鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

白露/7回目の月命日/長谷川洋子・著『サザエさんの東京物語』

2021-09-07 20:24:26 | 本・読書

二十四節季・白露。

昨日の天気予報では、朝から久々の晴れ・・・ということであったけれど、実際の日照時間4時間。

曇りがちで、風がなんとなく冷たい。秋の風。

 

母の月命日。

午前中、お寺の墓所へ。

 

帰りに道の駅へ。

栗を購入。母の好物だったので、栗ご飯にしよう。

一晩、浸水しないと皮剥きできないので、月命日の今日は、栗ご飯には、できなかったけれど。

明日、栗の皮を剥こうと思います。

 

午後から夕刻迄、読書。読書・・・なんか久しぶり。本を読む時間をかみしめる。

長谷川洋子・著『サザエさんの東京物語』

国民的漫画家であった故・長谷川町子の妹からみた姉の姿、そして、サザエさんと磯野家の母体となった長谷川家の物語。

 

母の部屋を片付けていたら、出てきた本で、所謂、母の遺品。

NHK朝の連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の原作である『サザエさんうちあけ話』と重なる部分が多くて、暴君、ヒットラーと娘達に言われた母・貞子の孟母ぶり、戦前、戦後を通して、国民的女性漫画家となった長谷川町子、その漫画の出版する姉妹社を切り盛りする姉・まり子、そして、その確固たる信念をもつ家族の中で、居場所を探し続ける末っ子の洋子。

 

あるきっかけで、姉妹間にできた深い溝。

 

長谷川町子の『サザエさんうちあけ話』では、女系家族の団結、仲良し姉妹・・・というイメージが強いけれども、どんな家庭にも、何かしら瑕疵があるもので、美化された『サザエさん』からは、想像できないエピソードも。

10億円を超える母・貞子の遺産を放棄しても、洋子の欲しかったもの・・・。やりたかったこと・・・。

内気で、強い姉たちに圧倒されながら、そして、姉(町子)の死さえ、知らせてもらなかったというその姉妹の深い深い溝。

 

庶民派と言われた長谷川町子だけれど、現実は、やはり今でいう上級国民。

サザエさんという架空の庶民のイリュージョン。

読者に見せた幻。

そう・・・私たちは、庶民・・・でも、実体は・・・。

 

孟母・貞子の先見の明。

焼野原だった世田谷の土地を買いまくり、バブルで、土地成金。

それでも・・・。

己の信じる宗教や、寄付、他人救済に奔走した母・貞子。

オカネの亡者ではなかっただけ、安堵した。

 

サザエさんと長谷川町子ファンは、読まない方がいいかも・・・。

 

 


読書をするのは・・・?

2021-06-05 22:23:24 | 本・読書

時折、薄日が差すものの、梅雨を思わせるような曇りがちな一日。

明日にかけて、お天気下り坂のよう。

週間天気予報では、週明けから、晴れて暑い日が続く・・・との予想なのだけれども・・・。

 

会社員だった頃は、時間を気にせず、読書して過ごしたい・・・と思っていた。

会社員でなくなって、好きなだけ読書が出来る時間が、あったのに、ここ十年近く・・・殆ど、読書をしなくなった。

読書をしないのではなくて、出来なかった。

ひとえに、大きな不安があって、夜は眠れず、不規則に生活し、生きる意欲も殆どなくて、ただ、母に依存し、母のくれた自由に過ごせる時間を、ただ漫然と、過ごしたに過ぎなかった。

それでも、母が亡くなる迄ほぼ8年間、母の側で、過ごせたことは、私にとって有難いことであった(もっとも、身体の自由が徐々に奪われ、確実に死に向かっていく母の側にいることを、苦痛に感じていたことも事実なのだけれど)。

 

そして、中断・・・というか、本を読む・・・という行為自体にも、いろいろと疑問が出てきて、あれ程、好きだった作家の作品も、その作家のひととなりを、意外なところがから簡単に知ることができるようになり・・・(インターネットで、秒で、検索できる世の中になった。数十年前なら、図書館なり、本屋なりで、調べないとわからないこと、外部に出すことのできなような情報なども、遭遇できるようになった)。

最盛期には、あんなにチカラのあった文章だったのに、晩年には、衰えが見えたり(当然なのだけれど)、新作が世にでなくなり(社会的に規制や制限、或いは、世に出ては困る情報など、情報操作などもさかんに行われているようだし)、作家の意図するところと、出版社の利害が一致しなければ、売れない仕組みだとか。

純粋に良い作品を見極められるヒトというのが、少なくなってきているのかもしれない。

読書なんて、単なる娯楽・・・、ドキュメンタリーも、絵空事。

そんな感じで、読書から、乖離してしまった日々でもあった。

 

先日、異父姉に会い、私の知らない母を知った。

 

生前の母は、読書家でもあった。

『本を読む習慣があれば、辛いコトがあったときに、慰めになる。読書が出来るひとは、幸せだ。』

そんなことを言っていた。

 

母は、幼い頃、実母を病気で亡くし、(大抵そうなんんだろうけれど)底意地の悪い継母に苛められ、唯一の心のよりどころは、女学校だったけれど、卒業して、簡易裁判所の書記官になり、その後、結婚したけれど、その先に、幸せは、無かった。

最初の嫁ぎ先のことは、殆ど、私には話さなかったので、詳しいことは知らない。

話したくないほど、辛かったのか、既に忘れてしまおうと決心したのか、それとも、本当に忘れてしまったのか・・・。

 

そんなこんなで、波乱万丈だった母の人生を支えたもののひとつが読書だったようである。

 

 


雨読の日

2021-06-04 22:51:31 | 本・読書

終日の雨。

 

昨日の天気予報では、朝から本降りの予想だった。

金曜日は、可燃ごみ(生ごみ)収集の日だったので、雨の本降りにならないうちに・・・と思い、早朝5時半頃、弱いミストのような雨の中、ゴミを捨てに行った。明日から、また高温になるようだし、そうなると、生ゴミは、腐敗するから・・・。

 

新聞紙などの紙ごみをまとめるのが面倒だった生前の母は、可燃ごみの日に、新聞紙も一緒に捨てたりしていたし、使い捨てカイロなどは、1日に10個くらい使っていて、そのゴミだとか、薬の包み紙とか、お菓子のパッケージなど、かなりゴミが多くて、50リットルのポリ袋2個くらいは、出していた。

今は・・・ポリ袋半分くらいの量になった(もっとも、母の遺品・・・というか、ゴミ類を捨てるときは、ポリ袋2つになることも・・・)。

以前は、車のトランクに積んで、捨てていたけれど、今は、徒歩で、往復5分弱。

珈琲のお湯を沸かしている間に、行って帰ってこられる。

 

晴れていれば、もう明るい時間帯だけれど、雨を呼ぶ雲が広がって、あたりは、薄暮のようだ。

 

ゴミを捨てて、家に戻り、再び、床の中で、午前10時迄、眠ってしまった。

 

雨音は、強弱を繰り返し、風も強くなって来た。

今日は、本を読もう。

そう思って、ページを開くも、また眠気で、うとうと。

それでも、今日は、本を読もう。

 

今日は、本を読むと決めた雨読の日。

 

 

 

 


薫風と蔵書

2021-05-30 20:54:00 | 本・読書

薫風の週末続く・・・。

午後になって、空に鉛色の雲。

雷鳴がして、ザーッと雨が降るものの、すぐ止んで、日が差す・・・そして、また雨・・・の繰り返し。

雷雲が、発生しては消え・・・の繰り返し。

 

それでも、日中の風は、最高に気持ちがいい。

樹々に咲く初夏の花々の香り。

やはり5月は、美しい・・・。

美しい5月も、あと1日を残すばかり。

 

古書の整理が、捗らないのは、途中で、読んじゃったりするとあっという間に時間が過ぎてしまい、もう夕方か・・・という感じで。

 

私の蔵書(←蔵書という程のものじゃないけれど)もさることながら、母の蔵書もまだ未整理のものがあって、仏壇横の押し入れを開けるのが恐ろしい。

私の記憶が確かなら・・・あの仏壇横の押し入れには、過去数十年・・・買いためた『壮快』、『健康』、『わかさ』といった・・・所謂、健康オタクのバイブルが、山と積まれていたハズで・・・。

 

こんな風の美しい日に、ホコリにまみれた古書と対峙ってのも・・・。

 

 


本の重量

2021-05-29 21:32:31 | 本・読書

風爽やかな夏日。

 

最近では、紙の本・・・という形をとらなくても、比較的簡単に、電子本などが出版できるようで、様々な情報発信にも利用されている。

筆者が、試した健康法とか、投資、メンタル強化・・・などなど。

一個人の試験的な結果ではあるが、役に立つひともいるだろうし、逆に、害になる恐れも否めないような気がする。

 

過去に出版された本というのは、重量もさることながら、本に記述することは、文字となって、後世迄、残るから、いい加減なことは、書けないし、また書いてはいけない。

でも、現在は、重量は、スマートフォンの中に、数百冊分(或いは、数千冊???)の蔵書を確保できるから、軽量であるし、なにより、普通のひとが、学術的に研究して書いた・・・と言う訳でもないので、実践するなら、自己責任で・・・との但し書きもあったりで、内容的にも、軽い・・・ような気もする(なかには、素晴らしいものあるのだろうけれど、なにぶん、本は、紙で読みたいので)。

物心???両面で、『本』は、軽くなってきているのだろう。

そして、デバイスから、削除すれば、もう片鱗も残らず、消えてしまうのが、電子本だろう。

本ではなく、『データ』としての扱いだ。

 

そして、あと数年もすれば、紙の本は、淘汰されるのかもしれない。

 

紙の本は、重たい。

燃やそうと思っても、なかなか燃え切らない。或る程度の火力がないと、途中で、火が消える。

ページをバラしてやらないと完全燃焼するのに時間が掛かる(もっとも、火力の強い焼却炉なんかは、そんなこともないのだろうけれど)。

燃えた残骸も、何故だか、悲しい気がする。

 

そして、経年により、劣化する。

光劣化(日焼け)、シミが侵食し、安価な紙だと、お醤油で煮しめたような色に変色したりする。

高額な本のカバーに、昔よく使われていたハトロン紙とか、パラフィン紙?というのだろうか・・・。

アレが、劣化して、物凄いコトになっていた。

ボロボロと崩れ落ち残骸となっていた。

 

ボール紙の箱のカバー、ハトロン紙の表紙、そして本体。高額な本の装丁は、価値がある。

ソレをみるだけで、いざ、別世界へ・・・と。

 

それでも、歳月は、酷い。

本も時間の砂に埋もれていくようだ。

本当に、砂に埋もれるように、ほおっておくと、ホコリにまみれながら、劣化していく。

太陽光も、湿度も、埃も・・・全て、本の敵だから、蔵書管理は、難しいし、時間が潤沢にあるひとでないと、保てないし、面倒なのだ。

 


本が読みたい。

2021-05-27 23:56:24 | 本・読書

終日、本降りの雨。

気温も低く、肌寒い一日。

 

過去に購入した本の整理をしていて、一冊の古い文庫本を見つけた。

開いてみると、まあ、文字の小さいことよ。

昭和57年発行とあるから、1982年・・・か・・・。

中公文庫とあるから、中央公論社の出版物。定価300円。

40年近く過去の本だ。

 

それに比べると、現在の文庫本は、随分と文字が大きくなったもんだ・・・と思ったりして。

老眼の目には、ちとキツイが、まあ、読んでみようか・・・。

この本は、電子本になっているのか、いないのか・・・。

電子本なれば、文字の大きさなども調整できるのだろうけれど、やはり、古い本は、紙の本で読みたい。

 

中公文庫もそうだけれど、岩波文庫なんかも、かなり文字が小さい。

まあ、そんな文字の小さい文庫本が出てくるわ、出てくるわ・・・。

 

どうしていいのかわからないので、処分できるものは、処分して、迷っているものは、一時保留にして、少し時間を置けば、処分できるかもしれない。

四半世紀近く、読むこともなく、放っておいたので、今更・・・と言う気もするけれど、本には、賞味期限ってないからなぁ・・・。

或る日、急に読みたくなるかもしれない。

でも、ここ数年間は、以前のように本を読んでいない。

特に、小説とかは、殆ど、読んでいない。読んだとしても、記憶にも残らないようなものばかりだった。

 

また、本を読む日が来るんだろうか???

本に没頭していた日々の復活って、あるんだろうか???

 

 


やはり、電子本は、嫌いだ!②

2020-08-27 23:08:18 | 本・読書

27日連続の真夏日。

例年だと、38℃越えの日は、あっても、ポツリポツリと、30℃以下の日もあるのに、今年は、8月になってから、最高気温が、30℃を下回らない。

猛暑の8月ばく進中ってトコかな。

 

最近は、本(・・・というか、作品)の寿命が短いような気がする。

紙の本が、すぐ絶版になって、電子本しかなかったりする。

10年くらい前に出版された本で、読みたいものがあったので、探してみると、中古市場では、当時の販売価格の2倍で、さらに配送料迄かかるので、1冊の単価が、ベラボーに高額になってしまう。

おまけに、中古市場だと、コンビニや運輸会社受取りできるところが少なくて、郵便局留めにするくらい、配送方法が選べないあたり不便でもあった。

 

電子本が、イヤなのは、目が疲れるし(電磁波?)、いちいち拡大しないと文字が読めないところもあったり(これは、主に漫画で)。

老眼を電子本のせいにする気はないけれど、スマートフォンなんかでは、拡大しているとページがスキップしたりして、イライラする。

漫画電子本は、コマ毎にスクロールできるものもあるけれど、やはり、左右ページの・・・見開き?というものだろうか・・・それが、みられない。

やはり、左右のページのバランスとか、ロングの背景とか・・・紙の本の方がいい。

 

そんな紙の本が淘汰されていくように、売れない順から、絶版になっていくのだろう。

 

本(小説など)に限ったコトではないけれど、音楽・美術・・・といった所謂、芸術というのだろうか・・・優れた作品だからといって、必ずしも売れるわけでないし、逆に、大したことないと思われる作品でも、バカ受けしたり、大ヒットしたり・・・ということも、よくあるハナシで。

努力したから、売れるわけでも、認められるわけでもないし、強力なバックアップや、売り出し手法が、洗練されていて、当然の如く、売れるものもあったりする。

その作品とか、作者に、与えられた一種の運命ってヤツなのかな・・・。

少なくとも、世に出るべくして、出た!という、本当に、掛け値なしによいものに、出会えたときは幸運というべき・・・なんだろうなぁ・・・。

 

それにつけても。販売価格の3倍って、どんなもんだろう。つまらなかったら、大損したような気にもなるし・・・しかし、コレから先、供給が見込めないなら、今買いなのか・・・否か・・・。

 

 


天上紅蓮:渡辺淳一・著

2019-06-27 23:59:34 | 本・読書

深夜になって、雨が本降りに。

気温30℃湿度63%。蒸し暑い。

熱帯低気圧が、四国沖で、台風に昇格したようで、日本近海で、台風になるのは、わりと珍しい・・・とニュースは、伝えていた。

 

久しぶりに、小説を読んだ。

渡辺淳一の『天上紅蓮』。

氏には、珍しい?歴史小説・・・と言っていいのかもしれない。

鳥羽天皇の后・待賢門院璋子の生涯を描いた平安王朝絵巻・・・なのだろう・・・。

渡辺淳一の作品は、初期の頃の『花埋み』、『無影灯』などは、名作だと思う。

『花埋み』は、日本初(医師免許を取得した)女医、『無影灯』は、不治の病に侵された外科医の物語で、どちらもテレビドラマ化された作品だった。

初期の頃は・・・よかった。

いつからか・・・かなり際どいエロの世界の書き手となったようで、『失楽園』あたりから、だろうか?そのへんの変遷は、そのあたりの作品は、未読なので、何とも言い難いのだけれど。


『天上紅蓮』は、養父である白河法皇の愛人として、まさに掌中の珠として育てられ、その権力に守られた待賢門院璋子が、養父である法皇と夫である鳥羽天皇のふたりの間で、栄華を誇る暮らしから、権力者である白河法皇の死後、落日の如く、落ちていく物語なのだけれど、待賢門院璋子のセリフがほとんどなくて、ただいつも身悶えして

『法王さまぁ・・・。』

・・・と言っているだけの・・・小説であった(ような気がする)。

白河法皇と待賢門院璋子の・・・所謂、床の中の描写が、生々しいし、幼い頃から、白河法皇に、性技を仕込まれた待賢門院璋子の夫との閨での描写は、まさにエロス・・・なんだろうなぁ・・・。

まあ、それだけです。

同じ、待賢門院璋子の登場する『宮尾本・平家物語(宮尾登美子・著)』とは、一線を画すもの。

やはり、王朝絵巻とは、かなり離れた・・・天上紅蓮・・・だったように思う。

 

 


北の空・南の空

2019-04-09 23:13:23 | 本・読書

県央の桜(ソメイヨシノ)満開宣言。

咲き始めが3月28日/満開4月9日で、満開から咲き始め迄の期間12日は、最長記録だとか?とニュースは伝えていて、明日は、真冬の寒波襲来。

折角の桜も今日が見納め?かも???

満開後の雨では・・・。

 

寒波の襲来の前ぶれのように、午後から風が強くなってきて、居室窓から北の空を見上げると、鉛色の重たい雲が、地平線を覆っていた。県北は、雪だろうか?

今春最終寒波がやってきて、明日は、真冬の寒さとなるらしい。

 

南側のベランダに出てみると、こちらは、明るい空の色。

同じ時間でも、南と北では、全然違う・・・。

高橋たか子氏の小説の中に

『北の空は、南の空に比べて、青い色が薄い。』

・・・と、いうようなことが書かれていて、そんなこと、何十年も生きていて、気が付かなかったな・・・と思ったのが20歳台で、氏の小説を読んでからだったのだけれど、不思議な小説を書く人で、何冊か読んだけれど、未読のものも、未だに多い。

文字だけで、こんな雰囲気を作り出すのか・・・ということを、教えてくれた作家でもあった。

 

 


読書の秋・・・。

2018-10-18 22:07:24 | 本・読書

午前中は、良く晴れていたのだけれど、午後になって、雲行きが怪しくなってきたような・・・。
明日は、雨になるのかなぁ・・・。

読書の秋・・・なんて言うけれど、秋に限らず、冬は、寒いから、外出は、億劫なんで、自宅で、読書。
夏は、暑いから、やはり外出は、億劫だし、今年の夏は、異常な猛暑で、屋外での運動と不要不急の外出は、控えた方が宜しいらしく、涼しいエアコンのお部屋で、読書。
春は、なんだか、眠くて仕方がないので、寝てばかりで、読書が出来ず・・・ってことで、読書をするのに不適切な季節は、春なのかもしれません。

・・・で、今は、読書の秋。

読書に限らず、食欲だの芸術だの味覚(食欲と一緒か)だのスポーツだのと・・・秋は、行動することが多い季節なのかも?

最近の運動会は、春に催行する学校も増えたけれど、我が居住地の学校は、9月中旬頃から10月の始めってところが、多いようで、朝の6時頃から、花火が上がって、運動会ですよ~~~!パンパンパパン!と朝から喧しいことこのうえないのは、何故でしょう?
電話やEメール、SNS、Line と文明の利器がそろってんだから、花火上げる必要があるのかねぇ・・・戦国時代の狼煙じゃあるまいし・・・。
単なる慣例のような気もしないではないし、我が家が、学校と至近距離に建っているので、勤め人をやっていた頃は、至福の土曜日の早朝に、カンベンしてくれよ・・・と・・・毎年思っておりました。


・・・で、閑話休題(話は、モトに戻る)。

会社員をやっていた頃は、少なくても、日々一時間くらいは、読書時間に充てていた・・・充てていたというより、寝る前に本を読まないと眠気が来なかったし、その1時間のために、日々10時間くらい(通勤時間とかも含めると)働いていたようなところもあったのだけれど、会社員をやめてからは、全く、本を読まなくなってしまいました・・・ということは、この拙なブログに書きました。

春に限らず、やたら眠くて、本を読み始めても、2,3ページも読むと、寝落ち・・・というパターンだとよいのだけれど、その寝落ちも30分と続かず、すぐに、目が覚めてしまい、また本など読んでみても・・・眠くなり・・・そして、睡眠が長く続かない・・・という一種の睡眠障害みたいなものになり、現在に至っております。

何をやっても続かないし、目も悪くなってきて、もう読書はいいや・・・と思っていても、手許不如意の中から、わずかな本代を捻出して、本を買っても・・・結局、最後迄、読むに至らず・・・なのでした。

昔は、何のために、本を読んでいたのだろう・・・と思います。
本当に楽しかった・・・ということあったかもしれませんが、日常を忘れるために、自分以外の世界に居たかったのかもしれません。

演劇なんかもそんな感じで、月に一度か二度の土曜日に、都内迄、出向き、外食をして、そのあと観劇する・・・なんてことを、半ば、義務のように繰り返していたような気がします。
その証拠に、印象に残ったもの以外、覚えていない・・・観た記憶はあるけれど、どんな内容だったかなぁ・・・?

それでも。やはり、本を買ってしまったり、舞台中継が、映画館で、上映されたりすると・・・出かけてしまいます。

読書と芸術の秋だしな・・・。