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私は最初の校長を務めた中学校で、教頭の時、拒食症の女子生徒に出会いました。
ちょうど10年前の今頃のことでした。
その生徒は心の悩みが重なり、3年生の夏休み前には、ものが食べれずかなりやせ細っていました。
学級担任から相談を受け、1学期末の三者懇談にも同席しました。
その子の悩みは深く、一度ぐらいの懇談で、解決できるような課題ではなく、時間がかかりました。
卒業式後の花道を送り出すときは、手を握って「しっかりと進んでいきなさい」と伝えたことを覚えています。
その後、高校生の時に再会する機会がありました。それは中学校区で行っていた「校区クッキング」の場でした。
保幼小中の子どもたちが集まり、お正月のおせち料理を大人と一緒に作るイベントでしたが、その場に彼女が来ていました。
聞くと、その生徒は高校卒業後、栄養学科のある大学へ進学する予定だということでした。
「私は中学校の頃、食べられなくて悩みました。こんな私だから、将来は栄養士になって食を人々に提供する仕事に就きたいのです」。
彼女はこのように語っていました。 私は、その言葉を聞いて、どれほどうれしく、どれほど励まされたことだったでしょうか。
このことから思うこと。
中学時代の経験は、彼女にとってはたしかに長い回り道だったことでしょう。
でも、回り道に無駄なことは一つもないのです。
この生徒の場合は拒食症でしたが、学校に来にくい不登校の生徒の場合も、回り道に無駄なことはないと私は考えます。
いつの日か、あのつらい日があったから、いまのわたしがあると思える時がくると思うのです。
当事者の子にもそういう思いで、難局を切り開き、歩んでほしいと願いますが、それができるためには、教師の役割も求められます。
子どもは成長する。いつかこの経験がこの子の宝になると信じて、寄り添い、かかわり続け、子どもを支える覚悟と態度が教師には必要です。