会えば不平不満の愚痴ばかりを口にする人がいる。
不平不満の原因は実の親の事だったり、お姑さんのことだったり、旦那さんのことだったりする。
私は、彼女がなぜそんなことに腹を立てるのか分からない。
お姑さんや実の親と同居しているわけではないし、旦那さんは働き者で仕事一筋だが、家庭も大切にしていることは彼女の話から伝わってくる。
広々とした庭付きのステキな自分の家に住み、旦那さんが働いててくれるおかげでお金の心配もなく、素直で健康で成績優秀な子供達がいる。
「一体これ以上何を望んでいるの?」と言いたくなるが、それでも不平不満は尽きないようだ。
彼女とは長い付き合いで、たまに会って話を聞いているが、思うに全て自分の思うとおりになっていかないと、それが不満になるようだ。
例えば、お姑さんに対しては拒否反応を持っているので、はなからお姑さんの言葉を悪く受け取ってしまい、そのたびに腹を立てている。
そして、それをかばった旦那さんには、もっと腹を立てる。
「そうは言っても、それはあなたのせいでもあるよ」
一度そう言ったら、物凄い勢いで怒りの反論が返ってきた。(苦笑)
彼女の口からは感謝の言葉が出てこない。
多分、彼女に言っても無理だろうと分かった上で、私が毎日、先祖供養をして自分が存在していることを感謝していると話したら、「部屋の中が、お線香臭くなるから嫌だ」と言われた。
あぁ、やっぱりね。
分かっていたけど、思ったとおりの答えが返ってきた。
先祖ではなく、自分のことを考えているうちは無理だ。
たとえ先祖供養を始めてみる気になったとしても、自分のご利益目的ならご先祖に対して失礼だから止めたほうがいい。
人は、ともすれば自分がたくさん与えられているのに、それを当たり前のことだと誤解して、感謝どころか不平不満を持ってしまうことがある。
もっと、もっとと、不平不満はどこまで行っても終ることがない。
今のままでも十分幸せ、生きているだけでありがたい・・・そう自分自身が気づかなければ、幸せを感じて安心した心で過ごせることは、これからも決してないだろうと思う。
まさに、それが地獄というものかもしれない。
忘れているけれど、自分が望んで生まれてきたのだ。
今回は、こういう課題にチャレンジするぞと思って・・・
生きていれば、誰しも大波小波と様々な問題に直面する。
でも、まさにそれが今生で自分の乗り越えるべく課題なのかもしれない。
「よし、乗り越えてやろうじゃないの!」
いつもそう思う。
自分の中に不平や不満、悲しみ、そして怒りの感情が湧きあがってきたら、「これが私の課題」と思う。
しかし、人間はそう思えるほど強くなれない時もある。
そんな時は、ただひたすら感謝の言葉をつぶやく。
心から感謝できなくても、感謝するような気分じゃなくても、感謝の言葉を繰り返す。
すると、徐々に心が静まってくる。
そしてまた、いつものように太陽や大自然、そして先祖供養をしている時、心の中に生きている喜びが湧き上がってくる。
自分の課題をひとつ乗り越えつつあると感じる。
もしも先祖供養をすることを知らなかったら、私は今でも彼女と同じように不平不満の愚痴地獄から逃れられていなかったのではないかと思う。
人のため(先祖の為)に何かをする喜び。
生かされているだけでありがたいと思えること。
毎日の先祖供養と大自然に対する感謝が、それを教えてくれたと思う。
それらを知ることができた私は幸運だった。
毎朝7時過ぎに朝日が昇ってくる。
オレンジ色から黄色に変わってくる光はとても綺麗。
この日の朝は氷点下10度の気温だったが、空気中の水蒸気が凍ってキラキラと輝くように見えるダイアモンドダストを見ることができた。
写真に写らなかったのが残念でした・・・
不平不満の原因は実の親の事だったり、お姑さんのことだったり、旦那さんのことだったりする。
私は、彼女がなぜそんなことに腹を立てるのか分からない。
お姑さんや実の親と同居しているわけではないし、旦那さんは働き者で仕事一筋だが、家庭も大切にしていることは彼女の話から伝わってくる。
広々とした庭付きのステキな自分の家に住み、旦那さんが働いててくれるおかげでお金の心配もなく、素直で健康で成績優秀な子供達がいる。
「一体これ以上何を望んでいるの?」と言いたくなるが、それでも不平不満は尽きないようだ。
彼女とは長い付き合いで、たまに会って話を聞いているが、思うに全て自分の思うとおりになっていかないと、それが不満になるようだ。
例えば、お姑さんに対しては拒否反応を持っているので、はなからお姑さんの言葉を悪く受け取ってしまい、そのたびに腹を立てている。
そして、それをかばった旦那さんには、もっと腹を立てる。
「そうは言っても、それはあなたのせいでもあるよ」
一度そう言ったら、物凄い勢いで怒りの反論が返ってきた。(苦笑)
彼女の口からは感謝の言葉が出てこない。
多分、彼女に言っても無理だろうと分かった上で、私が毎日、先祖供養をして自分が存在していることを感謝していると話したら、「部屋の中が、お線香臭くなるから嫌だ」と言われた。
あぁ、やっぱりね。
分かっていたけど、思ったとおりの答えが返ってきた。
先祖ではなく、自分のことを考えているうちは無理だ。
たとえ先祖供養を始めてみる気になったとしても、自分のご利益目的ならご先祖に対して失礼だから止めたほうがいい。
人は、ともすれば自分がたくさん与えられているのに、それを当たり前のことだと誤解して、感謝どころか不平不満を持ってしまうことがある。
もっと、もっとと、不平不満はどこまで行っても終ることがない。
今のままでも十分幸せ、生きているだけでありがたい・・・そう自分自身が気づかなければ、幸せを感じて安心した心で過ごせることは、これからも決してないだろうと思う。
まさに、それが地獄というものかもしれない。
忘れているけれど、自分が望んで生まれてきたのだ。
今回は、こういう課題にチャレンジするぞと思って・・・
生きていれば、誰しも大波小波と様々な問題に直面する。
でも、まさにそれが今生で自分の乗り越えるべく課題なのかもしれない。
「よし、乗り越えてやろうじゃないの!」
いつもそう思う。
自分の中に不平や不満、悲しみ、そして怒りの感情が湧きあがってきたら、「これが私の課題」と思う。
しかし、人間はそう思えるほど強くなれない時もある。
そんな時は、ただひたすら感謝の言葉をつぶやく。
心から感謝できなくても、感謝するような気分じゃなくても、感謝の言葉を繰り返す。
すると、徐々に心が静まってくる。
そしてまた、いつものように太陽や大自然、そして先祖供養をしている時、心の中に生きている喜びが湧き上がってくる。
自分の課題をひとつ乗り越えつつあると感じる。
もしも先祖供養をすることを知らなかったら、私は今でも彼女と同じように不平不満の愚痴地獄から逃れられていなかったのではないかと思う。
人のため(先祖の為)に何かをする喜び。
生かされているだけでありがたいと思えること。
毎日の先祖供養と大自然に対する感謝が、それを教えてくれたと思う。
それらを知ることができた私は幸運だった。
毎朝7時過ぎに朝日が昇ってくる。
オレンジ色から黄色に変わってくる光はとても綺麗。
この日の朝は氷点下10度の気温だったが、空気中の水蒸気が凍ってキラキラと輝くように見えるダイアモンドダストを見ることができた。
写真に写らなかったのが残念でした・・・