今シーズンの非公開文化財の特別公開は
今日でコンプリート。
大河ドラマで見たような名前がどんどん出てきます。
角屋入り口柱の新撰組による刀傷。乱闘があったのではなく・・・。
あまりにも遊びすぎなので、つけはダメ、現金でと言ったら逆上して柱を切りつけたとか。
さわらないで、とありますが、年月たってすっかり丸みを帯びています。
お台所もお寺のお台所に匹敵するような大きなものでした。
三宝荒神、とありました。
実際に使ったかまどではなく、神様をおまつりするためのかまど。
使っていたかまどはこれ。
大きなものが5口。左の小さなものは、上から見ると4口あって、
七輪のように焼き魚などに使われたそうです。
写真撮影はガラスケースの展示品以外はOKとのこと。
西郷隆盛が使ったというたらいがありました。
1945年、戦争末期、家屋疎開で角屋も取り壊されそうになったとき、
「明治の元勲にもご縁がある」と訴えて、取り壊しを免れたそうです。
芹沢鴨最後の宴会場、松の間。
とにかく広い大広間。角屋最大の宴会場だそうです。
このお部屋だけは火事で焼けて再建されたものなので重要文化財から外れているとのこと。
お庭には「臥龍松」、善峯寺のように一本の松が龍のように伸びて広がるものだったそうです。
残念ながら初代は枯れてしまい、
今は3本の松を使って往時の面影を伝えています。
(初代は屋根をつけて残されています)
お庭の奧にはお茶室が三つ。
一つはこちら側には壁がなく、太夫がお茶を点てるのがお部屋から見えるもの。
ガイドさんがオープンカフェですね、と。
網代の間。
軒先からこんな天井。
お部屋の網代を支えるのは8メートルの北山杉。
床の間の明かり取りの窓も網の目。
床の間の富士山に
お庭の富士山。
ひとつひとつが本当に凝った意匠で見事です。
新撰組が通っていたり、久坂玄瑞がいたり。
政治の一方に偏らず、お客として受け止めるのは
お商売の生き残りの技ですね。
このあとふらふら歩いて梅小路公園の鉄道博物館に立ち寄って帰宅。
約13,000歩。