2月日21日(火) 晴
妙子ねえさんが逝って5年が過ぎた。
亡姉は81年の生涯に、多くの恋人を持ったけれど、一度も結婚することなく一生を終えた。
大阪薬大を卒業してすぐに、壮年の父が薬局を建てて贈り「森薬局」の女あるじとして社会生活に乗り出した。
薬の安売りを始めた大阪・千林のダイエーの出現で、薬局は薬屋さんになり調剤室に立つことも少なくなった亡姉は、「私は薬の売り子をするために薬剤師になったんじゃない!」と啖呵を切って、県立四日市高校の化学の教諭になった。
大人になる前の多感な高校生に、全人生を懸けて教育したようだ。
良く出来る生徒さん、見どころのある生徒さん、可愛い子…、姉が目をかけた優秀な生徒さん方は素直に伸びていかれ、亡姉の自慢のタネになった。
地元・松阪の開業医・とみだ整形外科の冨田良弘先生、川口整骨院の川口博也院長ほか、宮崎先生ら多くの小、中、高校の先生がた。
東京で活躍しておられるコラムニストの石原壮一郎さん、京都大学教授の宗林由樹さん…
なぜか好きになれなかったこの姉の、最後の最後まで私が見守ることになろうとは、本人はもちろん当の私でさえ、思いも寄らないことであった。
妙子ねえさんには、現在も10人の遺産相続人がいる。
兄と私、亡兄、二人の亡姉の子どもたちである。
その誰もが、姉の残した数々を「何も要らない」と言い、結局教え子さんや友人・知人、ご近所の皆さまがたに貰っていただいたけれど、無理強いしたのではないかと今も時折心が痛む。
姉が逝ってから4か月余り経った日の「さくらブログ」に下記のように書き残している。
なんと、片づけのすべてを終えて三重土地の大西英子社長に家と土地の売却をお願いしたのはそれからまだ半年も後のことだった。
その土地が、売れたっ!
少し不動産市況が上向いてきた矢先の朗報に、遺族皆が「良かった~♪」と言ってくれた。
誰も、売却益を欲しいわけではないのです。
「光子おばさんが、ラクになれて良かった!」って。
さっそく届けられた「不動産売買契約書」などの書類の山!
全7冊とその他3枚の書状に、署名をしたのが11回、捺印場所が16か所もあった。
この後、来年の確定申告には売却益やら固定資産税やら、まだまだややこしい、ややこしい。
…ふぅ~!
妙子ねえさん、さくらのため息・吐息、聴いてますぅ?
◆
♪片付けても、片付けても…
2008年01月19日 19時05分35秒 | 病老 Vs 老病介護の日々
1月19日(土)
冷え込み厳しい一日なれど、この程度の寒さは言挙げするに及ばず。
…で、松阪行き。
あっちゃん先生、T氏と姉宅に。
今日は、夕刊三重新聞社に美術全集などの書籍と陶器を、神戸先生、中倉氏、田中氏に遺品をお届け。 その間に、中田さん、中西さん、貞ちゃん、美代子さんが来宅。
机や陶磁器、本や洋服等を貰って帰って行かれた。
おぉ、それだけで、もう夕方。 Oh my God!
片付けても、片付けても、モノに溢れた姉の家から、いつになったら開放されるのか。
私自身も、「老いの死に支度」 を急がなくては、と思うものの、ほんと、自分の時間がないの。
午後6時の急行で名張に戻り、ママのカレーをお招ばれ。 美味しー♪
◆
♪教え子さんに、書籍を5箱送りました~♪
2008年06月27日 21時41分33秒 | 病老 Vs 老病介護の日々
6月27日(金)
明子さん宅から、姉宅に向かう。
教え子の、川口整骨院・川口博也先生が居間のカーペットをもらってくださる。
「 え~、あのカーペット、コーヒーこぼした跡があって汚れてたわよ~ 」 と、後から来た病友の米ちゃんが眉をひそめた。
川口先生、ごめんなさいね。 そして、有難うございます。
姉からの最後の贈り物は、ダンボール5箱に詰めた書籍だ。
教え子のとみだ整形外科・冨田良弘先生が、同級の石原壮一郎さん ( コラムニスト ) と宗林由樹先生 ( 京都大学教授 ) のために選び出してくださった。
高齢者生協の稔さんと明子さんに手伝ってもらって、コンビニから送る。
長年奉職した松阪高校の図書館に寄贈させていただいた600冊の書籍は、本好きの司書さんが整理して、松阪高校のホームページに内容を掲載してくださっている。
妙子ねえさん、教員冥利に尽きますね!
http://www.mie-c.ed.jp/hmatus/jp/info/tosyo/new/new_08ki.html
私はこの姉を、今も決して好きではないけれど、心の底では少し愛しているみたい…
姉の遺物を、捨て去るにしのびなくて、踊りの西川先生にバッグやショールやアクセサリーを、病友のニノちゃんに洋服などを、明子さん母娘には、浴衣や帯を、貰っていただいて、ほんとうに有難うございます!
洩れなく、姉の破天荒エピソードが付いて、ご迷惑でした?
…お聞かせして、ごめんなさい、ね。
そして亡姉は、この半年余りの整理の日々を通じて、私に 「モノを残すな! 老いの死に支度を急げ」 と無言で教える。
姉なればこそ!
妙子ねえさんが逝って5年が過ぎた。
亡姉は81年の生涯に、多くの恋人を持ったけれど、一度も結婚することなく一生を終えた。
大阪薬大を卒業してすぐに、壮年の父が薬局を建てて贈り「森薬局」の女あるじとして社会生活に乗り出した。
薬の安売りを始めた大阪・千林のダイエーの出現で、薬局は薬屋さんになり調剤室に立つことも少なくなった亡姉は、「私は薬の売り子をするために薬剤師になったんじゃない!」と啖呵を切って、県立四日市高校の化学の教諭になった。
大人になる前の多感な高校生に、全人生を懸けて教育したようだ。
良く出来る生徒さん、見どころのある生徒さん、可愛い子…、姉が目をかけた優秀な生徒さん方は素直に伸びていかれ、亡姉の自慢のタネになった。
地元・松阪の開業医・とみだ整形外科の冨田良弘先生、川口整骨院の川口博也院長ほか、宮崎先生ら多くの小、中、高校の先生がた。
東京で活躍しておられるコラムニストの石原壮一郎さん、京都大学教授の宗林由樹さん…
なぜか好きになれなかったこの姉の、最後の最後まで私が見守ることになろうとは、本人はもちろん当の私でさえ、思いも寄らないことであった。
妙子ねえさんには、現在も10人の遺産相続人がいる。
兄と私、亡兄、二人の亡姉の子どもたちである。
その誰もが、姉の残した数々を「何も要らない」と言い、結局教え子さんや友人・知人、ご近所の皆さまがたに貰っていただいたけれど、無理強いしたのではないかと今も時折心が痛む。
姉が逝ってから4か月余り経った日の「さくらブログ」に下記のように書き残している。
なんと、片づけのすべてを終えて三重土地の大西英子社長に家と土地の売却をお願いしたのはそれからまだ半年も後のことだった。
その土地が、売れたっ!
少し不動産市況が上向いてきた矢先の朗報に、遺族皆が「良かった~♪」と言ってくれた。
誰も、売却益を欲しいわけではないのです。
「光子おばさんが、ラクになれて良かった!」って。
さっそく届けられた「不動産売買契約書」などの書類の山!
全7冊とその他3枚の書状に、署名をしたのが11回、捺印場所が16か所もあった。
この後、来年の確定申告には売却益やら固定資産税やら、まだまだややこしい、ややこしい。
…ふぅ~!
妙子ねえさん、さくらのため息・吐息、聴いてますぅ?
◆
♪片付けても、片付けても…
2008年01月19日 19時05分35秒 | 病老 Vs 老病介護の日々
1月19日(土)
冷え込み厳しい一日なれど、この程度の寒さは言挙げするに及ばず。
…で、松阪行き。
あっちゃん先生、T氏と姉宅に。
今日は、夕刊三重新聞社に美術全集などの書籍と陶器を、神戸先生、中倉氏、田中氏に遺品をお届け。 その間に、中田さん、中西さん、貞ちゃん、美代子さんが来宅。
机や陶磁器、本や洋服等を貰って帰って行かれた。
おぉ、それだけで、もう夕方。 Oh my God!
片付けても、片付けても、モノに溢れた姉の家から、いつになったら開放されるのか。
私自身も、「老いの死に支度」 を急がなくては、と思うものの、ほんと、自分の時間がないの。
午後6時の急行で名張に戻り、ママのカレーをお招ばれ。 美味しー♪
◆
♪教え子さんに、書籍を5箱送りました~♪
2008年06月27日 21時41分33秒 | 病老 Vs 老病介護の日々
6月27日(金)
明子さん宅から、姉宅に向かう。
教え子の、川口整骨院・川口博也先生が居間のカーペットをもらってくださる。
「 え~、あのカーペット、コーヒーこぼした跡があって汚れてたわよ~ 」 と、後から来た病友の米ちゃんが眉をひそめた。
川口先生、ごめんなさいね。 そして、有難うございます。
姉からの最後の贈り物は、ダンボール5箱に詰めた書籍だ。
教え子のとみだ整形外科・冨田良弘先生が、同級の石原壮一郎さん ( コラムニスト ) と宗林由樹先生 ( 京都大学教授 ) のために選び出してくださった。
高齢者生協の稔さんと明子さんに手伝ってもらって、コンビニから送る。
長年奉職した松阪高校の図書館に寄贈させていただいた600冊の書籍は、本好きの司書さんが整理して、松阪高校のホームページに内容を掲載してくださっている。
妙子ねえさん、教員冥利に尽きますね!
http://www.mie-c.ed.jp/hmatus/jp/info/tosyo/new/new_08ki.html
私はこの姉を、今も決して好きではないけれど、心の底では少し愛しているみたい…
姉の遺物を、捨て去るにしのびなくて、踊りの西川先生にバッグやショールやアクセサリーを、病友のニノちゃんに洋服などを、明子さん母娘には、浴衣や帯を、貰っていただいて、ほんとうに有難うございます!
洩れなく、姉の破天荒エピソードが付いて、ご迷惑でした?
…お聞かせして、ごめんなさい、ね。
そして亡姉は、この半年余りの整理の日々を通じて、私に 「モノを残すな! 老いの死に支度を急げ」 と無言で教える。
姉なればこそ!
こちらはやはり名張に比べると暖かいようで雪も一度だけ二、三センチ積もっただけです。
今週の月曜日主治医(胃腸科)のところに二カ月ぶりに受診でした。胃全摘による気になる検査データは有りましたが、おかげ様でまずまず大きな心配なことは無さそうで、次回は三カ月後ということにでなりました。
昨年の秋に術後丸6年の日に執刀して下さった外科のドクターのところに念願の計画的サプライズ(^^)受診…。改めてお礼と初めてしっかりと自分の病名、病期、リンパへの転移数などお聞きしてきました。やっぱりスキルス、Ⅳの手前、リンパへも十個近く…でした(>_<)。
年末には同じくベテラン胃癌サバイバーのT院長先生と病院の患者サロンで色々なお話を伺うことが出来ました。最後には○台町の高橋さんにつられて?私もしっかり握手して頂きました(*^^)v。
丁度四年前の今頃、広野さんと初めてお会いさせて頂いた時は術後二年四か月余りで、長~~い化学療法のラストを終えて直後。まだ副作用でヘロヘロでした…。
T院長先生がドクターとして
「良くなる人は何となく病期に関係ないような気がする(@_@;)…」
「気力??…」←〖金つなぎの皆さんに沢山補充していただきました<(_ _)>〗
「運もあると思う(*_*)…」等おっしゃつてみえました。
御自分も手術や抗癌剤等の体験者ですので患者の気持ちもとてもよく理解して見えました。
今こうして生かされて…、改めて支えて下さっているあらゆる方に毎日感謝の想いです。
ちなみに私は明日just□0歳の誕生日です。広野さんが発病された年齢にもまだ届きませ~~ん(^^)。
丁度四年前の今頃、広野さんと初めてお会いさせて頂いた時は術後二年四か月余りで、長~~い化学療法のラストを終えて直後。まだ副作用でヘロヘロでした…。
T院長先生がドクターとして
「良くなる人は何となく病期に関係ないような気がする(@_@;)…」
「気力??…」←〖金つなぎの皆さんに沢山補充していただきました<(_ _)>〗
「運もあると思う(*_*)…」等おっしゃつてみえました。
御自分も手術や抗癌剤等の体験者ですので患者の気持ちもとてもよく理解して見えました。
今こうして生かされて…、改めて支えて下さっているあらゆる方に毎日感謝の想いです。
ちなみに私は明日just□0歳の誕生日です。広野さんが発病された年齢にもまだ届きませ~~ん(^^)。