大寒・・・とは、思えぬ明け方の気温3度。
氷点下ではない朝が続く。
例年だと、氷点下5度以下・・・なんて朝が続くのが普通なのだけれども。
やはり、今年は暖冬なのかも。
・・・もっとも、日中は、みぞれまじりの雨で、気温は、7度止まり。陽も差さないので、やはり寒い・・・。
今を去ること・・・20と数年前。
これは、毎年、この大寒の時期になると書いてしまうのだけれど、氷雨降る日の面通し(派遣の面接)だった。
本当に、寒い日で、寒さと相まって、勤務先が決まるか、否か・・・不安の中に居た大寒であった。
知っている人が誰一人居らず、女性の派遣は、若いひとばかりで、心許なく、超絶な不安の中に居たのだった。
派遣された場所も、工場内の一角の事務所で、老朽化していて、お手洗いも古くて、二つ並ぶ個室のドアの隙間が数ミリ空いていて、ちょっと困った。
お手洗いの入口ドア付近に、つっぱり棒が渡してあって、知らずにお手洗いに入るドアを開けると、レジ袋(市内の菓子メーカーが不ぞろいや型崩れした煎餅やらチョコレート、クッキーなんかを廉価で売りに来て、昼休みに食堂で、買ってきて、各自このつっぱり棒に下げていていた)が頭に当たる。
しかも・・・トイレと更衣室を兼ねていて、個人ロッカーも併設(・・・気分の問題かもしれないが、そこにお弁当など置いておくって、なんだか、物凄くイヤだったので、私が個人ロッカーを使ったコトはなかったし、新人が入ってきたら、いつの間にか、私のロッカーではなくなくなっていたあたり、人権???問題だよな・・・一言、断ってくれればいいのに・・・と不快だった。まあ、派遣なんで、文句も言えなかったんだけれど・・・)。
一日目から、気が滅入ったけれど、その前に3週間くらい派遣されていたメーカーの1/4くらいの通勤時間だったし、月末月初以外は、残業も殆どなかったんで、続けられるなら続けてみて、ダメだったら辞めようと思っていた。
・・・なんてことは、以前のこの拙なブログにも書いていてたぶん重複していると思うのだけれども。
若い派遣のお姉さんたちに馴染むこともないまま、淡々と冬の寒さをやり過ごしていて、その年の春分の日に、桜の開花があった。
随分と早い開花で、暖かくなって来て、嬉しかったのは、それだけだった。
大寒の日に始まった新しい派遣場所に、12年半留まり・・・。
その間に、猫は居なくなり、それから母も亡くなり・・・ほんとうにひとりぼっちになってしまったな・・・などと思う大寒らしかぬ最低気温、大寒と言えば大寒らしい日中の気温の中・・・やはり印象に残る大寒の日のことを思い出した令和六(2024年)の大寒の土曜日。