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3月8日(日) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
昨夜は金つなぎ観梅会のあと、有志7人でスパワールドに温浴療法!
天然温泉であったまって、青林檎の酎ハイで乾杯~♪
足底リフレを受け、午後9時に栄子理事と帰る。
「35年ぶりの乳がん再発と、肺、肝臓、脳への転移。でも、まだ死ねないから、頑張る!」と意気盛んな栄子理事の背中を抱えるように夜の大阪を歩く。
そう、その意気!
私も後からついて行くから!
桃谷で栄子理事と別れ、あびこのまぐろスタジオに立ち寄り、新しい媒体のレイアウトと原稿推敲を急ぐ。
もてなしは、清酒・月桂冠にセロリ、水菜、人参、するめのサラダ、おつくり。美味満足♪
午前2時半に就寝。
※その前に、さくらブログを更新。
朝になって、友人の美代ちゃんに「忙しすぎます。ムリがすぎます。ナニかあったら息子さんが悲しみますよ!」 と叱られちゃった。
はい!
今夜は早く寝ますぅ!
さて、8日の午後3時15分発の宇治山田行き急行に乗車して名張に帰る…
そのとき。
「やぁ~!」とさりげなく右手を上げて久闊を叙する紳士がひとり。
「あらぁ、平田先生!」
松阪高校の同級生で、郷里松阪で長年私塾を開き若い人たちの良導に尽くしている平田直紀さんだ。
下車駅、桔梗が丘の階段に近い車両を探して上本町駅のプラットフォームを前へ前へ歩き
、偶然乗り込んだ車両の向かいの座席に平田さんが乗っておられたの。
彼とは一方ならぬ因縁がある。
あれは、10年前。 高校時代の友人たちと松阪の奥にある三重大学の演習林に石楠花を見に行ったときのことだ。
抗がん闘病を終えたばかりの足弱の私は、友人たちの後ろを気持ちだけは高揚させつつ、山道を登っていた。
右は切り立った山肌、左も切って落としたような谷底への斜面だ。
この、道幅1㍍ほどの切通しの山道を、同行の半一郎君に借りた杖を頼りに歩いていた私は、いったいナニが起こったのか今も分からないまま、谷底への1歩を踏み出した。
空に踏み出した足に乗っかった私の体は肩から転がり落ち、松などの大木の切り株を避けるかのように3回転し、あわやのところで無意識に両手で掴んだブッシュの根っこに助けられ、転落は食い止められどうにか体は止まった。
そこから先はまた、切り落としたような石垣が谷底の源流に続いていて、落ちたら首の骨が折れて命はない。
そんな状況で、私は両手に直径1㌢ほどの細い細い枝をしっかりと掴んで、頭を下に逆さ吊りのような格好で地面に張り付いているのだった。
「動けば木の根が折れて,頭から谷底に落ちていく」という懸念だけが頭を支配していた。
不思議に恐怖感はなく、【学友たちが必ず救急車かレッカー車を呼んで助けてくれる!】との確信と安心感があった。
抗がん闘病中から何かと励ましつづけてくれた典子さんが、足場を確かめながら降りてきてくれ、「早く! 私の手につかまって!」と言ってくれたが、彼女のか細い体と細い腕を見るまでもなく、「だめ! あなたも一緒に落ちていくわ!」と断った。
片手を外せば、体がバランスを失って彼女もろとも谷底に落ちて行くだろうと思ったのだ。
代わりに降りて来てくれたのが、平田君だった。
小学校と高校の同窓生で、その後早稲田大学に進学し、かの早稲田大学雄弁会に属していた雄弁の士であることは知っていた。
彼は私の近くまで来て、優しい声で言った。
「森光っちゃん、僕の手につかまり、な! 怖いこと無いから。 僕は大学の山岳部で山の事故には慣れてるから,大丈夫! 僕の手につかまり、な!」
平田君の大きな手がすぐ近くにあった。
「あかん! 手が離れないの!」、「大丈夫! 離してごらん!!」
私は、そろそろと右手を離し彼の手に縋りついた。
そのまま、右手を掴んで山道に引っ張り上げられて、一命を取りとめたのだった。
山道に引き上げられたのち一気に恐怖感に襲われ、ひざがガクガク震え歯の根がガチガチ鳴った。
何より、【転がり落ちて死なずにすんで良かった!】と思ったことが鮮明に記憶に残っている。
当時の私は【余命半年】を自覚しており、命に未練も無かったし死を恐れてもいなかった。
ただしあの時、死んだり重傷を負ったりしていたら、学友たちにどんなにか迷惑をかけたことだろう。
以後、皆でアウトドアをするたびに不快な思い出になって皆を楽しませることがない。
平田君、ありがとう!!!
あの時あなたが言ってくれた、「大丈夫!」の一言がどれほど私を安心させてくれたでしょう!
なので今、私は多くの病友に「OK! 大丈夫!!」と、確信をもって伝え続けるのです。
時を経て今は「平田先生♪」と呼ばれる彼は、この日「吟行で大阪の上町台地を散策してきたんですよ」と楽しそうで、俳句の話や学友たちの動静の話に花が咲いた。
「あの時は、ほんとうにありがとうございました!」
改めてお礼を言い、【会うたびにお礼を言ってるなぁ…】と思い返し、【何回お礼を言ってもこの感謝の念は消えないなぁ】と思う。
平田先生、ほんとうにありがとう。
ご恩は,忘れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
昨夜は金つなぎ観梅会のあと、有志7人でスパワールドに温浴療法!
天然温泉であったまって、青林檎の酎ハイで乾杯~♪
足底リフレを受け、午後9時に栄子理事と帰る。
「35年ぶりの乳がん再発と、肺、肝臓、脳への転移。でも、まだ死ねないから、頑張る!」と意気盛んな栄子理事の背中を抱えるように夜の大阪を歩く。
そう、その意気!
私も後からついて行くから!
桃谷で栄子理事と別れ、あびこのまぐろスタジオに立ち寄り、新しい媒体のレイアウトと原稿推敲を急ぐ。
もてなしは、清酒・月桂冠にセロリ、水菜、人参、するめのサラダ、おつくり。美味満足♪
午前2時半に就寝。
※その前に、さくらブログを更新。
朝になって、友人の美代ちゃんに「忙しすぎます。ムリがすぎます。ナニかあったら息子さんが悲しみますよ!」 と叱られちゃった。
はい!
今夜は早く寝ますぅ!
さて、8日の午後3時15分発の宇治山田行き急行に乗車して名張に帰る…
そのとき。
「やぁ~!」とさりげなく右手を上げて久闊を叙する紳士がひとり。
「あらぁ、平田先生!」
松阪高校の同級生で、郷里松阪で長年私塾を開き若い人たちの良導に尽くしている平田直紀さんだ。
下車駅、桔梗が丘の階段に近い車両を探して上本町駅のプラットフォームを前へ前へ歩き
、偶然乗り込んだ車両の向かいの座席に平田さんが乗っておられたの。
彼とは一方ならぬ因縁がある。
あれは、10年前。 高校時代の友人たちと松阪の奥にある三重大学の演習林に石楠花を見に行ったときのことだ。
抗がん闘病を終えたばかりの足弱の私は、友人たちの後ろを気持ちだけは高揚させつつ、山道を登っていた。
右は切り立った山肌、左も切って落としたような谷底への斜面だ。
この、道幅1㍍ほどの切通しの山道を、同行の半一郎君に借りた杖を頼りに歩いていた私は、いったいナニが起こったのか今も分からないまま、谷底への1歩を踏み出した。
空に踏み出した足に乗っかった私の体は肩から転がり落ち、松などの大木の切り株を避けるかのように3回転し、あわやのところで無意識に両手で掴んだブッシュの根っこに助けられ、転落は食い止められどうにか体は止まった。
そこから先はまた、切り落としたような石垣が谷底の源流に続いていて、落ちたら首の骨が折れて命はない。
そんな状況で、私は両手に直径1㌢ほどの細い細い枝をしっかりと掴んで、頭を下に逆さ吊りのような格好で地面に張り付いているのだった。
「動けば木の根が折れて,頭から谷底に落ちていく」という懸念だけが頭を支配していた。
不思議に恐怖感はなく、【学友たちが必ず救急車かレッカー車を呼んで助けてくれる!】との確信と安心感があった。
抗がん闘病中から何かと励ましつづけてくれた典子さんが、足場を確かめながら降りてきてくれ、「早く! 私の手につかまって!」と言ってくれたが、彼女のか細い体と細い腕を見るまでもなく、「だめ! あなたも一緒に落ちていくわ!」と断った。
片手を外せば、体がバランスを失って彼女もろとも谷底に落ちて行くだろうと思ったのだ。
代わりに降りて来てくれたのが、平田君だった。
小学校と高校の同窓生で、その後早稲田大学に進学し、かの早稲田大学雄弁会に属していた雄弁の士であることは知っていた。
彼は私の近くまで来て、優しい声で言った。
「森光っちゃん、僕の手につかまり、な! 怖いこと無いから。 僕は大学の山岳部で山の事故には慣れてるから,大丈夫! 僕の手につかまり、な!」
平田君の大きな手がすぐ近くにあった。
「あかん! 手が離れないの!」、「大丈夫! 離してごらん!!」
私は、そろそろと右手を離し彼の手に縋りついた。
そのまま、右手を掴んで山道に引っ張り上げられて、一命を取りとめたのだった。
山道に引き上げられたのち一気に恐怖感に襲われ、ひざがガクガク震え歯の根がガチガチ鳴った。
何より、【転がり落ちて死なずにすんで良かった!】と思ったことが鮮明に記憶に残っている。
当時の私は【余命半年】を自覚しており、命に未練も無かったし死を恐れてもいなかった。
ただしあの時、死んだり重傷を負ったりしていたら、学友たちにどんなにか迷惑をかけたことだろう。
以後、皆でアウトドアをするたびに不快な思い出になって皆を楽しませることがない。
平田君、ありがとう!!!
あの時あなたが言ってくれた、「大丈夫!」の一言がどれほど私を安心させてくれたでしょう!
なので今、私は多くの病友に「OK! 大丈夫!!」と、確信をもって伝え続けるのです。
時を経て今は「平田先生♪」と呼ばれる彼は、この日「吟行で大阪の上町台地を散策してきたんですよ」と楽しそうで、俳句の話や学友たちの動静の話に花が咲いた。
「あの時は、ほんとうにありがとうございました!」
改めてお礼を言い、【会うたびにお礼を言ってるなぁ…】と思い返し、【何回お礼を言ってもこの感謝の念は消えないなぁ】と思う。
平田先生、ほんとうにありがとう。
ご恩は,忘れません。
「あの時は、ほんとうにありがとうございました!」
改めてお礼を言い、【会うたびにお礼を言ってるなぁ…】と思い返し、【何回お礼を言ってもこの感謝の念は消えないなぁ】と思う。
と書いておられますが、私もこれから主人や息子たち、親兄弟や病院のせんせいや看護師さんに,どれほどの「ありがとう」を言うことでしょう。たくさんたくさん、ありがとう!を言わせてほしいです。
「あの時は、ほんとうにありがとうございました!」
と繰り返しつつ生きる私の人生、がんを病んでから早17年目に入りました。
肺がん2期とのこと、でも、病院にも主治医先生、ナースの皆さんの環境にも恵まれておられ、ご家族のサポートもあるそうですから、十二分にがんと闘えますね!
食事と運動、睡眠に留意し、ストレスと上手に付き合って過労にならないよう、頑張りましょう!!!