4月28日(金)
今日は、大阪・岸和田市の会館で、小篠綾子さんの「お別れ会」が開かれた.
ご逝去は、3月、享年94歳だった。
主催は、コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ3姉妹。真四角の白封筒で届いた案内状には、三姉妹連名で品良くご案内の内容がしるされてあったのだが。
スケジュール表には、「27日午後、岸和田行き」と書いてはあったのだが。
「実は私こと、いま、福岡から大阪に向かう車中である。
山陽自動車道から中国自動車道を走り続け、やっと大阪の近くまでにたどり着いたところだ。
次男の岳父、つまりうちのかあさんの父上が亡くなられたとの報せを受け、取る物取りあえず車に飛び乗った次第で…。それが午後2時のことだったから、以来8時間あまりをぶっ続けで、車中の人なのです。
いや、乗ってる私より、運転する息子の方は大変、大変…
◆
まことに私事ながら、小篠綾子さんには、数々の恩義がある。
このブログの2月号にも書いたことがあるけれど、小篠ママはつねに、後に続く働く女性を温かく厳しく励ましてくださった。
綾子ママ、小篠ママと呼ぶのは私だけで、誰もが「おかあちゃん」と親しく呼びかけ、
ご本人もそれを喜んでおられた。
あるとき、何のつどいであったか、「…ママって呼ばれるの、好きやないないわ。イヤやねん」とおっしゃった。
「おかあちゃんが、ええわ」とも。
「え? だって、ママは岸和田が生んだ世界最年長の現役デザイナーなんですよ。世界共通語の”ママ”の呼び名がふさわしいと思いますよ。私、世界中にママのことを伝えたい~」。
「…だから、小篠のママはやっぱり、ママ!」
私が言ったら、小篠ママは「しょうがないなぁ」と言った風情で笑っておられた。
世界最年長の現役デザイナー、小篠ママ!
世界的デザイナー三姉妹を育てた、綾子ママ!
さようなら、そして私は、たくさんたくさんのありがとうを!!!
今日は、大阪・岸和田市の会館で、小篠綾子さんの「お別れ会」が開かれた.
ご逝去は、3月、享年94歳だった。
主催は、コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ3姉妹。真四角の白封筒で届いた案内状には、三姉妹連名で品良くご案内の内容がしるされてあったのだが。
スケジュール表には、「27日午後、岸和田行き」と書いてはあったのだが。
「実は私こと、いま、福岡から大阪に向かう車中である。
山陽自動車道から中国自動車道を走り続け、やっと大阪の近くまでにたどり着いたところだ。
次男の岳父、つまりうちのかあさんの父上が亡くなられたとの報せを受け、取る物取りあえず車に飛び乗った次第で…。それが午後2時のことだったから、以来8時間あまりをぶっ続けで、車中の人なのです。
いや、乗ってる私より、運転する息子の方は大変、大変…
◆
まことに私事ながら、小篠綾子さんには、数々の恩義がある。
このブログの2月号にも書いたことがあるけれど、小篠ママはつねに、後に続く働く女性を温かく厳しく励ましてくださった。
綾子ママ、小篠ママと呼ぶのは私だけで、誰もが「おかあちゃん」と親しく呼びかけ、
ご本人もそれを喜んでおられた。
あるとき、何のつどいであったか、「…ママって呼ばれるの、好きやないないわ。イヤやねん」とおっしゃった。
「おかあちゃんが、ええわ」とも。
「え? だって、ママは岸和田が生んだ世界最年長の現役デザイナーなんですよ。世界共通語の”ママ”の呼び名がふさわしいと思いますよ。私、世界中にママのことを伝えたい~」。
「…だから、小篠のママはやっぱり、ママ!」
私が言ったら、小篠ママは「しょうがないなぁ」と言った風情で笑っておられた。
世界最年長の現役デザイナー、小篠ママ!
世界的デザイナー三姉妹を育てた、綾子ママ!
さようなら、そして私は、たくさんたくさんのありがとうを!!!
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