ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

卵が先かニワトリが先か

2014-04-21 14:45:03 | 日記
「これからは、どうぞ家族だけでお幸せに」

7年前「会をやめます」と伝えた時、口論をした会の幹部から言われた言葉だ。

「皮肉だな」と思ったが、「はい。そうさせて頂きます」と私は答えた。

しかし、この言葉だけはずっと私の心の中に引っかかっていた。

会では「世界平和」ということが盛んに言われていた。

そのため実践的な活動もしていたし、会員には「祈ってください」とのお達しもよくあった。

世界平和・・・もちろんこれは大切なことで究極的にはそうならなければいけないと思う。

が、世界平和の前にひとりひとりの個人が幸せにならなければいけないんじゃないの?と私はずっと思っていた。

子供のことや家庭の事で悩んでいる人たちに、いきなり世界平和だと言っても「そーだ!その通りだ!」と立ち上がる人が一体何人いるだろうか。

会では個人的な悩みに対処するため、ある長い文を唱えさせられた。

しかし、それは愛のある言葉ではない。

どちらかというと上から目線で相手に言い聞かせるというような文だった。

そして、それを唱えれば唱えるほど、私には奇異なことが起こった。

魔物を見る、暗い地下へ降りていくような夢や感覚、実際に家が壊れるのではないかと思うほど大きな音が鳴り止まない「家鳴り」(これは何故か私が一人の時しか鳴らなかった)

会員の一部の人たちから私に対する批判の中に「自分のことしか考えていない。自分さえ良ければそれでいいのか」という意見があった。

自分の本心は、まったくそんなことはないと思っていたので、そのような批判にはびくともしなかったが、最後に「家族だけでどうぞお幸せに」と言われたことは、ずっと引っかかっていた。

家族の幸せは私の幸せ。

その家族が幸せでいる為には日本という国が平和でなければいけない。

そして、日本が平和でいる為には世界も平和じゃなければいけない。

個人の幸せが世界を平和にするのか、世界の平和が個人を幸せにするのか・・・

まるで卵が先かニワトリが先かみたいだが、私はやっぱり個人の幸せが先だと思った。

ひとりひとりが幸せを感じるようになれば、もっと世界は平和に近づくのではないかと・・・

かといって、何をしたらいいのか、その時の私には分からなかった。

風水を本格的に勉強し始めたのも、個人の悩みがそれで解決できるのではないかと思ったからだった。

そして、その頃からほとんど毎日、朝日に向かって手を合わせるようになった。

まずは感謝の「ありがとうございます」という気持ちで手を合わせ、その時に「どうぞ私を神の道具として使ってください」との願いをしていた。

そのようなことを願ったのは「私はけっして自分さえよければそれでいいとは思っていない」という反発心があったからだと思う。

ところで、こうして会をやめたにもかかわらず、色々な会員さんからの電話や訪問は相変わらず続いていた。

会員さんの話によると私のように会をやめた後、ひとりで悩みを抱えていく不安から再び会に戻ってくる人が多いのだそうだ。

その話を聞きながら、そのように一旦やめて戻る人や、会を続ける人は「誰かに何とかして欲しい」という気持ちが強い人なのだろうと思った。

かつての自分もそうだったから、その気持ちはよく分かる。

結局は風水も同じことだという事が分かりやめたのだが、誰かに、風水や占い師に、なんとかしてくれるのではないか、なんとかしてほしいという他力本願の気持ちがあるのだ。

他力本願の気持ちがあるうちは、ずっと苦しさから逃れることはできないことは、私が経験済みなので間違いはない。

でも今、自分を救えるのは自分だけだということがわかる。

ただし病気になったら医師にお任せするしかないが、その時も自分の心は自分で救うしかないと思う。

他人は救う手助けはできるかもしれないが、最後に自分を救うのは自分自身しかいない。

自分が救われるというのは、今までの悩みがぱっと消えて無くなるという事ではない。

その状況は変わらないかもしれないが、自分の心が変わるとそれが大した悩みではなくなるのだ。

むしろ自分を成長させてくれるありがたいものだと思えることもある。

そういう気持ちの変化が「奇跡」さえ起こすのかもしれない。

そういう事が分かるようになったのは、先祖供養を始めたからだと思う。

苦しんでいるご先祖がいるなら何とか救ってあげたいと、その一心で続けている先祖供養だが、それが気づかないうちに自分自身をも救っていた。

我が家へ来た会員さんが、部屋に置かれた先祖供養の短冊と香炉を見て「これは何?」と聞いてこられた。

私が簡単に説明をすると「ふーん、こんな紙切れに手を合わせて何になるの?」と馬鹿にしたように言った。

それに対して、私は何も反論はしなかった。するのも馬鹿らしいというのが本音だった。

ところが会をやめてから2年近く、あれだけ頻繁に私に接触をしてきた会員さんたちが、それ以降ぴたりとそろって来なくなったことは不思議でならない。













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