ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

知らないことを知る喜び

2024-12-26 15:14:47 | 日記

新しいお札を頂きに崇敬神社と氏神神社へ行ってきた。

まず崇敬する神社、相馬神社。

年々登るのがキツくなってきた急な坂道(参道)を登って行くと、本殿が見えてくる。

さっそく今年も参拝に来ることができたことに感謝の祈りを捧げた。

そして相馬神社の御神木は、今年も元気に枝を広げていた。

とても大きくて、今にも動き出しそうな御神木。

御神木にも、今年も変わりなく過ごせたことに感謝。

でも私自身については、今年はこれまでと変わったなと思うことがあった。

それは内面の変化であり、他の人にはまったく関係のないことなのだけど、自分にとって大きな変化だった。

その変化とは、神さまは遠くにいるのではなくて、いつも一緒にいるのだと心から思えるようになったこと。

昨年までは、相馬神社へ参拝に来る度に、やっと(神さまに)逢いに来ることができたという喜びでいっぱいになっていたが、今年は違う。

参拝することができた喜びは変わらないが、(神さまに)逢いに来ることができたという気持ちは起こらなかった。

なぜ起こらなかったのかと言うと、神はいつも一緒にいるとわかったからだった。

このように変わった理由は幾つかあって、ここですべてを書くことはできないが、そのうち一つだけを書くとすれば、それは毎朝の神棚への参拝にあると思う。

もう何年も行っている神棚の参拝で、大祓詞を奏上するようになってからも随分たつのだが、大祓詞を奏上している時に自分の意識が他へ行ってしまうことが、ずっと気になっていた。

大祓詞を長く行っていると、すっかり覚えて無意識でも口から自然に出て来るようになったのだが、一方で奏上しながら頭の中では他のことを考えていることが多くなった。

大祓詞は長いので、よほど意識していないと、すぐに他のことを考えてしまう。

それに気がつく度に、意識を引き戻すということを繰り返していたが、意識を常に胸に持って来るように、意識したらどうだろうと思った。

ふらふらと胸から出ていこうとする意識を、引き戻しながら続けているうちに、徐々に胸の中に留まっていられるようになり、そして誰しもが神さまと一緒にいるのだと言うことが徐々にわかってきた。

胸の奥から立ち昇ってくる黄金色に輝く暖かな光。

誰もがこの光を胸の奥に持っているのだろう。

まだまだ知らないことばかりだが、知らないことを知るという喜びは、何事にも代え難い。本当にありがたいことだと思う。

 

 


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御礼の品

2024-12-21 15:28:16 | 日記

夫の友人へお礼に海産物を送ってきた。

喜んでくれるだろうかと考えながら選ぶのは楽しい。

そして夫の友人も、きっと同じ気持ちなのだろうと思う。

夫は学生時代を過ごした東京へ、ひとり旅をして帰ってきたばかりなのだが、東京で友だちに会ってきたという。

その友だちは、私も会ったことがあるが、今ではすっかり立派になって、夫が語る若き日の友人との思い出の数々が信じられない。

若き日の学生時代、東京で成人式を迎えた夫と友人たちは、お祝いしようと言うことになり、お金も無いのにうなぎを食べに行ったそうだ。

ところが会計になって、全員の持ち金を集めても足りないことが判明。

そこで夫が人質になって店に残り、他の友人らがお金を取り戻って、夫は無事解放されたそうだ。

他にもいろいろな思い出話を教えてもらったが、そんなお馬鹿な青春時代を過ごした学生時代の友だちと、六十代の半ばを過ぎた今でも続いていて羨ましいなと思う。

二十歳の時にはお金がなかった友だちも、今や某有名チェーン店のオーナーになり、遊びにきた夫のために、うなぎではなくて一日に数名しかお客を入れないという高級和食店に連れて行ってくれたそうだ。

高級食材をふんだんに使った美しい料理の数々が素晴らしくて、夫が写真を撮っていたら、友人はにこにこしながら「そうやって喜んでくれるのが、俺は一番嬉しいんだ」と言ってくれたとか。

夫曰く、友人は彼を頼ってくる人たちにいつも食事を奢ったり面倒をみたりしているのだとか。

「なかなかできないことだよ。あいつはよくやってる」と、夫はいつもそう言う。

本当にその通りだと思う。

優良企業のオーナーであり、趣味で高級外車をたくさん持ち、その高級外車の愛好者たちが集まる会に参加するために、ちょっと隣の街までと言った具合に簡単に海外まで出かけていく。

家庭では子どもはすでに立派に自立し、芸術家の奥さまは、ご自身の仕事に忙しくされているが極めて家庭円満という、まるで絵に描いたような幸せな成功者だ。

誰もがそうなりたいと思うかもしれない、、、そしてできることなら代わって欲しいと思うかもしれない。

でも輝かしい人生の裏に隠された、彼の大きな悲しみや大きな辛さを知ってしまうと、とても自分には耐えきれないと思う。

神さまは、その人に耐えられることしか与えないというのは本当だ。

だから夫の友人には、心から幸せでいて欲しいと願っている。

さて今回の旅で、夫は友人の家にもお邪魔して、ちょうど家にいらっしゃった奥さまとも話しをしてきたそうだ。

「芸術関係で活躍している人だけど、素朴でとてもいい人だったよ。きっとあなたと話が合う」と夫に言われて嬉しくなった。

写真では拝見したことがあるが、実際にお会いしてみたくなった。

東京で夫がお世話になった友人へと選んだ品、喜んでくれるといいなと思う。

 


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人生の時計

2024-12-16 20:22:46 | 日記

孫は夫を見ると「じぃじー」と言ってとても喜ぶ。

うちへ来ると、夫は大して遊んであげていなくて、ほとんど私が遊ぶのに不公平じゃないかと思う。

先日も孫とテレビ電話をしていたら、私には普通の笑顔だが、夫が顔を見せると目を輝かせた。

すると夫は待ってましたとばかり、面白い顔をして画面からいなくなってみたり、突然現れたりして孫を笑わせる。

そしてしばらく笑わせた後、夫は自分の用事をするためにいなくなるのだが、孫の悲しそうな顔と言ったらない。もう切なくなるくらい、、、

あとで夫に「画面からいなくなると、とても悲しそうな顔をするよ」と伝えると、夫は嬉しそうだったが「でもいつか画面から永遠にいなくなるんだよなぁ」と言った。

そう、いつか必ずみんな画面の中からいなくなる。

若い頃は、そんなことは考えもせず、永遠に画面の中に居られるような気がしていたが、還暦を過ぎると体力の衰えやら、その他の老化現象で、人生の残り時間が少なくなってきたことを実感する。

これは自分だけではないらしく、同世代の知り合いや友人たちも口を揃えて「やりたいことは、できるうちにやらないと時間切れになるよ」と言う。

ところで人生の時計というサイトを見つけた。

生年月日と性別を入れると、自分の人生の時計の時間が、今何時なのかわかる。

人生の時計 あなたの人生、いま何時?

早速やってみたら「あなたの人生は今、17 時 34 分」と出た。

さらにこんなコメントも。

新しいことをはじめても遅くはありません。

大丈夫、まだまだ間に合います。行ったことのない場所にも今からでも、きっとたどり着けますよ。

17時34分と言えば夕食前くらいかな。

まだ何かできる時間かもしれない。よ〜し! 行ってみますか。

まだまだ間に合う、行ったことのない場所に今からでも、きっとたどり着ける、という言葉に背中を押してもらえたような気がした。

 


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新しい言葉を覚える

2024-12-11 16:33:15 | 日記

孫が二歳になってから、言葉の数が急に増えてきた。

一歳までは「まんま」(ごはんのこと)とか「うま〜」(おいしい)など一つの単語だけだったのが、「まんま、おいしい」と二語文になり、今は三語文もたまに話すようになってきた。

さらに私たち夫婦のことも、これまでは一ヶ月も会わないと、すっかり忘れて人見知りで大泣きされていたのが、今はやっと祖父母だと認識した模様で、顔を見ると「じぃじ、ばぁば」と言ってくれるようになった。

ところが、たまに小さな文字を入れる場所を間違えることがあって、この前は「じじぃ、ばばぁ」と呼ばれた。日本語は難しい、、、

でもじじぃでもばばぁでも、小さな孫から呼んでもらえるのは嬉しい。

たった二年の間に親の話す言葉は、だいたい理解できるようになり、自分の伝えたいことを伝えることができるとは、この時期の子どもってすごい速さで脳が発達しているのかもしれない。

そして言語を覚えるには、やはり周囲からの話しかけなど、実践が一番と言うことだろうか。

ところで今さらなのだが、英語をまたやり始めた。

スーパー銭湯で会った英語を話す金髪マダムが、何か話しかけてたそうにこちらを見ていたが、英語ができない私は、なるべく視線を合わせないようにしていたことがあった。

あの時、もしも英語が話せていたら、楽しく会話ができたのではないかと残念に思っていた。

というわけで英語をもう一度学ぼうと思ったのだが、学ぶ方法はいろいろあり、どれを選べばよいのかわからなかったため、次女に教えてもらったDuolingoという外国語の無料学習アプリで、毎日少しずつ英語の学習をすることにした。

中学生くらいの初級レベルを選んだためストレスはなく、これなら続けられそうな気がしている。

ちなみに認知症予防にも語学の勉強は良いらしい。

最初は五分程度から始めたが、今は面白くて二十分くらいやっていることもあって、ゲーム感覚の英語学習にちょっとワクワクしている。

できるだけ(できれば簡単な会話ができるくらい)長く続けていきたいなぁと思っている。

 


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別れた世界に生きること

2024-12-02 00:00:00 | 日記

銭湯へ行き、湯上がりに椅子に座って靴下を履いていると、近くにいた少し年上の女性から「靴下たくさん履いてるね」と言われた。

前にも書いたが、私は靴下の重ねばきをしている。

まず素足に履くのがシルクの五本指靴下で、その上に木綿の五本指、次にシルクの先丸の靴下を履き、一番上は木綿の先丸靴下で、合計四枚の靴下を重ねて履いている。

重ねばきをするのは、体温を上げるためで、以前は体温35°台という低さだったが、今は36°台になった。(もう少し上げたい)

でもそんなことをいちいち説明するのも面倒なので「はい、寒がりなもんで」と答えた。

すると、その女性が語り始めた。

「お昼のテレビでやってたんだけど、足の冷えはあんまりたくさん靴下を重ねて履いちゃダメなんだって。せいぜい二枚くらいにしないと逆効果になるって言ってたよ。重ねれば良いってもんじゃないよ」とテレビで紹介されていたことを教えてくれた。

この方が教えてくれたことは、間違ってはいない。

確かに重ねばきをする時に、あまり締め付けの強い靴下を履くと、血流が悪くなって逆効果になることはあるだろうし、靴下の素材によっては蒸れた時の汗によって、冷えるということもあるかもしれない。

「たくさん履けばいいってもんじゃないよ」と何度も繰り返して、女性はお風呂へ入って行かれた。

この女性は、自分の知っている知識を信じているから、やってはいけないと思い込んでいる靴下の重ねばきを目の前でしている私を見て、黙っていられなくなったのだろう。

そして、私もこの女性と同じことをしていると思った。

自分が良いと信じている健康法を、病気になった親しい知人に話したことがある。

知人は黙って聞いてくれたけど、話しながら「あぁ余計なことを言ってしまった」と後悔していた。

そして後で謝った。

知人から相談された訳じゃないのに、自分が信じていることを話してしまったことが、とても恥ずかしかった。

それからは話題作りの一つとして、相手に笑ってもらえたらいいなと自分の健康法を披露することはあっても、それをまるで勧めるように話すことは絶対にしないでおこうと決めた。

話すことは相手のためではなくて、自分のためだったとわかった出来事だった。

たとえば、もしもこれが本当に相手を心配してのことであれば、三年前の注射の時のように嫌がられようが怒られようが、わかってもらおうと必死になって説得すると思う。

それをしないのなら、余計なことは言わない方がいい。

所詮、しろうとの健康法。自己満足で楽しんでいるくらいがよいのだろう。

ところで最近同じこの世界に生きて、時々話もするのに、まったく違う世界に生きていると感じるようになった人が増えたと思う。

銭湯で出会った女性もそうだが、わりと親しかった人でもそう思うことが増えた。

別に仲が悪くなった訳でもないのに、前は感じることが無かった違和感をとても感じることが多い。

どちらが正しいとか、正しくないとかではなくて、ただもう別の世界に生きているのだなと思う。

自分が信じる世界を、それぞれが生きている。

自分が信じている健康法の違いなどという些細なことではなくて、もっと根本から違ってきている。

聞いたことがある「人類は二つに別れていく」という精神世界のお話。

当時はよくわからなかったが、もしかしたらこの事なのかもしれないと思う。

でもそれによって優越感もなければ劣等感もない。強いてあると言えば「孤独感」

これまで親しかった人たちと、もう違う世界に住んでいるのだと思うと、寂しさが湧き上がる。

根本では繋がっているとわかっていても、やはりたまに孤独感を感じる。

でも私たちの胸の中には、いつも神さまがいる。

その一番大切なことを思い出す時、私は決して孤独ではないと思うことができる。

 


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パーソナルチェア

2024-11-05 16:37:22 | 日記

35年も前に買った革のパーソナルチェアをついに捨てた。

身体を包み込んでくれるように座り心地が良い椅子だったが、さすがに年数が経つと、表面の皮が劣化してあちこち裂けてくる。

女優の樹木希林さんが、やはりボロボロになった椅子にテープを貼って使っているというお話を聞いたので、真似をして椅子と同じ色のテープを裂け目に貼ってみた。

裂け目が多すぎて、まるで包帯を巻いたミイラのようになったが、とりあえず座り心地は変わらずに良く、夫もこれでいいと言うので使い続けていた。

椅子を買った35年前、当時31歳だった夫は長いローンを組んで家を建てた。

若かったのでお金が無くて、ゴルフの練習ができそうなくらい広いが、とても不便という安い土地に、人生で初めて小さな家を建てた。家が建った時は本当に嬉しかった。

そして新しい家に置く家具を見に行った時、夫が一目惚れしたのが、このパーソナルチェアだった。

でも値段を見てびっくり。当時の値段で、オットマン別売りで10万円以上もした。

「仕事から帰って来て、この椅子でリラックスしたい」という夫に、それが仕事に向かう活力になればと思ってOKしたが、お金もないのによく買ったものだと今は思う。

私たちには、とても高価な買い物だったけど、35年間よく働いてくれたから、結果的には良い買い物をしたと思う。

そのような訳で、椅子は包帯を巻いたミイラのようになっても頑張ってくれていたのだが、遂に座面が少し落ちてしまい、夫が補修を試みたが直すことができなかった。

「もう限界だな、新しい椅子に替えよう」と夫が言い、家具屋さんへ行って新しいパーソナルチェアを買った。

そして新しい椅子が届く前日に、古い椅子を処分するように大型ゴミの手続きをした。

古い椅子を処分する日は、椅子を玄関の前まで運び出して置くのだが、運ぶ前に椅子の座面を撫でながら「今までありがとう」と声をかけた。

すると、これまでこの椅子に座ってきた家族の姿が、一瞬で走馬灯のように脳裏に流れてきた。

椅子に座って新聞を読んでいる夫、椅子の中で丸まって眠っている幼い頃の子どもたち、遊びにきた私の父も必ずこの椅子に座っていた。

それから夫の両親と同居を始めてからは、ほぼ義父専用の椅子になり、いつもこの椅子に座って外を眺めていた義父の姿。

単なる家具としてだけの椅子とは思えない愛着は、このような思い出が染み込んでいるからだったとわかった。

ちょっとウルっときたが、夫には気づかれなかったようだ。

「じゃあ運び出すか」と夫が言い、二人で椅子の両方の肘掛けを持って運んでいたら、途中で椅子の下から何かが落ちた。

止まって下を見ると、木製の脚の部分の一つが落ちていた。

これまでは大丈夫だったのに、自分の役目が終わったと分かった瞬間にどんどん壊れていくように思えた。

最後の最後まで必死に頑張ってくれていたのかと思ったら、またウルっとなってしまった。

物に対して、人間や動物に対するのと同じように愛情を感じると言うのは、多分これが初めてかもしれない。

もったいないという理由で捨てる時に心が痛むことはあっても、この椅子に対するような気持ちにはなったことが無かった。

知らなかった自分の新たな感情に出会った気分だが、もしかすると生きている物じゃなくても、家具でも家電でも車でも、愛情をかけてくれる人の気持ちに応えようとするのかもしれない、、、なんてことを、今思っている。

 

 


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掃除

2024-10-30 15:08:47 | 日記

ここ数日とてもよく眠れる。

いつもなら夜中に二回くらいトイレに起きて、そのあとしばらく眠れず、やっと眠れたと思ったら、朝4時半ごろにはもう目を覚ましてしまうというパターンだった。

それがどうしたことか、ここ最近トイレは一回あるかないかで、トイレに行っても、そのあとすぐに眠ることができる。

さらに翌朝は7時までぐっすりと眠れる。

長女の仕事がある日は、食事の準備のために遅くても7時前に起きなければいけないのに、それが7時だと少し慌てるが、「よく寝た」という満足感は、ここ最近感じたことがない心地よさ。

なぜこんなによく眠れるのだろうと、前日の行動を振り返ってみれば「掃除」じゃないかという結論に達した。

家の中の掃除は毎日しているが、ここ数日は普段の掃除以外の掃除もやっていた。

例えば庭の掃除に建具や家具の掃除。

庭の掃除は落ち葉を掃き、野草を抜いて増えた花の苗を移植した。

しゃがんで長い時間作業をしていた為、足の筋肉痛が今も治っていない。

そして建具と家具。

乾燥でカサカサになっていた建具(木製ドア)と家具を、家具用オイルをつけてぴかぴかに磨いた。

こちらも長い時間をかけて、伸ばした腕を大きく動かしていたので上半身のいい運動になった。

掃除というのは、きれいになることと運動不足の解消になるのが良いところだけど、もう一つ良いことがある。

それは知らないうちに「無」になれることだと思う。

日常の短い時間の掃除では、なかなかそこまで感じることができなかったが、一心不乱に目の前の作業に集中して体を動かしていると、頭の中がいつの間か空っぽになっている。

掃除に没頭すればするほど、頭の中からも心の中からも、いろいろな考えや思いが消えていく。

ほんの短い時間だけど座って毎日行う瞑想では、いろいろな考えが頭を巡って無になることが難しい、というかなれないのだけど、いとも簡単に無になれるというのが、掃除のすごいところだと思う。

禅寺のお坊さんが、掃除をとても大事にしているというのは、ただ汚れをきれいにすることだけではないのだとあらためてよくわかる。

というわけで最近よく眠れるのは、無になれたから、、ではなくただ単に運動不足が解消したからだと思う。

日中家に居ることが多くなった夫が、掃除を手伝ってくれるようになり、すっかり楽をしていたけど、これが運動不足になっていたのかもしれないという贅沢な悩み。

幸いにもまだやろうと思っている場所の掃除が残っているのでいいが、それが終わったら、また眠れないかも?それは困るなぁ、、、

ちなみに禅寺のお坊さんは、掃除を一番大切な作務と考え、行として取り組んでいるので、「汚れていようがいまいが掃除をする」のだとか。

そうか、また同じ場所の掃除を繰り返せば良いのだと閃いたが、掃除を行だと思っていなかった者(私)には、これを継続するのはなかなか難しいかもしれない。

とはいえ今日も普段の掃除しました。

部屋のほこりを払って掃除機をかける、トイレを掃除する、台所の壁が汚れていたので拭く、玄関のたたきに塩を撒いて掃き出すなど。

数日前の掃除に比べれば、ほとんど疲れはないが、とりあえず今日の掃除は終了で、これからウォーキングへ行って読書をしようと思う。

好きなことができる幸せ。ありがたいことです。


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二歳の誕生日会

2024-10-24 22:48:50 | 日記

初孫の二歳の誕生日会があり、お嫁さんの実家に集まることになった。

一歳の誕生会は我が家に集まったので、お嫁さんのご両親が「次はうちで」と言って下さったのだが、食事の用意などで忙しくさせてしまうのが申し訳ない。

昨年はお寿司を持って来て頂いたので、今回はウチでお寿司を買って行くことにしたが、ほかに何か作って持って行った方がいいのか、でもそんなことをすると、余計に気を使わせてしまうのではないだろうかなどと悩んだ。

でもうちへ来て頂いた時は、お寿司だけをお願いしたので、私もお寿司だけにして、あとはささやかなご両親への手土産だけ持って行くことにした。

これが気心の知れた友人や古い付き合いの親戚であれば、ざっくばらんに持ってきて欲しいものを聞けるのだが、まだつきあいの浅い長男の伴侶のご両親というと非常に気を使う。

でもこれは向こうも同じだと思う。きっと気を使って準備されているのではないだろうか、、などとまたまた申し訳ない気持ちになる。

とはいえ初孫の二歳の誕生日会はとても楽しみだった。

長女と次女もお祝いしたいというので、大勢で申し訳なかったが我が家からは四人で参加し、総勢九人の誕生日会になった。

向こうのご両親と会うのは、一歳のお誕生会以来なので一年ぶりで、お会いした回数はまだ四回目。

週に一回は送られてくる孫の写真の数々に、毎回おバカなコメントを入れている私だが、これは向こうのご両親にも笑ってもらおうと思う(一方的な)コミュニケーションのつもりだったが、逆効果にはなっていなかっただろうか、、、(バカなお母さんねと思われているとか)

なんて少し、いや、かなり緊張してお宅に伺ったが、本当にあたたかく迎えて頂いて嬉しかった。

会ではみんなでハッピーバースデーを歌い、用意して下さった美味しい料理を食べ、二歳になった孫を中心に話に花が咲いた。

そして話題は、孫の将来のことになった。

誕生プレゼントにもらったバスのおもちゃに夢中になる孫を見て「将来はバスの運転手になるのかな」と夫が言うと、「でも将来は自動運転になっているかもしれませんよ」と向こうのお父さんが言う。

一同「それもそうだ」と納得し、今度はおもちゃのピアノに夢中になる孫を見て「将来はピアニストだろうか」と向こうのお父さんが言う。

すると「いやピアノに限らないかもよ。もしかすると音楽家になるんじゃない?」と向こうのお母さん。

「音楽家というと、ギター抱えてストリートミュージシャンになったりしてね」

「そうそう。狸小路(札幌の古いアーケードの商店街)で歌ってたりして」

「そうなったら聴きに行かないとね」

「でも聴いている人、ここにいる家族だけだったら悲しいね。そうなったら拍手喝采して盛り上げないと」

あちこちからそんな声が聞こえてきて大笑いだった。

この時、とても心地よく温かい気が周囲に満ちたような感じがした。

ほんの2〜3年前は、まったく知らない他人同士だったのに、同じ血が流れている小さな孫を中心にして、家族のようになっているってすごいことだ。

もしかすると、縄文時代ってこんな感じだったのだろうか。

そうだとしたら、きっと生きやすくてよい時代だったのだろう。

初孫の二歳の誕生日会、最初の緊張感はすっかり溶けて無くなり、向こうのご両親や長男夫婦のおかげで、思い出に残る楽しい時間になった。

 


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捨てられないもの

2024-10-18 22:01:29 | 日記

今、断捨離の真最中、、、と言うほどではないのだけど、少し前に古い布団のほとんどを捨てたのをきっかけに、家の中や物置小屋にある不用品の処分をしている。

使わなくなった植木鉢や一本しかないバドミントンのラケットは迷わず捨てることにした。

また古い大工道具が出てきたが、なんと五十年前に夫が中学の技術家庭で使ったもので、夫に聞くと「捨てていい」とのことだったので捨てることにする。

さらに着なくなった洋服や着物の反物(義母の持ち物)や木材、古い家具なども処分。

まだ使えそうなものはリサイクル店に買い取ってもらい、買い取りできなかったものでリサイクルできるものは、無料で引き取ってもらった。

そして残った不用品は、市のごみ処分場へ持って行った。

ごみの処分場は初めて行ったのだけど、車に不用品を積んだまま計量し、捨てた後、また車を計量して料金を支払うシステムになっている。

ゴミ袋に詰めてちまちまと出すより、一気に終わるのでとても便利だった。

というわけで、ずいぶん家の中がすっきりとしてきたのだけど、まだ大量に残っているものがある。

それは本。

夫も本好きなので、二人合わせるとかなりの量になる。

読みたい本だけを残して市立図書館へ寄贈したが、まだ残すべきか否かで悩んでいる本が多く残っている。

迷って残した本に森村桂さんの本がある。

また読みたい日がくるはずと思うと、どうしても手放せない。

森村桂さんの本を初めて読んだのは小学生の時だった。

やはり50年以上前、、、

小学校の図書館で借りて大ファンになり、以来、本が発売される度に買って二十代まで読み続けた。

だから森村桂さんの本はほとんど持っているのだけど、実はいつか読み返そうと思いながらずっと読んでいない。

子どもの頃は、わくわくしながら読んだ本も、森村桂さんが離婚をしてから書かれたものは、森村桂さんの苦しさが伝わってくるようで、私も読むのが苦しかった。

さらに自死という衝撃的な結末になってしまい、あんなに好きだったのにすっかり読まなくなってしまった。

でもどうしても手放すことができなかった本たち。

もう手放そうかな、、と思っていたら、ある女性作家さんが森村桂さんのことを書かれているものを読む機会があった。

お元気だった頃の森村桂さんとの交流のエピソードが書かれていて、久しぶりに元気で明るい森村桂さんに会ったような気がして嬉しかった。

そして、その中に書かれた一文に思わず涙してしまった。

「ちょっと変わってはいるけれど、決して人の悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりしない無邪気で可愛い桂さん。私はそんな桂さんが大好きだったのです」(みつはしちかこさんのエッセイより)

まるで私の気持ちをそのまま書いてくださったような文章。

やっぱり残そう、、、本棚から出した本をまた戻した。

どうしても捨てられないもの、ありますね。


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男の道楽

2024-10-14 18:11:53 | 日記

「飲む」「打つ」「買う」といえば、ほとんどの女性たちがまゆをひそめる男の道楽。

ちなみに「飲む」はお酒で「打つ」はギャンブル、「買う」は女遊びのことだが、これらは昔々のお話で現代では死語に近い言葉になっている。

ところが、死語となった「飲む」「打つ」「買う」を友人の口から聞くとは思わなかった。

二十年ぶりに友人二人と三人で会うことになった。

長らく会っていないので、お互いに顔がわからないのではないかと心配したが、みんな変わっていなかったのが嬉しかった。

これまでの会わなかった年月にあった出来事など、話に花が咲いたのだが、話題は家族のことになり「ご主人はお元気?」という流れになった。

昔は配偶者同伴で集まったことがあり、安否確認の意味で話題に出たのだが、友人二人のご主人はみな定年を迎えていて、今は自宅に居ることが多いとか。

一人の友人のご主人は、自転車や山登りなどをして定年ライフを楽しんでいるそうだ。

それを聞いていた別の友人が、急に恥ずかしそうになって「充実していていいねぇ」と言った。

そして「うちの夫の趣味は、飲むと打つだよ」と教えてくれた。

元々、お酒を飲むことが好きな人だと知っていたので、飲む事は驚かなかったが、「打つ」話を聞いて驚いた。

なんと奥さんが知らないうちにギャンブルで大金を失くしたのだという。

その金額は、高級外車が買えるほどだというから驚く。

「もう貯金通帳みて、その場に座り込んじゃったわよ。盗まれたんじゃないかと思ったけど、帰ってきた夫に聞いたら、(すみません、私です)って謝られて、、、でもそれは夫が義父から貰ったお金だから、私のお金じゃないから何も言わなかったの。ただお金をくれたおじいちゃんには申し訳ないなぁと思った」

友人の嫁いだ家はかなりの資産家で、大金が消えても生活には支障はないようだけど、それでも私が妻ならきっと怒る。

いくら自分のお金じゃなくても、そんな大金をギャンブルで使い果たすってどーゆう事?と詰め寄りそうだが、友人はそうではなかった。

おおらかに笑い話にして、逆にご主人の良いところに目を向けている。

友人の話を聞くと、ご主人は本当にいい人で、自分が損をしても相手の得になるように考える人だそうだ。

これまで騙されたことも多々あったのではないかと思うが、家庭が修羅場にならず、子どもたちも健やかに育っているのは、ご主人の人柄と友人の力ではないかと思う。

ご主人がギャンブルで大金を失くしてから、今はお小遣い制にして、そこからギャンブル代を出してもらうようにしているそうだ。

「まだギャンブルするのかい?」とは決して言わず、笑顔で送り出すなんて妻の鏡、、、

それを聞いていたもう一人の友人が「私には真似できないし、我慢できないと思う」と言った。

いつも真っ直ぐできちんとした性格の友人なら、きっとそう思うだろうなと思った。

好きなギャンブルができるのも、資金力があるからこそだと思うが、幸せなご主人だと思う。

そして友人もまたとても幸せそうだった。

大酒飲みでギャンブル好きな夫との暮らしというと、不幸な結婚生活を想像するが、視点を変えればとても幸せで穏やかな気持ちで暮らせるのだと思った。

ところで最後の「買う」だが、友人曰く「ギャンブルするくらいお金はあるのに、それだけは無いのよね〜きっとモテないんだと思う」とのことだが、それは違うと思う。

きっとおおらかで包容力のある奥さん一筋だからなのだろう。

 

 


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長男の不思議な体験

2024-10-07 15:54:34 | 日記

長男と電話で話すことがあり、ひと通り用件を話し終えた時、なぜか急に声を小さくした長男が言った。

「この間、不思議なことがあったんだ。心霊現象じゃないかと思う」

長男によると、家族で公園に遊びに行った帰り道、ランチを食べようと長男とお嫁さん、そして一歳の息子の三人で焼肉屋さんへ行ったそうだ。

通された席は窓側で、窓を横に向かいあって長男とお嫁さんが座り、窓を正面に見るかたちで取り付けたベビーチェアに息子が座ったそうだ。

料理がくるのを待っていると、しきりに息子が窓に向かって手を振る。

「何してるの?誰に手を振ってるの?」と聞いても手を振り続けるので、息子が見ている方向(窓)を見たところ、そこには誰もいない。

そして窓は引き戸で、換気のためか少し開いていたそうだ。

「そしたらさ、向こう側には誰もいないのに、開いていた窓が急に閉まったんだよ。これめっちゃ怖くない?」

息子は本当に怖そうだった。

「その窓、自動開閉式だったとか」と言ってみたが、息子曰く、普通の引き戸だったそうだ。

「で、これがどこかの幽霊だったと思ったらすごく怖いから、亡くなったひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが、ひ孫に会いに来てくれたんだねと、、、奥さんとそういうことにしておこうと話したんだ」

その後、お店を出るまで一歳の孫は窓に向かって手を振ることはしなかったそうだ。(幽霊さん、いなくなったのかな?)

怖がる息子には言わなかったが、曽祖父母ではなくて、多分その辺りを彷徨っていらっしゃる御霊だったのではないだろうかと思う。

彷徨っている途中で、お店をふと覗き込んだら、かわいい幼児がいて、思わず手を振ってみたら、自分が見えているのか手を振りかえしてくれたという感じだろうか。

では窓が急に閉まったのはなぜだろう。

親たちが一斉に見たので、慌てて閉めたのかな?

そうなら身体がないのにすごいなと思う。

でもまさかとは思うが、孫が念力で閉めたのではないよね、、なんてことも浮かんだ。

お嫁さんによると、家はマンションの八階なのに、孫は誰もいないベランダに向かって手を振ることがよくあるそうだ。

長男も赤ちゃんだった頃、誰もいない方を見て、まるで誰かにあやされているかの様に手足をバタバタさせながら笑っていることがあったが、孫のように二歳近くになってからは、そのようなことはなかった。

でも孫もそのうち自我が芽生えると、見なくなるのかもしれないと思う。いつまでも見えていたら可哀想だしね。

ところでこのようなことは、今や超常現象ではなくて、当たり前に起こりうる事というように、世の中の意識が変わって来ているような気がしている。

不思議な体験談など昭和の時代であれば変人と思われるのではないかと、とても人前で口に出せなかったことが、今はYouTubeなどでたくさん出てくる。

良い時代になったなぁと思う。

そしてこれから将来は、超常現象(心霊現象)と言われるものも科学的に解明できる部分が出てくるのではないかと思う。

とはいえ、人はなぜ存在するのかとか、人生の意味とは?などは、もはや哲学なので、すべてが科学で明らかになることはないだろうが、このような面白い時代に生きることができたことは幸せだと思う。

 


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孫と遊ぶ

2024-09-23 22:41:13 | 日記

約二ヶ月ぶりに息子一家が遊びに来て、庭でバーベキューをした。

一歳の孫と久しぶりに会うのを楽しみにしていた。

前は人見知りがひどくて、会うなり泣き出してしまったのに、今回は親の陰に隠れながらも照れたような笑顔を見せてくれた。

孫の写真はたくさん送られてきていたけど、実際に会うとずいぶん大きくなっていて、子どもの成長の速さに驚いてしまう。

とはいえバーベキューはまだ食べられないので、孫のごはんは、持参のおじやとスルメ。

食事はまだ柔らかく煮た薄味のものを与えていて、大人の食事とは分けているとお嫁さんが教えてくれた。

孫がおじやを食べ終わると、次はスルメ。

スルメは大人が食べている間に与えて、おとなしくしていてもらおうというお嫁さんの作戦のようだ。

前に来た時は切り干し大根を食べていたが、今回はスルメに変わっていたのは、スルメの方が長く保つからかな?

お嫁さんの工夫がうかがえる。

しかしスルメが長く保つとはいえ、じきに食べ終わった孫は、飽きたのかモゾモゾし始めた。

お嫁さんは孫の世話で、まだよく食べていない様子だったので、ここは婆やの出番とばかり孫と一緒に遊ぶことにした。

もうすぐ二歳になる孫は、好奇心いっぱいで見るものすべてに興味がある。

道端に咲く草や花を触っていたかと思ったら、歩いているアリをしゃがんでジーッと見ている。

一緒にしゃがんでアリさんを見ようと思ったら、今度は落ちている小石が気になるご様子。

こんな具合に興味の対象がくるくると変わっていく。

赤い木の実を採って、手でぐちゃぐちゃに潰したので、手を洗ってあげようと家に入ることにした。

さて手を洗ってから「お外に行こうか」と言うと、「うん」と言わない。

お嫁さんから「嫌な時は、絶対にうんと言わないんです」と聞いていたので家で遊びたいのかなと思い「お家で遊ぶ?」と聞くと、「うん」という返事。

孫がお気に入りの部屋が仏間で、「お家で遊ぼうね」と言うと、一目散に仏間へ駆けて行った。

仏壇のおりんを鳴らすのが好きなので、経机からおりんを下ろして遊ばせようと思ったら、おりんには目もくれずロウソクに手を伸ばした。

あっという間にロウソク立てが大きな音を立てて転がり落ちた。

急いで転がったロウソクを拾おうと思った途端、止める間もなく今度は香炉の中に手を入れていた。

仏壇の下はこぼれた灰で真っ白、、、

でも孫の素早い動きについて行くためには、灰を片付けている場合ではない。

再び手をきれいにしてから、やっとおりんで遊んでくれたが、それもすぐに別の興味の対象を見つけて走って行く。

仏壇の扉を開けたり閉めたりしてみたり、ピアノを鳴らしてみたり、あっちの部屋、こっちの部屋と走り回り、私も一緒に孫の側について走り回った。

実はこの後もバーベキューに戻ることなく二人で公園に行ったのだが、ここでも孫は走り回って、興味のあるものを触ったり見つめたりをして遊んでいた。

「忘れちゃったけど、自分の子どももこうだったかな?」と思いながら、孫の興味のあるものが面白くて一緒に見ていた。

あまりに帰ってくるのが遅いと心配して、長男が探しに来たほど孫とたくさん遊んだ。

とても疲れたけど、楽しかったなぁ。

近くにいて、いつも孫と遊べるお嫁さんのお母さんがうらやましい。

、、、と思ったら、お母さん「リハビリだと思って遊んでいる」とおっしゃっているとか。

お母さんはまだ50代だが、一歳児と遊ぶのはかなりの体力が必要と、今回初めて遊んで思った。

だって60代の私は、翌日死んでましたから。。。

 


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正しい判断

2024-09-19 17:23:51 | 日記

ご主人のお通夜以来、一年近く会っていなかった知人から突然メールが来た。

メールのタイトルには「ワクチン接種されていますか」と書かれていた。

一体何かとメールを読むと、内容は昨年亡くなった知人のご主人のことから始まっていた。

知人とは、お通夜の席で少し話しをすることができたが、ご主人の死因は確か心筋梗塞だったと聞いている。

その時、知人は涙ながらに話してくれた。

もともと心臓に持病があって病院へ通っていたのだけれど、一ヶ月くらい前に検査の結果を聞きに病院へ行ったら、ずいぶん良くなっているから、次回からお薬を止めましょう(もしかすると変えましょうだったかも、、、記憶が曖昧)とお医者さまに言われたの。それで二人で喜んでいたのに、突然亡くなるなんて信じられない」

亡くなる直前までとても元気で、いつものように家族でご飯を食べ、おしゃべりをしていたが、その後、お風呂に入ってあっけなく亡くなったそうだ。

メールには、それについて書かれていた。

あんなに元気だったのになぜ突然死んでしまったのか、ずっと疑問でした。

そこで主人が亡くなったあと、コロナワクチンのことを調べ始めました。

調べれば調べるほど、もしかするととんでもないものをうってしまったのかもしれないと思いました

知人は、ご夫婦で三回接種したそうだ。

これについて副作用はあったのかなど、詳しい説明はされていなかったが、確信したように文章が綴られていた。

更にメールには、来月から始まる新しいお注射について書かれていた。

レプリコンに対する疑念が綴られ、問題を提起する動画や資料も添付されていた。

そしてメールの最後は「もしも接種しようと思っていらっしゃるなら、これらを読んで判断されても遅くはないと思います。夫のようにならないために、どうか正しい判断をされる事を望んでいます。皆さまのご健康を祈っています」と結ばれていた。

このメールは、私にだけではなくて交流のある方々に、同じ内容で送っているそうだ。

知人の行動力には、いつも感心する。

そしてワクチンのせいかどうかはまだわかっていないが、実際に身内を亡くした人の言葉はとても重い。

今、周囲では以前よりも気づいた人が増えているという感じがする。

そして何かの形で行動に移そうとする人が、増えているような気がする。

もうアレを止めることはできないだろうと思う。

でも止めることはできないが、自分の判断で、そして自分では判断できない人も、周囲の正しい判断で、うたないことを選ぶことができる。

多くの方が正しい判断をしますように、、、と願っている。

 


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答えを探すが、、、

2024-09-13 22:01:10 | 日記

知り合いが、大きな病気に罹ったという話は、昨年あたりからちらほらと耳に入ってきていたが、今年に入ってもそれは続いている。

特に多いのが間質性肺炎。

間質性肺炎は昨年知人が罹り、その方は現在も療養中だが、また他の知人が同じ病になった聞いた。

間質性肺炎という病気になると、息がしづらくなって日常生活で酸素ボンベが必要になるそうだ。

知人も酸素ボンベが手放せないが、それでも息切れで辛そうだ。

もう外出することもできず、家事は全てヘルパーさんにお願いしている。

話しをすると息が苦しいので、ほとんど会話もしない。

一日中、部屋で横になっている。

こうやって徐々に悪くなっていくのを待つだけなんて、あんまりでは無いかと思うのだが、今の医学では治療法は無いそうだ。

まだ60代。

やりたいこともあるだろうし、かわいい盛りの孫とも会っておしゃべりしたいだろう。

そして何より、これから自分がどうなって行くのかという不安でいっぱいになると思う。

でも彼女の本当の心の内はわからないが、意外と淡々と病気を受け止めているように見える。

知人は、ご主人を亡くしてから急に元気が無くなった。

仲の良いご夫婦だったから、本当にショックだったと思う。

ご主人が亡くなって何年か経ってからも、冗談っぽく「もういつ死んでもいいの」と言うことがあったが、それは本心なのかもしれないと感じていた。

今、知人の周りには手助けをしようとする人たちがたくさんいる。

でも一番大切なのは、自分が生きたいと思うかどうかなのではないかと思う。

ここまで書いてきて、私は、生きることを良しとし、死ぬことを悪と考えていることに気づいた。

もし自分が同じ立場であれば、もっと生きたいと思うに違いないから、知人にもそう思ってもらいたいと思うのだ。

でも淡々として、病を受け止めているかのように見える知人は、知人なりの考えに到達しているのかもしれない。

何が正解なのかわからなくなった。

一人一人で答えは違うのかもしれないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。

文章を書きながら、あらためて自分の傲慢さに気づかされたような、そんな気がしている。

 

 


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英語ができない

2024-09-09 11:41:43 | 日記

普段よく温泉のあるお風呂に行くのだけど、久しぶりに以前行ったことがあるお風呂に行ってきた。

ここは色々な種類のお風呂があって、岩盤浴もあるし、広い食事処や休憩所もあるしで本当に楽しい。

特に好きなのが岩盤浴で、いつも三種類の温度がある岩盤浴を渡り歩いている。

そして熱った身体を涼ませてくれるのが、室温14度のクールダウン室。

今回も「あち、あち」言いながらクールダウン室に行くと、中はいつもより人が多かった。

空いている椅子に座って周りを見回すと、なんと全員白人の外人さん。

どうやら二組の家族同士で来ているようで、みなさん背は高いし、男性は横幅もあるしで、かなりの圧迫感がある。(私も大きい方なので、人のことは言えないが)

空いていた椅子に座ったら、すぐ近くに座っていた大柄で金髪のマダムがにっこりと笑いかけてくれた。

私と同年代くらいだろうか。

スキンヘッドだけど優しそうなご主人と美しい娘さんとの旅行みたい。

私もにっこりと笑い返したのだが、そのあとが問題で金髪のマダムが、何度も視線を送ってくるのだ。

何か話しかけたそうな視線だとは思ったが、英語がわからない私としては、話しかけられたらマズイという気持ちがあって、絶対に視線は合わせないぞと、金髪マダムの視線を感じながら思っていた。

やっぱり英会話勉強しようかなぁ。こんな時、会話ができたらきっと楽しいだろうなぁ、、、とも思いつつ。

クールダウン室に居るのに、マダムの視線を感じながら話しかけられたらどうしようという冷や汗をかき、リラックスどころか固まった状態で椅子に座ること五分。

スキンヘッドの男性が「もう時間だ、出よう」(これくらいはわかった)と言い、全員が立ち上がってドアに向かって歩き出した時、金髪マダムが振り返ると、私に向かって笑顔で手を振ってくれた。

もちろん私も笑顔で手を振りかえした。

それにしても数年前にも何度か来ているお風呂だが、こんなに外国人が居るのは初めて。

この日は、金髪マダムのグループ以外にも何組かの外国人旅行者を見かけた。

少し前のブログに「札幌に来てどこを観光するのだろうか」と書いたが、まさかお風呂に来ていたとは驚きだった。

でもGood choiceよ〜

お風呂大好きなので心からそう思う。

ところでいよいよ来月から新しい液体を体内に注入する取り組みが始まるのだとか。

サウナ好きの長男が「今のうちに行っておかないと、来月からはもうサウナに行けなくなる」と言っていた。

たしかにそうかもしれないが、お風呂に行けなくなるのは悲し過ぎる。

高齢者のデイサービスを使っていたり、高齢者施設などにいらっしゃる方々は、もしかすると半強制的にうたれるのかもしれないが、一般の人では、どれくらいうつのかは未知数。

でもうったところでコロナに感染するのは変わりなく、それどころか罹りやすくなるかもしれないということが徐々に広まったせいで、打とうと思う人は意外と少ないかもしれない。

ちなみに周囲ではコロナはもう過去の話で、新しい液体についても誰も話題にしない。

これから公衆浴場に行けるかどうかは、外国人がお風呂から消えたかどうかが目安かもしれない。

外国人が消えたらマズイことになっているのかもしれない。

なーんて、こういう話を陰謀論と呼ぶのかしらね(笑)

 


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