弥生の始まり。3月になって、春に変わった。
季節が進み、また寒の戻り、そしてまた春に向かって。
早朝に洗濯を始めた。
脱水完了を告げる電子音。フタをあけたら・・・地獄???の光景。
フリースのジャケットに入れおいたティッシュペーパーが溶けて、洗い終わったばかりの洗濯物に付着。
浴室で、振り落としたけれども、フリースについた紙の繊維は、全然落ちない。もう一度すすぎ洗いをして、干してみる。
洗面所の床は、細かい紙の繊維。昨日、床を拭いたばかりなのに・・・。
仕方がないなぁ・・・。
でも、これが寒い日だったら、更に気分は落ち込んでいただろうし。暖かいというのは、ある意味、有難い事だと思ったりもしてみる。
午前中は、本を読む。暖かいので、途中で、ウトウト眠たくなって、午後になっても本を読む・・・。
本と言っても、漫画本である。
電子書籍は、全体を見るには小さすぎるし、タテ読みは、コマ読みなんで、ページのバランス無視なので、ちょっとつまらないかも・・・。
最近は、ライトノベルの原作で、漫画化するという分業制のようで、画力のある漫画家さんなら、引手あまたなのかな?
不慮の死を遂げ、異世界転生とか、呪いや妖怪?などのオカルト的なもの、大陸の宮廷ものとか、或いは、その流行モノをベースに違う要素を付け加えるとか・・・(例えば、呪術巡戦的なものプラス大正浪漫の『わたしの幸せな結婚』とか、そのの二番煎じかと思われるような実家で虐げられてそこから救い出してくれる婚約者とか、さらにそれに吸血鬼の要素を足して・・・とか、それなりにアレンジして進化?しているようなのだけれど、ある程度の時代考証とかが基本がしっかりしていないと、ゴチャゴチャして、収集がつかなくなるというか、伏線回収が難しくなって、結局、駄作だったな・・・とか)同じような内容が手を変え、品を変え・・・。
その中でも、面白いものもあるけれど、所謂、売れればいい・・・みたいな風潮で、才能の無駄遣いのような気がしている。
昔(私が子供の頃・・・つまり昭和終わり頃)は、漫画は、低俗扱いだったから、
『漫画ばかり読んでいないで、少しは、本を読むなり、勉強するなり・・・』という小言が飛び交う認識だったけれど、いつのまにか、巨大産業に変化し、映画も原作も、ほぼ漫画(或いはそれがアニメ化)というようし、市場が様変わりしてきた。漫画が文化のひとつとして認められた。
活字からは、ちょっと連想とか想像できないトリックだとか、ディティールなんかを視覚化してくれるアニメーションなどは、気づきがあったりして面白い。
同じ二次元でも、動きのない漫画と、動画で色でつきな視覚とでは、やはり情報量が違う。
なんのかんの・・・といっても、やはり昔と違って、情報消費が半端ない現代だから、脳が、(必要としていない)情報を貪り喰いたがるので、始末におけない。
挙句の果て、脳疲労を起こして、それが体調不良となってくる。
アタマ疲れてんのね・・・時々、すべてを断ち切って、静寂な世界で、ひっそりとしてみたい気もする。