ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

心をこめて

2016-08-14 21:34:42 | 日記
お盆が近づいて来た頃、すこし気になる映像を見たことがあった。

その日の夜、いつものように布団に入って目を閉じた途端、何かが見え始めた。

そのまま目をつぶって集中すると、映像は徐々にはっきりとしてきた。

見えてきたのは人だった。

大勢の人がこちらを向いているのが見える。

まるでひな壇に乗って写真撮影でもするかのように、正面を向いた姿で並んでいた。

着物や普段着の洋服、スーツなど恰好は様々で、男性もいれば女性もいた。

そして不思議なことに、身体ははっきりとしているのに、なぜか顔だけはぼやけていてよく見えなかった。

いつも見る映像はどこかの風景が多いのに、人間の姿を見るなんて初めてかもしれない。

また、いつも見る映像と違って周囲が薄暗かった。

薄暗い中に大勢の人たちがこちらを向いて並んでいるのだった。

しばらく見ていたのだが、そのうち映像が徐々にぼやけていき、やがて見えなくなった。

これは何の意味だろう?

でも、もしかしたら意味など無いのかもしれない。

いつもこのような映像を見た時に思うことは、見たものに対して自分自身で勝手な解釈をすると、私の場合は、それに囚われてしまう恐れがあるということだ。

囚われてしまうことは、とても恐ろしいことだと自分の中にある本能のようなものが教えてくれるので、見たものはそのまま流して、あとはあまり考えず忘れるようにしている。

しかし、なんとなく普段よりも気になる映像だったので、家事をしていても、時々そのことが思い出された。

いつも通りの日常生活がその後も流れていったが、実はこの時以来ずっと自分の気持ちがどうしても沈みがちになっていた。

原因といえば無くはないのだが、それはもうすっかり解決したことなので今ここでは書かない。

でも、これは相当にキツイなと思うくらい気持ちが沈んだ。

ところで私が見た映像だが、「もしかしたら、あの人たちは供養を待っている方々なのではないだろうか」と考えていた。

なぜかと言うと、大勢の人の周りがずいぶん薄暗く、とても成仏されている感じには思えなかったから。

ところで私の気持ちが沈む出来事が解決したと書いたが、そもそもの原因自体は解決したわけではない。

解決したというのは、そのこと自体がまったく気にならなくなったということだ。

変わる時は一瞬で、それは何気ない日常生活の中で起こった普通の出来事を見ていて気づかされた。

なんと些細なことで気持ちが沈んでいたのかと、重苦しい雲が晴れたように不思議なほどあっという間に気持ち変わった。

その時に思ったことは、多くのご先祖が守って下さったのかもしれないということで、ご先祖の方々が沈んでいる私を見かねて、心が変わるようにと、まるで舞台装置を上手にセッティングして下さったかのように思えた。

そのようなことがあったこともあり、あの世とこの世は本当に近いと今感じている。

もちろん今はお盆の時期なので、たくさんの亡くなった方々が帰ってこられているのでしょうが、お盆でなくても私たちは先祖や縁ある方々と共に生きているという気がしている。

肉体が無くなると、肉眼では見ることができず、また触れることもできない為、どこか遠くへ行ってしまったような、もしくは無になってしまったような気がするが、実は亡くなった方はすぐそばにいることが多いのではないだろうか。

と言っても、あまりに故人に執着を持つことは、故人の進みを妨げてしまうので良くないが、やはり一番は故人が喜ばれる供養をしてあげることなのだと思う。

あの映像の方々がどのような人なのかは分からないが、私にできることは毎日こころを込めて供養をすることだとあらためて思っている。












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