終日、どんよりした曇りがちの夏日。
針槐(ニセアカシア)の香り風に乗って。
初夏ですかね・・。
そして夏日なれども・・・。
早朝から、脚の冷えを感じて、痺れを伴う。明け方は、寒かったのだろうか・・・若しくは、風邪の前ぶれかも・・・などと思ったり。
朝方、母の夢を見た。なんだか、普通の母だったけれど、目が覚めて、母の不在に、愕然とする・・・。
外気温は、暑いのに、何故か、暑さを感じぬ日で。
もともと暑いのは、ダメなので、コレから夏が来るのかを思うと、はや、うんざりする。
2,3日前、居室窓付近に、あの・・・忌まわしき羽音。
窓の外をみると・・・オオスズメバチ女王?と思われる個体の単独飛行か・・・。
今年も、3月は温かったし、もしかしたら、早くもワーカー(ハタラキバチ)の発生か・・・。
明日は、母の日・・・ということで、昨日訪れたショッピング・モール内でも、いろいろなところにカーネーションの花束、鉢植え、ギフト用品として、並んでいた。
我が母は、もう此の世には、おらぬのだし、もともと、今生きている人の方が大事と言っていたから、仏間に花など・・・と笑うかもしれぬが・・・。
ちょっと珍しい?色のカーネーションが、売られていたので、3輪ばかり買ってきた。
数千円だして、立派な花束にして貰えばヨカッタのかもしれないが・・・まあ、気はこころ・・・というし。
おかあさんが、現存?するひとは、赤いカーネーション。
おかあさんが、あの世のひとならば、白いカーネーション・・・とか、子供の頃に聞いて、白いカーネーションは、悲しいな、赤でよかったと思ったこともあったけれど、実際、白いカーネーションを贈る?身となった訳で。
去年の今頃(またこの反芻思考になってしまうんだけれど)は、思いもつかなかった・・・というのは、嘘で、毎日、毎日、夜になると、明日の朝迄、生きているかどうか、不安で、不安で、夜中に、母の寝室を覗いて、イビキをかいていれば、ソレで安心し、寝息が聞こえないときは、至近距離迄行って、生存確認などしていた。
考えてみれば、母の死は、いつも身近だったのだけれど、最後は、入院になるのだろうと勝手に思っていて、まさか、自宅で、眠るように逝ってしまうとは、思わなかった。
15年近く家に居ついた三毛猫も、たぶん、廊下の真ん中で、バッタリ倒れて冷たくなった姿を、私が見つけて、ギャン泣きするだろうと・・・予測して、ひとり悲しみのシュミレーションなどしてたけれど、三毛猫は、3月の寒い朝、外に出たそうだったので、縁側の戸をあけてあげた。
出社して、帰宅しても三毛猫の姿はなくて、そのまま、見つからない・・・という、なんとも、諦めのつかない最後だった。
母はよく三毛猫に
『みーちゃん(三毛猫)とワタシと、どっちが長生きするか競争だね。』
と言っていた。
三毛猫よりも、16年近く長生きして、同じ三月に、逝ってしまった。