くもりがち。
気温は上がってきてはいるものの、それでもなんとなく寒い日曜日。
亡くなった人の命日には、月命日があるし、同じ命日でも、祥月命日は、一、三、七回忌ということらしい。
命日ではないけれど、母が亡くなったのは、日曜日の早朝で、毎週ではないけれど、今日は、朝の5時に目が覚めて・・・この時間帯には、まだ母は生存していて、寝床から起きて、茶の間の炬燵と灯油ストーブを付けて、やれやれ・・・寒い・・・と言いながら、炬燵に潜り込んで、ほっとして、そして、うとうとしはじめて、そのまま、意識が戻ることなく、亡くなった・・・ので、やはり日曜日の早朝には、特別な思い入れがあって、午前6時に母の意識がなくなって、炬燵の中に居る姿を見てから、病院へ搬送されて、蘇生処置を終えたのが、午前8時29分迄の間のたった2時間半の間が、ものすごく長く感じられて、頭の中では、どうしよう!どうしよう!!どうしよう!!!ばかり駆け巡っていて、母が家に戻って来る迄、やはり長くて、長くて・・・なんてことを思い出してしまう。
今は、実家から少し離れたところで、本当にひとりぼっちになって、暮らしているけれど、あのときは、今の自分を想像することもできなかった。
母の意識がなくなったまま、炬燵に足を入れながら、うつむいていた姿を見たとき、茶の間は、とても暖かくなっていて、テレビもついていて、母が動かなくなったこと以外、何も変わっていなかった。
並外れた寒がりの母は、灯油ストーブ、炬燵、電気座布団のフルコンボの暖房器具のうえに、更に、電気ひざかけ(これは、肩を覆っていた)迄、使っていて、灯油ストーブの上の薬缶から、白い湯気が上がっていた。いつものように、薬缶でお湯をかわし、御茶を入れるつもりだったんだろう。
日曜日の早朝は、今でも、特別な思いがするし、特に、母の逝った3月の寒い朝は、今日の気温と同じく、氷点下迄下がっている朝は、ひとしおで、いつもは、グズグズと布団の中で、すごしているけれど、今日は、仏壇に御線香を上げて、御リンを鳴らして、母は、私が、ここに居ることを知っていてくれているのかな?実家に居ないんで、探しているかも・・・とか、ちょっと感傷的になってしまったりするのだった。