初孫の二歳の誕生日会があり、お嫁さんの実家に集まることになった。
一歳の誕生会は我が家に集まったので、お嫁さんのご両親が「次はうちで」と言って下さったのだが、食事の用意などで忙しくさせてしまうのが申し訳ない。
昨年はお寿司を持って来て頂いたので、今回はウチでお寿司を買って行くことにしたが、ほかに何か作って持って行った方がいいのか、でもそんなことをすると、余計に気を使わせてしまうのではないだろうかなどと悩んだ。
でもうちへ来て頂いた時は、お寿司だけをお願いしたので、私もお寿司だけにして、あとはささやかなご両親への手土産だけ持って行くことにした。
これが気心の知れた友人や古い付き合いの親戚であれば、ざっくばらんに持ってきて欲しいものを聞けるのだが、まだつきあいの浅い長男の伴侶のご両親というと非常に気を使う。
でもこれは向こうも同じだと思う。きっと気を使って準備されているのではないだろうか、、などとまたまた申し訳ない気持ちになる。
とはいえ初孫の二歳の誕生日会はとても楽しみだった。
長女と次女もお祝いしたいというので、大勢で申し訳なかったが我が家からは四人で参加し、総勢九人の誕生日会になった。
向こうのご両親と会うのは、一歳のお誕生会以来なので一年ぶりで、お会いした回数はまだ四回目。
週に一回は送られてくる孫の写真の数々に、毎回おバカなコメントを入れている私だが、これは向こうのご両親にも笑ってもらおうと思う(一方的な)コミュニケーションのつもりだったが、逆効果にはなっていなかっただろうか、、、(バカなお母さんねと思われているとか)
なんて少し、いや、かなり緊張してお宅に伺ったが、本当にあたたかく迎えて頂いて嬉しかった。
会ではみんなでハッピーバースデーを歌い、用意して下さった美味しい料理を食べ、二歳になった孫を中心に話に花が咲いた。
そして話題は、孫の将来のことになった。
誕生プレゼントにもらったバスのおもちゃに夢中になる孫を見て「将来はバスの運転手になるのかな」と夫が言うと、「でも将来は自動運転になっているかもしれませんよ」と向こうのお父さんが言う。
一同「それもそうだ」と納得し、今度はおもちゃのピアノに夢中になる孫を見て「将来はピアニストだろうか」と向こうのお父さんが言う。
すると「いやピアノに限らないかもよ。もしかすると音楽家になるんじゃない?」と向こうのお母さん。
「音楽家というと、ギター抱えてストリートミュージシャンになったりしてね」
「そうそう。狸小路(札幌の古いアーケードの商店街)で歌ってたりして」
「そうなったら聴きに行かないとね」
「でも聴いている人、ここにいる家族だけだったら悲しいね。そうなったら拍手喝采して盛り上げないと」
あちこちからそんな声が聞こえてきて大笑いだった。
この時、とても心地よく温かい気が周囲に満ちたような感じがした。
ほんの2〜3年前は、まったく知らない他人同士だったのに、同じ血が流れている小さな孫を中心にして、家族のようになっているってすごいことだ。
もしかすると、縄文時代ってこんな感じだったのだろうか。
そうだとしたら、きっと生きやすくてよい時代だったのだろう。
初孫の二歳の誕生日会、最初の緊張感はすっかり溶けて無くなり、向こうのご両親や長男夫婦のおかげで、思い出に残る楽しい時間になった。