しかった人たちと、もう違う世界に住んでいるのだと思うと、寂しさが湧き上がる。

根本では繋がっているとわかっていても、やはりたまに孤独感を感じる。

でも私たちの胸の中には、いつも神さまがいる。

その一番大切なことを思い出す時、私は決して孤独ではないと思うことができる。

 


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