ここ数日とてもよく眠れる。
いつもなら夜中に二回くらいトイレに起きて、そのあとしばらく眠れず、やっと眠れたと思ったら、朝4時半ごろにはもう目を覚ましてしまうというパターンだった。
それがどうしたことか、ここ最近トイレは一回あるかないかで、トイレに行っても、そのあとすぐに眠ることができる。
さらに翌朝は7時までぐっすりと眠れる。
長女の仕事がある日は、食事の準備のために遅くても7時前に起きなければいけないのに、それが7時だと少し慌てるが、「よく寝た」という満足感は、ここ最近感じたことがない心地よさ。
なぜこんなによく眠れるのだろうと、前日の行動を振り返ってみれば「掃除」じゃないかという結論に達した。
家の中の掃除は毎日しているが、ここ数日は普段の掃除以外の掃除もやっていた。
例えば庭の掃除に建具や家具の掃除。
庭の掃除は落ち葉を掃き、野草を抜いて増えた花の苗を移植した。
しゃがんで長い時間作業をしていた為、足の筋肉痛が今も治っていない。
そして建具と家具。
乾燥でカサカサになっていた建具(木製ドア)と家具を、家具用オイルをつけてぴかぴかに磨いた。
こちらも長い時間をかけて、伸ばした腕を大きく動かしていたので上半身のいい運動になった。
掃除というのは、きれいになることと運動不足の解消になるのが良いところだけど、もう一つ良いことがある。
それは知らないうちに「無」になれることだと思う。
日常の短い時間の掃除では、なかなかそこまで感じることができなかったが、一心不乱に目の前の作業に集中して体を動かしていると、頭の中がいつの間か空っぽになっている。
掃除に没頭すればするほど、頭の中からも心の中からも、いろいろな考えや思いが消えていく。
ほんの短い時間だけど座って毎日行う瞑想では、いろいろな考えが頭を巡って無になることが難しい、というかなれないのだけど、いとも簡単に無になれるというのが、掃除のすごいところだと思う。
禅寺のお坊さんが、掃除をとても大事にしているというのは、ただ汚れをきれいにすることだけではないのだとあらためてよくわかる。
というわけで最近よく眠れるのは、無になれたから、、ではなくただ単に運動不足が解消したからだと思う。
日中家に居ることが多くなった夫が、掃除を手伝ってくれるようになり、すっかり楽をしていたけど、これが運動不足になっていたのかもしれないという贅沢な悩み。
幸いにもまだやろうと思っている場所の掃除が残っているのでいいが、それが終わったら、また眠れないかも?それは困るなぁ、、、
ちなみに禅寺のお坊さんは、掃除を一番大切な作務と考え、行として取り組んでいるので、「汚れていようがいまいが掃除をする」のだとか。
そうか、また同じ場所の掃除を繰り返せば良いのだと閃いたが、掃除を行だと思っていなかった者(私)には、これを継続するのはなかなか難しいかもしれない。
とはいえ今日も普段の掃除しました。
部屋のほこりを払って掃除機をかける、トイレを掃除する、台所の壁が汚れていたので拭く、玄関のたたきに塩を撒いて掃き出すなど。
数日前の掃除に比べれば、ほとんど疲れはないが、とりあえず今日の掃除は終了で、これからウォーキングへ行って読書をしようと思う。
好きなことができる幸せ。ありがたいことです。