最近の楽しみは、息子夫婦から週に何度か送られてくる孫の動画や写真を見ることと、それらにコメントを入れること。
生後三ヶ月も経つと、目に見えてできることがどんどん増えていく。
赤ちゃんの成長の早さってすごいなあと、いちいち感動しながら見ている。
自分が子育てをしていた頃は、ここまでじっくり観察したり感動したりする余裕はなかったけど、いざ孫となると育てるのは息子夫婦なので気楽に見ていられる。
でもお嫁さんの大変さもよくわかる。
先日送られてきた写真は、トイレの前でベビーベッドに寝かされている孫の写真。
写真に添えられたお嫁さんのコメントは「トイレまで付き添ってくれます」だった。
多分、お嫁さんの姿が見えないと泣くのだろう。
トイレくらい一人でゆっくり入らせてよ、、、と思っていた頃が懐かしい。
そこで私もコメントを書く。
「うんわかる。大変だね、、、」
その後にお嫁さんがクスッと笑ってくれたらいいなと思いながら、ジョークを入れたりするのだが、これがなかなか思いつかず、頭を使うのでよい脳活になっている。
育児をしていた頃は、昼夜を問わず自分の時間がなくて、たまには一人で気晴らししたいなんて思うこともあったが、今はそれもみんなよい思い出にかわってしまった。
最近よく思うのは、過去は変えられるのだということ。
子育てをしていた当時は、忙しさなどから不平不満もあったが、そんなことを忘れるくらい楽しくて幸せなことばかりの思い出に変わっている。
また人生最大の試練だと思った母の死も悲しかったことは思い出せるが、それ以上に生きていた頃の母との懐かしい思い出の方が鮮明に蘇ってきて、幸せな子ども時代を過ごさせてもらったなと感謝しかない。
ほかにも数えきれないくらい嫌だなと思ったことも、泣きたくなったことも、怒ったこともあったけど、それらがみんな不思議とよい思い出に変わっている。
これは高齢者の方が、苦労話を嬉々として話してくれることと同じかもしれない。
苦労したことは思い出に残りやすく、年齢とともによい思い出に変わる人が多いのだろう。
生きることは素晴らしい、な〜んて照れるような言葉が出てしまうほど、やはり人の一生とは、唯一無二の素晴らしい経験なのだと思う。
誰の人生であっても、その人にとっては、かけがえのない人生。
平凡な自分が送る平凡な日々であっても、いつか還る時には今のことを思い出してよい人生だったなと思うのだろう。
それを考えると、これからが楽しみで仕方がない。