前日まで忘れていた公休日。
お天気もよかったので朝から着物を着てふらふら。
京阪バスが馬町で止まってくれたの歩く距離が短くすみました。
東大路を南に、妙法院をめざしました。
幕末の七卿落ち、尊皇攘夷の七人の公家が長州に落ち延びた出発のお寺だそうです。
梅の花かな?
ふだんはお庭以外ははいれないそうです。
お天気最高。
青空に建物が映えてきれいです。
檜皮(ひわだ)ぶき?
襖絵などがとってもすてきでした。
こちら、ご本尊のお堂が一番小さくて質素でびっくり。
次は西福寺を目指しました。
六原界隈を歩くのは久しぶり。昔の町家が並んでいた風景はすっかり変わっていました。
公園にこんな看板。
新しい地名表示。陶板です。
これは登り窯の煙突?
途中、六道珍皇寺にも立ちより。
小野篁ゆかりのお寺。
地獄と現世を往復したという井戸があったりします。
そして西福寺。
むか~し、選挙の個人演説会で西福寺に行ったことがあります。
入り口に水掛(?)のお不動さんが有ったのは記憶通り。
六道の辻にあるお寺で、六道参りの時にだけ公開される絵図を見ることができました。
地獄めぐりの掛け軸と、檀林皇后(嵯峨天皇の皇后)の絵図。
檀林皇后というのは大変美しい方だったそうですが、
死去にあたって、「風葬」してほしいということだったそうなんです。
そのご遺体の変化を一枚の絵図にしたもの。
亡くなって、まずは腐敗にともなってガスでご遺体がぶくぶくになる。
次には破裂して内臓やなんかがこぼれていく。
ウジ虫がわく。
鳥や獣に食べられる。
白骨になる。
白骨がだんだんバラバラになる。
・・・
ついにはあとかたもなくなる。
なんなんでしょう。
栄華を極めた方でも死んだらみんな同じ?というお説法でしょうか。
地獄図は三途の川や地獄、等の死後の世界を説明したもの。
地獄に落とされたものでも心を入れ替えれば、
次にもっといいところに転生できるというような感じ。
昭和の終わりくらいに天井画や壁画、襖絵などが奉納された(?)とのことで、
狭いお寺ですが大変華やかになっています。
その後建仁寺へ
栄西禅師のお墓?
その足で建仁寺久昌院へ。
お庭以外の撮影は控えてくださいとのこと。
長篠合戦図のふすま絵が公開されていました。
この「枠」、ここを通してみるお庭、というのがあったんでしょうか。
お茶室がとても多かった。
ついでなので、建仁寺も拝観。
宗達の風神雷神図はレプリカが展示されていました。
玄関脇の風神雷神の書。
奉納されたものとのことですが、なんだかとってもすてき。
お寺そのものはとっても広くて道に迷ってしまいそうでした!
写真はご自由に、といわれました。
小鳥が一羽。
これはカワセミでしょうか。
空間の美を感じました。
現代美術の襖絵も。
こうして受けつがれていくのですね。
さて、床の間の壁もふすま絵も唐子で埋め尽くしたお部屋もありました。
お勉強らしきことをしていたり遊んでいたり。
お目当ての法堂の龍の天井画を見てきました!
帰りに、建仁寺塔頭の摩利支天(まりしてん)禅居庵に立ちより。
夫がこの近くの職場にいたとき、
待ち時間に禅居庵駐車場のトイレにお世話になりました。
猪づくし。
ここは狛犬ならぬ狛猪がいます。
帰り道なので、六波羅蜜寺へも。
清水焼きの地なので町名もそれらしい。
ただ、このあたりは「鳥辺野」、古代の葬送の地なので
「どくろ」がなまってろくろとなった説もあるらしい。
六波羅蜜寺はいっぱいの人で、御朱印待ちの列がぐるっとターンしていました。
ご本堂は一応拝んでおいて弁財天で御朱印をいただいて今日はフィニッシュ。
東大路まで歩いて喫茶店でサンドイッチ&コーヒー。
五条坂のバス停ではちょっと待っただけでバスが来て、
しかも、自宅近くのバス停まで来てくれる路線だったので楽でした。
今日の歩数は一万歩をちょっとだけ超えて目標達成。
着物姿の若い女性が大変多く
きゃぴきゃぴとポーズを撮ったり、楽しんでおられました。
見ているだけでかわいい。