よく、「子どもをありのままを受け入れる」「子どもの存在をまるごと認める」という言葉を、学校でなら教職員が言います。
家庭でなら、「わが子がいてくれるだけで、ありがとう」と親が言います。
ところで、これらの「まるごと認める」とか「いてくれるだけで」という言葉が表す、子どもの「存在」とはどういう意味なのかが、わかったようでわかりにくいものです。
4年間箕面三中の校長を務めた私が、数回だけ三中生に言った言葉があります。
それは、
「あなたは、大事な、大事な三中の生徒です」
という言葉です。
学校生活上の悩みを抱えたり、困難に直面して、立ちすくんでいる生徒に、私が使った「奥の手」とも言える言葉です。
臨床心理学に、ときどき登場する3つの用語があります。
① having
「いいケータイをお待ちですね」
→その人がもっている持ち物をほめています。ただし、その人をほめているのではなく、モノをほめています。
② doing
「お忙しいのに、来てくださったのですね」
→その人の「来てくれた」という行為を評価しています。
人そのものではないですが、その人の「したこと」を評価しています。
③ being
冒頭の言葉「ここにいるのは、三中のの大切な生徒です」
→一切条件をつけません。無条件で、その子が学校にいてくれるだけで素晴らしいというニュアンスをもつ言葉です。
③に関して、
たとえば、「教室に行きたくない」と渋って、自分の思いを教師に伝えている生徒に対して、
即座に
「そんなこと言わずに、せっかく登校したのだから」とか「みんなが待ってるから行こうよ」と教師が返すのは「being」ではないのです。
大切なのは、「教室へ行きたくないという思いの生徒を認める」ということです。
「今は、教室へ行くことがしんどいんやね」と、生徒の気持ちをいったん受け止める、一度その気持ちにOKを示すことです。
そのあとは、成り行き次第です。「行きなさい。途中までついていくから」なのか「じゃあ、教室へ今日は行かなくていい。ここに私といなさい」となるのかは、その場の状況しだいです。
大事なことは、その子の思いを一度は認めたかどうかです。いったんは、教室に行きたいないという私をわかってくれたかどうかです。
(写真と本文の内容は、無関係です。)