晴天。北風の強い週明け。
昨日から一転、寒い月曜日。
母の三回忌が近づくにつれて、母の逝った日のことを思い出す。
普段から、身体の不調は、毎日、毎日告げられていて、
『ああ、今日もか・・・。』
と半ば、うんざりしながら、そして、病院へ行きたいと言えば、連れて行って、結果は、大抵、
『大事なし』
ってことだったので、亡くなる前日か、その前に、
『本当に、今回は、もうダメのような気がして・・・』
の母の言葉に、
・・・そうは言っても、まだ歩けるし、大丈夫だろう・・・
とカタを括っていた感があった。
話は変わるけれど、昭和時代のテレビは、うつりが悪くなると、あちこち叩いたり、蹴っ飛ばしたり?すると、不思議と以前の状態を保つようになって、それが頻繁に起こりながら、徐々に、壊れていく・・・という壊れ方だったような気がする。
ラジオしかり、炬燵叱り、電気ストーブしかり・・・。
中の配線の接触とかの関係だったりしたのだろうか・・・。
最近の家電は、壊れる前の前兆というのが、あまりなくて、いきなり、止まってしまったりする。
そして、手の施しようがなくて、ご臨終。買替を余儀なくされるようだ。
毀れる前の前兆・・・。
私の母は、その前兆が、若い頃から続いていて、本当のご臨終は、あっという間だった。
昭和家電的に生きて、令和?のデジタル家電の如く・・・亡くなった・・・そんな印象がある。
病院や介護施設に行くわけでもなく、入院加療期間があったわけでもなくて、眠って、起きて・・・そして、死んだ。
もうスイッチを押しても、電源すら入らなくなったように。
本人は、死んだことを理解?していたのだろうか。
・・・ただひたすらに、死を怖がっていて、苦しみから解除されたいと願っていたから、理想的な死に方だったのかもしれないとは、思うけれど。
或る意味、デジタルな家電死・・・というか。
2000年代に入る前だったか、私は、CDプレイヤーを買って、これから、毎日、音楽を聴こうと思った。
しかし、そのCDプレイヤーは、2,3カ月で、パタリ・・・と動かなくなってしまった。
CDの回転が、遅くなるとか・・・再生できない・・・といった不調の予兆が全くなく、或る日、突然、しかも数か月で、壊れてしまったのには、驚いた。
たぶん、保証期間だったと思うけれど、何故か、とてつもなく絶望して、そして、その時期は、会社では、嵐の時代で、修理保証の検討をしている間もなく、異動だったり、組織替えとかあったりで、死ぬ思いだった。
そんな思いが、CDプレイヤーを此の世から、抹殺してしまったのかも・・・とか・・・(あり得ないですね~~~)