「いつもご機嫌な人は長生きする」ということが科学的に証明されてきているのだそうだ。
アメリカの修道院に暮らす尼僧を対象に実験をしたそうだ。
彼女たちは同じ環境で同じ食べ物を食べ、生活環境にほとんど違いはない。
そして、彼女たちが書いた手記を分析して「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などのポジティブな言葉を多く使ったグループと、「寂しい」「つらい」「困った」などと言ったネガティブな言葉を多く使ったグループの二つに分け、全員が80歳以上になった時の健康状態、生存状態を調べたところ、なんとポジティブグループの方が平均9年も長生きだったそうだ。
このような結果になったことは自律神経の観点からも言えているそうだ。
つまりストレスをためやすい人、またイライラしている人は、戦闘モードである副交感神経が優位になり続けるため、血圧や心拍数が上昇する。
また、過剰なストレスによってコルチゾールというホルモンが増加し、その状態が続くと抗酸化酵素の働きが低下したり、免疫力が低下することがわかっているそうだ。
だから幸福度の高い人は、健康状態が良いという傾向があるのだそうだ。
ただネガティブな感情がまったくよくないとは思わない。
一説によるとネガティブな感情も人間には必要なもので、たとえば戦争や飢饉といった状況では「生き延びる」ために不安感や危機感が必要なのだそうだ。
だが、そのような社会には生きていないとしても、やはりどうしてもポジティブになれない時だってある。
(わたしもある)
そんな時は、無理にポジティブになろうとしても余計落ち込むだけかもしれない。
ただ最近の研究では、現在がつらい状況であっても、過去の幸せな出来事を思い出すだけで健康に良い影響を与えることもわかっているそうだ。
一時的でもよい気分になることで脳内に変化が起き、心と体に作用するのだとか。
例えば、楽しかった旅行を思い出す。旅行のビデオや写真を見るのもいいのかもしれない。
私は子どもたちが小さかった頃のビデオをよく見る。
小さな子が3人もいると、転んだとかぶつけたとか、喧嘩したとかで、しょっちゅう誰かが泣いている。
当時は私も髪振り乱しての育児といった感じだったが、今あらためて観てみると、これがけっこう笑えるシーンが多かったりする。
あ~幸せだったなぁと思う。
もちろん今も幸せだが、子育て中は今とはまた違った意味で幸せだったと思う。
ずっと授からなかった子どもが3人も生まれてきてくれたということが、いつも私を幸せな気持ちにしてくれた。
ところでフランスの哲学者アランの有名な言葉に「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思である」というのがある。
「悲観主義は気分によるもの」とは、つまり不機嫌はその時の気分によってということ。
また「楽観主義は意思である」とは、自分の強い意志でご機嫌な状態を選び取るということだろうか。
どうにもならなくなった時、最善の努力をしたうえで「なんとかなる」と明るく思い込むことは、生きる術として、とても大切だと思っている。
アメリカの修道院に暮らす尼僧を対象に実験をしたそうだ。
彼女たちは同じ環境で同じ食べ物を食べ、生活環境にほとんど違いはない。
そして、彼女たちが書いた手記を分析して「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などのポジティブな言葉を多く使ったグループと、「寂しい」「つらい」「困った」などと言ったネガティブな言葉を多く使ったグループの二つに分け、全員が80歳以上になった時の健康状態、生存状態を調べたところ、なんとポジティブグループの方が平均9年も長生きだったそうだ。
このような結果になったことは自律神経の観点からも言えているそうだ。
つまりストレスをためやすい人、またイライラしている人は、戦闘モードである副交感神経が優位になり続けるため、血圧や心拍数が上昇する。
また、過剰なストレスによってコルチゾールというホルモンが増加し、その状態が続くと抗酸化酵素の働きが低下したり、免疫力が低下することがわかっているそうだ。
だから幸福度の高い人は、健康状態が良いという傾向があるのだそうだ。
ただネガティブな感情がまったくよくないとは思わない。
一説によるとネガティブな感情も人間には必要なもので、たとえば戦争や飢饉といった状況では「生き延びる」ために不安感や危機感が必要なのだそうだ。
だが、そのような社会には生きていないとしても、やはりどうしてもポジティブになれない時だってある。
(わたしもある)
そんな時は、無理にポジティブになろうとしても余計落ち込むだけかもしれない。
ただ最近の研究では、現在がつらい状況であっても、過去の幸せな出来事を思い出すだけで健康に良い影響を与えることもわかっているそうだ。
一時的でもよい気分になることで脳内に変化が起き、心と体に作用するのだとか。
例えば、楽しかった旅行を思い出す。旅行のビデオや写真を見るのもいいのかもしれない。
私は子どもたちが小さかった頃のビデオをよく見る。
小さな子が3人もいると、転んだとかぶつけたとか、喧嘩したとかで、しょっちゅう誰かが泣いている。
当時は私も髪振り乱しての育児といった感じだったが、今あらためて観てみると、これがけっこう笑えるシーンが多かったりする。
あ~幸せだったなぁと思う。
もちろん今も幸せだが、子育て中は今とはまた違った意味で幸せだったと思う。
ずっと授からなかった子どもが3人も生まれてきてくれたということが、いつも私を幸せな気持ちにしてくれた。
ところでフランスの哲学者アランの有名な言葉に「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思である」というのがある。
「悲観主義は気分によるもの」とは、つまり不機嫌はその時の気分によってということ。
また「楽観主義は意思である」とは、自分の強い意志でご機嫌な状態を選び取るということだろうか。
どうにもならなくなった時、最善の努力をしたうえで「なんとかなる」と明るく思い込むことは、生きる術として、とても大切だと思っている。