鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

朋有り遠方より来る 亦楽しからずや

2024-12-13 23:08:06 | 雷都日記

どんよりとした雲に覆われて、まだ十二月だというのに、酷寒。

日中の最高気温6度。冷蔵庫の中にいるようで・・・。

 

昨日(12月12日)。

小学生の時からの友達と郊外の茶寮でランチ。

まだ紅い楓が数本、日本庭園の中に残っていた。

ランチのあと、拙宅迄、来てもらった。

もっと早くに、転居先に来訪願いたかったけれど、拙宅隣家の新築工事が始まったり、彼女は彼女で父上の介護で、なかなか日程が合わず、とうとう年末になってしまった。

彼女の父上は、市内の小学校に定年迄勤め、最後は校長職にいて、母上は、専業主婦で、恵まれた家庭だと思っていたけれど、私の思い描く幸福な家庭とはちょっと違っていたようだった。

三人娘を独立させ、現在は、ご主人と猫5匹。

母上は、3年前に他界。週に何度か、同市内の実家へ父上の介護(通院等)で、忙しいようだ。

一時期は、賀状のみの付き合いとなっていた。

10年前に、現在私が住む雷都から、旧居住地に戻ってきて、お互いの家が、車で、5分程度距離だったけれど、このときも、なかなか会えずにいた(・・・というより、会うのがたぶんお互い面倒だったのかも?)

そして、今度は、私が雷都へ移転することになって、去年から、ちょいちょい会ってはいたけれど、今年は、そんなこんなの事情で、昨日、会うことにしたのであった。

私は、この数年で、すっかり、老けてしまったのに、彼女はあまり変わっていなかった。

なにか不思議?な達観のあるひとで、よい家のお嬢さんなのに、私のような貧の育ちのモノなのに、気が合う(勝手にそう思っているだけかもしれないけれど)。

お互い、あと何年生きるかわからないけれど、せめて残された年月は、楽しく暮らしたいものよ・・・で、ハナシは終わったのだった・・・。

 

朋有り遠方より来る 亦楽しからずや・・・(論語)

ともあり遠方よりきたる またたのしからずや。

 

 


映画:Docter-X FINAL

2024-12-10 22:37:35 | 演劇・映画

氷点下の朝。冬日続く・・・。

 

昨日(12月9日)、朝イチの上映で、『Docter-X』を鑑賞。

月曜日の早朝なのに、上映室の半分くらいは埋まっていて、お客さんの平均年齢は、結構、高い・・・というか、若年層があまりいないというか(若者は、労働している時間だね・・・普通は・・・)。

テレビドラマのシリーズモノで、10年以上は続いて、そのファイナル?というタイトルの映画。

主演の米倉涼子は、もう主人公の大門未知子を演じることがないのかな・・・と思ってみていたのだけれど、どうも、続きがありそうな終わり方で、これは、米倉の今後の気分?次第・・・というか、そのために、あんな終わり方なのかも・・・。

考えてみれば・・・。過去に、勤め人をしていた頃、毎週木曜日の21時に録画した『Docter-X』を、翌日の金曜日の夜に、まったり、好きなものを食べながらの録画鑑賞の時間が、何より楽しみだった。

木曜日なんて、あと1日頑張れば、その翌日は休みで、所謂プレ・花金(←今時、使うのだろうか・・・ハナキンなんて・・・)。普通の月曜日から金曜日迄、お勤めのひとには、解放?の時を待つ、一番、のびのびした気分の日なんじゃないだろうか・・・。

『私、失敗しないので・・・!』の決め台詞で、難易度の高い手術を嬉々としてこなすフリーランス外科医の大門未知子。

手術は驚異的なのに、オカネの勘定には全く無頓着で、師匠の神原昌のマネージメントで、医科大学病院の権威だけ組織に歯向かっていく姿は、小気味よい爽快感。

美人でスタイルが良くブランドモノで身を包み、10センチ以上はあるかと思われるピンヒールで、病院内を闊歩するのに、色めいたハナシはひとつもない・・・そのあたり・・・ベタベタした恋愛感情が皆無で、安心してみていられるあたり、ある種貴重なドラマだったと思う。

映画ファイナルの敵は、どこぞの大学の成田何某准教授氏がモデルなのだろうか・・・流石に、おでん眼鏡ではなくて、六角形?だったけれど、兄と弟の二役を演じる染谷翔太。このひとも、不思議な俳優で、相変わらず目が嗤っていないというか・・・(濱田岳のような種類の俳優なのかも?外見も似ているし・・・)。

(当然なのだろうけれど)医療も金額によって格差が生じる現代で、『医は仁術』なんてのは、もう遠い過去のハナシなのだけれど、大門未知子と師匠の神原昌の『失敗していい手術なんてない』というのも、もはや幻想の世界だと思う。

安全性も不確かなナントカワクチンを推奨するおカネだけで動く医師が殆ど・・・。

ドラマの中だけでも、勧善懲悪、患者のために働く医師の姿をみたい・・・なんてことを思ってしまった。

また続きがあるとよいのだけれど・・・。

 


はつゆきのたより

2024-12-08 21:28:36 | 自然・気象

氷点下の朝。

時折、陽が翳り、冬色の雲が通過していく寒い日曜日。

昨夕、購入した本が届いたので、郵便受けに取りに玄関脇まで、出たときに、パラパラと小雨。

あらら・・・時雨かな・・・と思った。

今日のニュースで、昨日7日は、市内は、初雪とのことで、去年より9日早く、平年より、11日早いと伝えていた。

積もることない雪で、パラパラと風花くらいな感じだったのかも?

 

市内の初雪。

 

急激に冷え込んできて、いよいよ冬本番。

暫くは、真冬の寒さが、続く予報。

 

昨夜は、コアントロー・ジンソーダ(アルコール5%)を夕食時に飲んだら、てきめんに眠くなって、うとうとしてしまった。

いつもは脚、足先が冷えて、なかなか眠れないのだけれど、アルコールのチカラを借りて、身体は、ほかほか。足もあたたくて、寝具のなかにいつも入れている湯たんぽなども全く必要がなかった。

ほかほか・・・ぽかぽか・・・なんて暖かいのだろう・・・。

まさに極楽・・・であった。

直発熱ってすごいわね。

アルコールは、早朝には消えた?ようで、氷点下の朝、湯たんぽにお湯を注いで、再びの極楽?

ほかほか、ほかほか・・・。

 

↓(12月5日・中央公園のかるがも)

 

腰折れにて、ひとつ・・・。

水鳥と水面に浮かぶ綾紅葉 龍田の姫の置土産

 

 


映画:本を綴る

2024-12-06 22:05:37 | 演劇・映画

良く晴れて強風。暖かったこれまでから、季節が一気に冬へ向かう前触れ・・・かも???

 

昨日(12月5日)。

上映最終日の映画『本を綴る』を鑑賞。

TOHO,松竹のシネコンでは、上映がなくて、私鉄駅前の昭和レトロ映画館が、昨日迄だったので、滑り込み。

廃村を舞台にした小説で、文学賞を獲得したものの、その影響が、悪い意味で、廃村の住民を傷つけることにことになってしまい、それ以来、小説が書けなくなってしまった小説家・一ノ関哲弘(矢柴俊博)は、本のコラムや新書紹介、図書館、書店の企画・イベントなどで、旅を続けていた。

図書館の企画で、那須塩原市を訪れた小説家は、書店兼古書店で、古書の間に一通の恋文を発見する。宛名の主を探すため、京都へ出向く。それが縁で、廃業する書店の救済に奔走することになる・・・。

小説が書けなくなっても、自分を育んでくれた本達を慈しむ小説家役の矢柴俊博の優しさ、暖かさが伝わってくる静謐で穏やかな珠玉の作品。

 

書店廃業の続くなか、拙居住地の雷都でも、北関東一の広さを誇る書店が、秋に廃業した。

こちらにきて、一度は訪れてみたかった書店だったけれど、毎日、閑なのに、ついぞ訪れることなく、廃業の日が来てしまった。

まだ・・・インターネットが普及していない頃・・・。私は、週末などの会社帰りに、書店によるのが楽しみだった。新聞に新書出版の広告が出ると、買い求めに行った。

それより・・・更に昔・・・。書店にない本は、調べてもらって、お取り寄せで、手元に届くまで、早くて10日、遅ければ1か月くらいは、ゆうにかかっていた時代に比べたら・・・。

パソコンでネット書店を調べて、購入、早ければ、翌日か翌々日には、自宅のポストに届いている現在。

そして、間髪を入れず、スマートフォンやタブレットで、電子本の読める時代になって、所謂『街の本屋さん』の存在意義は薄れる一方。

(以前にも書いたけれど、私は、電子書籍が嫌いで、発行部数が激減しているけれど、紙の本が好きだ。いつのまにか、書籍は『紙』ではなくなって、薄っぺらいデジタル本に取って変わられた。電子本は、つまらない。本を読んでいる気がしない。私が、前世紀の人間になりつつあるんだろうな・・・と常々思っている。私が死ぬまでに、紙の本は、淘汰されてしまうのだろうか?)

それでも、私は、本を読む。

老眼が進んでも、それでも・・・私は・・・本を読みつづけたい。

 


月と金星のランデブー

2024-12-05 22:54:58 | 自然・気象

十二月とは、思えないような暖かく、穏やかな一日。

冬の気配が全くない。

それでも、16時半には、日没。

南西の空に、沈みゆくクレセントムーン。

三日月の同伴者は、宵の明星・金星。

2つ仲良く並んで、オレンジ色の仄かに残る地平線に浮かぶ。

夕空と宵空のはざま。

 


貸金庫

2024-12-03 21:57:52 | 社会・経済

穏やかな春のような日差しの初冬続く・・・。

 

母が亡くなったとき、僅かだけれど遺産があって、私は、それを預かっていて、某・地銀の貸金庫を契約して、相続完了迄、母の通帳、土地権利書、登記簿、印鑑などを、貸金庫に入庫していた。

期間にして1年くらいだったけれども。

貸金庫を使う程、大した遺産でもないのだけれど、母が常々、自分の息子(私にとっては愚弟)には、注意してと言っていた。

ズル賢くて、嘘つき・・・というのが、母が下した息子への評価だった。

この『ズル賢い』というのは、とにかく口先三寸で、母を騙し、金銭を引き出し、何かして失敗すると母にシリ拭いさせていた。

賢さとズル賢さは、ちょっと違うのか、すぐバレる嘘をつく(そのあたり、賢さとは別のモノだった)。

自分自身と嫁と二人の娘の生活費(主に光熱費)、さらに国民健康保険料などは、母が全額負担していた。

その息子に、母自身の死後、母の残した僅かな財産を全額使われてしまうのを阻止するために、私に預金通帳と土地の権利書・登記簿・印鑑を預けた。

 

その貸金庫は、A3サイズ、高さ10cmくらいの抽斗のような感じで、銀行の窓口に行って、貸金庫の中身を取り出したいと旨の伝票に印鑑を押して、その都度、個室で箱をあけるだけれど、鍵は、銀行と顧客で、1個つづ保有し、ふたつの鍵がないと開閉できない・・・という説明があった。

年間で、11000円の賃貸料金だった。

某・三菱UFJ銀行の貸金庫から、推定10億円の顧客の資産が抜き取られ、和久井映見似の女性行員の犯行だとか・・・違うとか・・・???三菱UFJ銀行側で、被害届を提出していないようなので、その女性行員は、逮捕されないらしい。

そして、『報道しない自由』とかで、どのテレビ局も一切、報道していない。テレビ局、新聞社の上得意様の三菱UFJ銀行だもんな・・・。顧客の不利益にならないよう忖度するらしい。

財閥系の銀行さんで、一般国民は、お客じゃない・・・というスタンスの銀行だね。大口預金者以外、およびじゃないからね・・・という態度が顕わな銀行だと聞く。

本当は、銀行の所有する鍵だけでも、開閉が可能で、何処の銀行でも、貸金庫からの窃盗は普通の事らしい。

基本、貸金庫には、お札(現金)は、入庫できない?と認識していたけれど、金塊などの貴金属、宝飾品、株券、高級腕時計、美術品、絵画、鍵・・・そんなものを入庫しているのだろうか・・・(他に思い浮かばない)。

マスターキーの他に、イザってときのために、ちゃんと銀行側だけで解錠できるようなシステムだから、たぶん、何処の銀行でも、同じように、貸金庫からの窃盗は行われているんだろうな。

そして、件の貸金庫内の物品窃盗の女子行員単独では、無しえないから、たぶん、彼女のウエの人も了解済みなんだろう。

銀行も信用できなくなって、司法も地に落ちたし、被害届をださないのでは、警察だって捜査できないし・・・って、どんだけ、都合良く出来てんのかね?

まあ、貸金庫なんて、資産家の老人くらいしか使わないだろうから、その方たちが、お亡くなりになれば、お預かり資産は、銀行さんのものになるし、税金もかからないのだから、銀行丸儲けって、ハナシで・・・。

正義なんて、たぶん、もうこの国には、存在しないんだろうなぁ・・・。

もし因果応報があるとしたら、どんな応報があるんだろう・・・窃盗って・・・???

 

 


映画:アングリースクワッド~公務員と7人の詐欺師

2024-12-02 21:22:02 | 演劇・映画

暖かい週明け。

 

一昨日(11月30日)。

朝イチ上映の『アングリースクワッド公務員と7人の詐欺師』を鑑賞。

定年迄、無事にやりすごしたい超真面目な税務署員の熊沢。

職場でも家庭でも、我慢、我慢の日々。

熊沢は、本店(国税局)栄転の決まっているハネッ反りの部下の望月の暴走で、脱税王・橘と税務署長に屈辱を味合わされても、ひたすら我慢の毎日であったが、親友の自殺の原因を作った橘が、親友の名前さえ憶えていないことを知り激怒する。

刑期を終えて出所したてのマコトは、熊沢を巻き込み、脱税王・橘から、脱税分の10億を含め、14億円を騙し取ろうと6人の仲間とともに、作戦行動を開始する。

裏の裏の裏?迄のハラの探り合い。

演技派俳優の内野聖陽は、流石の演技力。ことなかれで済ませようとするクソ真面目な税務職員(一瞬、森本レオかと・・・?)から、高級会員制クラブで、ビリヤードに興じるカネ廻りのよい紳士役迄、きっちりと演じ分ける。大人しい人間のアングリー(怒り)を、顔の表情筋で、表現するあたりは、凄い。

爽やか(過去に訳あり?)イケメンの天才詐欺師役は、今、旬といえる岡田将生。

このふたりのタッグが絶妙。

 

裁判所さえも、権力に飲み込まれ、正義もヘッタクレもなくなった汚職大国の日本。

ケチケチと庶民から詐欺するのではなくて、儲かっている政治家や脱税している上級国民から、搾り取ってやれ・・・なんて思いながら、見ていたんだけれど。

勧善懲悪なんて機能しなくなった世の中だしな。

せめて映画で、憂さ晴らしするくらいかも・・・一般国民は・・・(一般庶民と書くのだろうけれど、私は、『庶民』という言葉が嫌い・・・って言っていた森茉莉のマネをして、一般国民にしてみた)。

 

 


師走(2024)

2024-12-01 21:12:01 | Weblog

風もなく、穏やかな初冬の日曜日。

朝方、猫の夢をみた。

夜間パトロールから帰還した三毛猫は、身体にたくさんの小花をつけていた。ラヴェンダーのような青紫色の花で、よい香りがした。猫は、疲れたのか、布団の中に潜り混んで眠ってる。よくよくみると足が、泥だらけ。寝具洗わないと・・・。そんな夢。

 

師走の始まり。

今年も残すところあと1か月を切った。

 

この時期は、夕暮れ時の地平線に富士山のシルエットの出現が目視で確認できる。

↓ 夕暮れの車窓から、ほんの小さな富士山。

 

 

もう四半世紀前になるけれど、姪達が生まれたが師走で、産院にお見舞いに行った帰りに、夕景富士を始めてみた。

北関東からも見えるんだ・・・!

2000年問題の時期で、グレゴリオ暦の関係?で、コンピュータが、一斉に誤作動する・・・ってハナシだったんだけれど・・・なんということもなく?終焉したような記憶で。

そのころは、某F通という企業の請負の仕事をしていた時期でもあって、その年の師走に、地元から富士山をみたのが印象に残っている。

清少納言は、『夕暮れ』が一番美しいのは、『秋』と書いていたけれど、私は、冬の夕暮れの方が、鮮烈な感じがしている。もっとも、現在のグレゴリオ暦と違って、太陰暦だっただろうから、彼女のいう秋は、8月か9月頃?の名月の頃の事だろうし(違うかも?)、最近では、12月になっても紅葉していて、季節の進みが遅いから、さらに感覚的にズレるんかな・・・とか。

とか・・・考えていると、赤ちゃんだった姪が、もう25歳か・・・私自身も歳をとるハズだな・・・。

富士山は、一度だけ、母と登ったことがある・・・もちろん、徒歩ではなくて、バスで所謂5合目迄。

遠くからみるのとは違って、樹林帯を抜けると、岩がゴロゴロしていて、遠目からみるその姿とは、かなり違うことを知った。

山の稜線は、平地からみると美しいけれど。

そう・・・美しいものは、平地からでも充分堪能できるし、可視できるものでも、観察位置や時間、様々な条件下で、眺めるとまるで違ったもののように見えるのは、なにも山だけではないと知るし、人間などは、見かけだけでは、全然わからないものの最たるものなんだろうなぁ・・・と相変わらず、バカなことを考えている。